シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#198 沖縄3日目。A&Wと首里城

県庁前の交差点
 またしても起きられなかった。とにかく外に出ないといけないと思うがどこに行けばいいのかわからない。でも出る。とにかく外へ出る。沖縄っぽい何かを今日も探す。
 どうして何かに追われているのだろうずっと。何もしない日々を楽しもうと思って旅行に行くのにいつも必死になって何かを探している。馬鹿だなあ。楽しまないと。あ、でも楽しまないといけないと思って楽しめなかったら意味がない。〇〇をしたら幸せになれるとか、〇〇していたらOKだとか、そういう思い込みからはどうやったら自由になれるのだろう。そういうのに囚われすぎている。
 それはもうずっとだ。保証される生き方が欲しい。保証された人格と暮らしが欲しい。もうスーパーに行ってもコンビニに行っても何を買いたいのかわからない。バスターミナルに来たのにどこに行きたいのかわからない。求人サイトを眺めては閉じ、マッチングアプリもスワイプすることに意味を見出せなくなる。みたいな。

選びきれません!
 でも何かしらを選択しないことには生きられない。もちろん選択せずに生きるという選択もあるにはあるのだけど。選択することを後回しにした結果、選択しない人生を選択したことになっている。そんな事実に後から気づいて、残された時間の少ないことに怯える。なんてことにはなりたくない。もう半分くらいなっているけれど。

 もちろん今日も朝食はなし。起きたらもうブランチの時間だったから。
 国際通りに出る。沖縄でしかできないこと。那覇にしかないもの。卒業旅行で来ている若者が多い。中国語も聴こえる。東南アジアから来ている人もいる。イスラム教徒の人が沖縄で食事をする時、豚肉やラードを完全に避けるのは難しそうだなと思う。そんなことを考えながら A&Wという名前のチェーンのハンバーガー屋さんに入る。そのままお店の名前がついたバーガーとルートビアのセット。ルートビアが美味しい、なんでこんなに美味しいんだろう。癖になる味。ルートビア禁酒法時代に発明されたらしい。ノンアルコールビールを飲むくらいならルートビアを飲みたいなあ。沖縄のスーパーではドクターペッパーが売られている。自分の地元では流通していないから羨ましく思った。Wikipediaによると、日本でドクターペッパーが流通している地域は限られるらしい。不思議だ。その地域にアメリカ軍基地があるとか、移民が多い地域だとか、そういうのも関係がありそうだ。

那覇にしか売ってなさそうなシールたち
 箱根でよく行っていたアメリカンダイナーではいつもドクターペッパーを飲んでいた。あの半年でルートビアアメリカンダイナーが好きになった。マスターというのだろうか、店主の人も気さくで好きな店だった。バンズがとても美味しくて、訊くと、ハンバーガーに合う味ともっちり感を実現まで、開発に2年かかったらしい。箱根の宮ノ下にあるFunny'sというお店だ。良い店なので箱根に行くときはぜひ行ってみて欲しい。

箱根宮ノ下のお店。Funny’s
 後で友達に教えてもらったことは、ルートビアとカーリーフライのセットがA&Wでは人気らしい。確かに隣の席で話し込んでいた2人の女性はその組み合わせで1時間ぐらい話し込んでいた。わざわざバーガーを食べることはなかったのだろうけど、でも美味しかった。

でっかい
 その昔、私はアメリカで生まれたかったと思う日々があったのだけど、もしアメリカで育っていたらやはりハンバーガーが好きになったのだろうか。アメリカ人だったらアメリカ人だったで、日本に住みたいとかヨーロッパに住みたいとか思ったのだろうか。そんなことばかり考えて脳みその無駄遣いをしていると正午になった。そろそろ行く場所を決めなくちゃ。

県庁前駅
 結局首里城に行くことにした。正殿が焼けているとはいえ、やはり那覇に来て首里城に行かないのは「変」だと思ったからだ。首里城に行かないでこの旅が終わるとなると後悔するように思ったのだ。だから県庁前からモノレールに乗ろう。

 ゆいレール(モノレールのこと)で那覇の街を見下ろしながら昨日博物館で見た沖縄の歴史について考えている。商店街の入り口、伝統的な赤瓦の家々、屋上と外に階段がある集合住宅。石灰岩でできた丘。自分が中学校だった時に春夏の甲子園を連覇した高校。森と公園、緑がたくさん。
 沖縄の歴史はスプラトゥーンみたいだと思う。濃い色の上にまた濃い色が重なって、新しいも古いも全て入り混じった現在につながる感じ。統一、占領、貿易と移住、占領、戦争、支配。関西と比べると那覇の歴史には、単純かつ強烈な出来事が多いように思う。でもきっと1年くらい沖縄に住めばまた違うことが見えるんだろうな。でも私がまだ数日しか沖縄で過ごしていなくて、表面的にしか物事を見れていない。私の頭にあるのはわかりやすい歴史だけ。もっと詳しいことを知りたいけれど知るという行為って結構大変だったりする。色んなことを考えないといけないから。

