シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#197 沖縄2日目。おもろまち

 おもろまち駅前でバスから降りると、そこは大きな建物がたくさんあった。駅前から美術館の方まで公園が続いている。後で調べてわかった事だけれど、おもろまち周辺の新都心と呼ばれている地域は、長い間、アメリカが管理している土地だったらしい。土地が全面的に返還されたのは1987年。おそらく計画的に開発されたのだろう。モールやらホテルやら博物館やら、区画も道路も建物も大きい。計画都市といった感じ。「おもろまち」という地名も沖縄と奄美の言葉で「歌謡」を意味する「おもろ」から付けられた地名らしい。

 国際通りから1キロも離れていないこの場所さえもアメリカに管理されていた時代のことを思う。戦前までこの場所に住んでいた人たち、ゆかりを持っていた人たちはどういう風に過ごしていたのだろう。新都心公園の東北方面には銘苅墓跡群という国指定の史跡があった。なんでもグスク時代まで遡ることができる墓地らしい。いくつかのお墓は残っているけれど、実際にあったのはもっと大きな墓地で、再開発によってなくなってしまったお墓の方が多いみたい。

さんぴん茶ルートビアがあるのが沖縄の自販機の特徴なのかも

 もし、自分のお墓が、後の人間の都合によって撤去されたり破壊されたら嫌だろうなと思う。一方でお墓なんか残したくないとも思う。海にでも山にでも散骨して欲しいみたいなことを母が言ってるけど、その気持ちはよくわかる。祖父はお墓を守って欲しいと言うけれど、その気持ちは正直よくわからない。「先祖のお墓を守るのが日本人の伝統」みたいなことをよく私に言うけれど、社会人になってから祖父がほとんど実家に帰っていないのを私は知っている。単身赴任が長くて、子供にほとんど会っていないのも子供に愛情を注いでいないのも知っている。そういう時代だったからと祖父は言うけれど、家族を顧みず好き勝手に生きただけだ。伯母や伯父、いとこたちはお墓に対してどう思っているのだろう。祖父母は私を連れて実家のある愛知に行かなかった。母のきょうだい以外に親戚がいない私は、20歳の時に死んだ祖母のお墓以外に、親族のお墓に行ったことがない。最近、父が死んだけれど、父のお墓がどこにあるのかも知らない。
 とにかく20歳の時に死んだ祖母のお墓にしか行ったことがない私は、お墓参りの作法も伝統も、実際問題ちゃんとわかっていないと思う。でも墓地に行くのは結構好きだ。死者を悼むという精神に文化が出ると思うから。古墳も教会もお寺も、好きだ。銘苅の墓跡群には時間がなくて行けなかったけれど、沖縄の亀甲墓は、中国の影響を受けていて、見ていて面白い。面白いとか思ってはいけないのかも知れないけれど。

おきみゅーの入り口にあるモニュメント。シーサーだと思ったけれど、写真を見たら写真を見たら違うかも
  お腹が空いていたし喉も乾いていた。自販機を見つけたので沖縄っぽい飲みものを買おうと思うけれどドクターペッパーさんぴん茶も、他のよくわからない沖縄でしか飲めなさそうなやつも全部美味しそうだった。結局決められなくて買うのはやめた。一つでも買えば、全部コンプリートしたくなる気がして怖い。
 
 とりあえずの感じで沖縄県立博物館・美術館、通称「おきみゅー」に入る。果たして本当に「おきみゅー」と地元の人に呼ばれているのかは知らなけれど、中はとても綺麗で静かで、良い建物だった。色々展示があるようだったけど、最初に入ったのは、かりゆし美術展という展覧会。受付の人に聞くと無料らしい。「おじいちゃんおばあちゃんの作品見ていってください」言われたのでいくことにする。習字や絵画、写真や彫刻などの作品が展示されていた。南国だからか色が鮮やかな絵が多い。太陽の光だったり空気だったり、そう言うのが色々違うのだろう。おもろまち駅からおきみゅーまで歩く間に、数分間、雲間から光が差した。まるで夏の午後のように周辺の建物や車が輝き出し、自分が南国にいることを実感した。気温は10度程度しかなくて風も強いのに、一瞬だけ差した太陽がそんな風に世界を見せるなんて。美しい瞬間だった。

