シゲブログ ~避役的放浪記~

日々の些細な出来事、昔の思い出を書いていきます

#7県民アイデンティティ

 

 目下のところ、東北地方を旅行中である。その旅行については他で書くとして、旅行中によくあるのは「どちらから来られたんですか?」という質問である。これはもう初対面で話す時の最も当たり障りのないテーマだと思う。辺鄙な場所であればあるほど、出身をきかれることが多い。

 

 私は西宮に住んでいる。でも近畿圏を出た場所で「西宮からきました」と言うと大抵「はてな」と不思議そうな顔をされる。「大阪ですか?」言われたりする。だが西宮は兵庫県である。西宮が神戸と大阪の丁度真ん中にあることを説明すると大抵納得してくれる。それから阪神甲子園球場とか福男神事といったことに話題を広げる。相手が若い人だったら西宮出身の鈴木亮平の名前を出す。年齢が上の方の時は佐藤愛子のことを話す。

 西宮の説明をするのが面倒な時もある。外国人としゃべっている時や、面倒な時はもう大阪出身と言ってしまう。大阪ならみんな知っている日本第二の都市だ。わざわざ西宮のことを語るよりも「大阪出身です」とする方が会話がスムーズに行くのだ。

 そして実際大阪出身というのも間違いでもないのだ。確かに実家があるのは西宮だけれど、西宮の小学校に通っていたのは3年間だけで、それ以降の中学と高校は大阪に通っていた。実は思春期の大半は大阪で過ごしたのだ。だから私は大阪出身とも言えるはずだ。もっと言えば予備校も大学も大阪だった。粉もんが好きだし、家にはタコ焼き機がある。西宮に住んでいるとはいえ私はもう大阪出身と言ってもよいのではないかと時々思う。

 だがしかし。「大阪出身です」と言うと、後に何とも言えない罪悪感が残るのだ。西宮と兵庫に対する申し訳なさである。普段は市民、県民としての意識はないのに不思議であるが、それは自分の住んだ町や育った町に対するこだわりや、大阪に対するひがみに由来するのだと思う。

 ただ困ることに「兵庫です」というのもまた違うのだ。そもそも「兵庫出身」と言うには兵庫は広すぎるのだ。日本海と瀬戸内海との両海に面した兵庫は北と南で気候も言葉も全くちがう。兵庫には大きく分けて四つの地域があるのだけれど、その阪神、播磨、但馬、淡路の四つでは文化が全然違うのだ。西宮は阪神地方にはいる。しかし「阪神」という名称がメジャーでないから「阪神出身です」といっても通じない。

 絶対に言いたくないのは「神戸出身です」である。神戸にいたのは一年間だけだし、何より神戸出身と名乗ることは西宮市民としての自我が許さない。大阪はもう大都会だから「大阪出身」とはぎりぎり言えるけれど、「神戸出身です」とは口が裂けても言えない。妙に意地を張ってしまう。神戸に負けたとは思いたくない。

 

 

 小学校卒業までに、尼崎、神戸、西宮の三つの学校に通った。別に兵庫県民であることを疑いもしなかった。今のように遠出をすることもなく、出身を尋ねられたこともなかったので自分のアイデンティティなんて考えないでよかった。

 大学に入って行動範囲がぐっと広がった。日本や海外を旅行するようになって自分のアイデンティティについて考えることが多くなった。出会う人の育った地域や、その場所の文化について聞くたびに、私は自分自身の通ってきた道と比較した。ゴーギャンのあの絵じゃないけれど、自分がたどってきた道のりを見返すのだった。そして毎回、自分の生き方が土地に根差していない浮ついた生き方であるように思えた。

 よくよく考えてみると私は、故郷を持たない根なし草のようなものである。私の祖父母は愛知で育ち結婚した。その後祖父の仕事の関係で北九州に住んだ後、阪神間に家を建てた。祖父の家族は今も愛知に住んでいるそうだが会ったことはない。本来ならば愛知県の小さな田舎町が私の故郷となったはずである。祖父の家族が代々生まれ死んでいった町で生まれ、私も死んでいったのだと思う。しかしそうはならなかった。先祖には縁のなかった尼崎、西宮に住むことになり、現在に至る。

 わが家には仏壇も何もなく、先祖の存在が感じられるようなものはなかった。時々祖父母の家に行ってときたま昔話を聞くだけである。

 

 果たしてこれでよいのだろうかと昔から思っていた。私の先祖は農民であったというが、私は彼らのように根差した生き方をしたいと高校の時分から思うようになった。生まれた町で生き、土地に根差した仕事をして、そこで子供をつくり、そして死にたかった。長い家族の歴史と伝統の中で自分も大河の一部になりたかった。

 しかし、そんなことは夢のまた夢である。都市に生まれ、育った私は土地に根差すことなく飄々と生きてゆくしかないのだろう。少し悲しい。