 三山を統一して琉球王朝を開いた尚氏はほどなくしてお城を浦添から首里に移したらしい。けれど、浦添城と首里城は4キロしか離れていない。遷都と言うには近いように思うけれど、そういうところもきっと自分の住む場所と違うのだろうな。奈良も大阪も京都も〇〇京だらけだから。

修復中だった守礼門
 モノレールを降りて首里城。遠いし大きかった。知らない街の地名ってやっぱり面白い。メモしたくなる。修学旅行のような生徒たちがいた。韓国の言葉を話していた。観光地だからお城の前にはお土産屋さんもあったし、琉装で写真が撮れる場所もあった。琉球の伝統衣装と、その前にある三脚を見ながら、昨日美術館で観た具志堅聖児という画家のことを思い出す。戦後、急速に廃れてしまった琉球文化を懸念して、伝統行事の風景を琉装の人物画で残した人物だ。和装が見直されているように、琉装も見直されているらしい。なんかで読んだ。

珊瑚によってできた石灰岩

登っていく
 城の石垣は石灰岩でできていて、門をくぐるごとにまた新たな石垣でできた区画があった。少しずつ登って正殿へと行く。韓国語を聞いたからか、なんとなくソウルの景福宮キョンボックン)と似ているように思えた。不思議だ。昨日の博物館で朝鮮から琉球へ入ってきた文化のことを読んだからかも知れない。石垣で部屋のように区切られた区画にいて、昔のことに思いを馳せてみる。お城の中には御嶽(うたき)と呼ばれる聖域がいくつもあって、そこだけ茂みになっていたりした。不思議な空間だった。

御嶽
 実はこの御嶽こそ、沖縄に行きたいと思った理由の一つだ。たまたま読んだ小説に主人公が沖縄の斎場御嶽(せーふぁーうたき)という御嶽に行くシーンがあった。音を集めることを生業とする主人公が音を撮るために斎場御嶽に行くのだ。そこには三角形のの形の聖地があって岩の間から光が注ぎ込むらしい。明日からレンタカーで何日かドライブするけれど最後にそこへ行こうと思っている。

浦添市北谷町方面
 首里城の正殿はすっかり焼けていた。昔持っていた「城のしおり」という全国のお城を集めた小さな冊子に載っていた正殿とその前の広場。赤白に塗り分けられた広場は「うなー」と呼ばれる場所らしい。昔はそこで空手の演舞だったり、何かしらの儀式が行われたらしい。ちなみに「うなー」を漢字で書くと「御庭」である。

焼けた竜の口髭
 正殿のあった場所は、再建に向けた工房のような場所になっていて、ガラス窓の向こうに立派な木材が置かれていた。正殿を再建する時に使うのだろう。当時の工法だったり、伝統的な顔料だったり、そういうのが必要になるはずで、実際腕を振うことに喜びを覚えている宮大工もいるのだろうと思う。実際、正殿では、首里城の再建や伝統的建築にフォーカスした展示があって、興味深かった。参加しなかったけれど岩を砕いて顔料を作る無料のワークショップもあった。

 首里城の火災をニュースで見た時、ノートルダム大聖堂の火災の後だったこともあって、とても悲しかった。けれど、こうやって首里城には観光客が集まっていて、再建に向けて協力している人がいるのをみると、なんだか大丈夫なんだろうなと思った。地域の関心も高いようで寄付金も集まっているらしかった。だから多分いつかまた沖縄に来たらきっと首里城の正殿は見られるのだろう。なんだか勇気が出る。気のせいかもしれないけれど、スタッフの人も気持ちのいい人ばかりだった。足元が不安定なことを教えてくれたり、会釈を返してくれたり、挨拶をかけてくれた莉、ポジティブな気持ちになった。

 階段を上って下りて一通り城内をぐるりとする。夜はお化けが出るって誰かが首里城のことを言っていたけれど、確かにそんな雰囲気はあった。御嶽がいくつかあるのもそうだし、近くには琉球王国の王様だった尚氏一族の墓地、玉陵(たまうどぅん)がある。それから首里城の地下には戦時中の司令壕が眠っている。

西方、那覇市内方面む
 石垣や石畳に使われている琉球石灰岩は自分にとっては見慣れない色で、夜とか怖いだろうなって思う。
 
 十分見てから、海へと続く坂道を下りて行く。途中、首里高校があった。大喜利が上手な、芸人の赤嶺総理の母校。ガレッジセールのゴリの母校でもある。ふーんと思いながら坂をどんどん下っていく。猫がいたり、古い家の庭に桜が咲いていたり、変わった地名だったり、様々なシーサーのポーズだったり。面白いものを探しているとすぐに時間は過ぎて、街の方へと出た。これからもう少し歩いて海岸まで行ってみよう。

海の方へ




【今日の音楽】

 
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