 私は観光客なので沖縄沖縄と考えながら絵画を見るけれど、別にこの美術展は、みんなが作りたい作品を作っているだけで、別に沖縄を代表しているわけではない。雪国の風景画を展覧会に出している人もいたし、大阪で見た孫の運動会を描いた絵もあった。いいなと思ったのは、アダンの木が生える夕闇の海岸を描いた絵で、ルソーのような雰囲気があった。絵画以外で面白いと思ったのは、石敢當を抱いたシーサーの焼き物と、地元のお祭りを撮った写真。
 
 次に入ったのは沖縄に関する絵画と芸術家の展示。メインとなるのは具志堅聖児という画家で、戦争によって失われた沖縄の文化や風俗を描いた人だった。気になったのはニシムイ芸術村と呼ばれた芸術家の集団。戦後那覇市儀保で共同生活をしながら米軍関係者を相手に作品を売ったり、芸術を通じた交流をしていた人たち。最初の部屋では、米軍の軍医だった人のインタビュー映像が流されていた。その人が沖縄に駐留した話や、沖縄の印象、ニシムイの芸術家の出会いや交流の話が面白くて、20分ほど座って映像を見ていた。そのアメリカ人の名前をメモするのを忘れてしまったのが悔やまれる。

 最後に入った博物館がとても面白かった。自然史から沖縄の歴史までが展示に沿ってわかりやすく説明されていた。北海道や東北で行った博物館を思い出しながら、展示が少し違うように思えたのが興味深かった。北海道の博物館では中国東北部やロシア極東との文化的や生物相の繋がりがフューチャーされていたのに対し、おきみゅーでは東南アジアや太平洋の島々との関係性についての説明が多いように思った。特に島嶼部で進化したヤンバルクイナやケナガネズミなどの動物、マングローブ林の展示が面白かった。今回の沖縄旅行ではヤンバルクイナが見たいから、結構時間をかけてそのスペースにいた。

昔の道具を見るのは結構面白い
 それから歴史に関する展示。日本が鎌倉、室町時代だった12世紀から15世紀の間、沖縄はグスク時代だった。その時代から農耕生活が進化していき、城塞としてのグスク(城)が多く築かれるようになったらしかった。やがて、按司(アジ)と呼ばれる各地のリーダーが各地を統一するようになり、北部、中部、南部に分かれる三山時代が到来する。最終的に琉球王国が成立し、中国や朝鮮、東南アジアとの交易によって栄える。琉球からの輸出品は硫黄と馬だったらしい。どんな馬だったのだろう。島嶼部の環境に適応した馬であれば、何かユニークな特徴を持っていたのだろうか。

 中学時代の社会科でも資料集でも三山を統一した尚巴志の名前は読んだことはあっても、先生の解説を聞くようなことはなかったように思う。だからその歴史の展示を見ながら興味深いなと思った。
 一番気になったのは『椿説弓張月』で有名な源為朝の記述があったこと。琉球王国の正史では、為朝の息子の舜天が初代琉球国王となっているらしい。伝説というか神話的な領域を出ないと思うけれど、事実はともかく面白いと思った。奥州平泉で死ななかった義経蝦夷から大陸に渡り、チンギスハンとなったという伝説も好きだけど、為朝伝説も調べてみると面白いかもしれない。ただ、舜天が源氏の血筋を引いているという眉唾が正史に書かれたことで「事実」になってしまい、同じく源氏の血を引く島津氏が琉球を支配する口実にもなったのかもしれないと思った。「正史」って時々つまらないのだ。

 5時間近くおきみゅーにいて、そろそろ疲れてきた。インプットの量が多いのだ。第二尚氏が400年続いた後、琉球処分によって沖縄は明治政府に組み込まれるけれど、その後の現代史は展示を読んでいて結構辛かった。飢饉に苦しんだ江戸時代の後半や戦時中にソテツを食べた話や、海外へ移民する話。それから沖縄の戦争と戦後。

外はすっかり暗くなっていた
 インプットが多くて、最後はしんどくなった。お腹も空いた。もう8時になっていて、公共の施設は閉まる時間。というか8時まで空いている方がすごいかも。とか思いながら新都心から国際通りの方まで歩いて戻る。風が吹いていて寒い。老舗チェーンのそばを食べて帰る。沖縄そばって蕎麦粉を使っていないのに「沖縄そば」って言う。この名称を勝ち取るために戦った人がいたらしいと、お店の壁に貼り付けられた新聞記事に書かれていた。



 
 
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