シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#172「東京に来たら連絡してね」

 せっかく東京に来たのに暑かったり寒かったり雨だったりで、毎日疲れている。なんだか昔より体力がなくなってしまったような気がする。金曜日、暑い中神保町で本屋を巡り、ゲストハウスにもどってスーツで企業説明会を受け、シャワーを浴び、それからまた出かけて友達と新宿で会った。気温が高い日で、最高気温は26℃とか。金曜の夜で歌舞伎町にはたくさんの人がいた。イベントがあったのかホストの軍団が路上で出ている区画があって、そこを歩くときはみんな警戒しながら歩いた。

新宿の空
 次の日もやはり暑かった。モーニングを友達と食べる予定で早くにゲストハウスを出たのだけれど、説明会があるからスーツで移動しないといけなくて余計に汗が出た。市ヶ谷駅が複雑だった。地下鉄が3本通っていて、JRもある。おのぼりさんには難易度が高い。やっと見つけた出口から地上に上がり靖国通りをテクテク歩いて15分。不安症なので荷物が多い。手提げ鞄の重量と用意した朝の自分に悪態をつきたくなる。待ち合わせたカフェの前に見覚えのあるシルエット。やあ久しぶり。待たせてごめん。
 
 座る前にハンガーにジャケットを掛けたのだけど、ワイシャツには汗染みで世界地図ができていた。友達はもしかしたら目のやり場に困っていたかもしれない。後から気づいて申し訳なくなった。モーニングは美味しかったし、社会人となった友達からもらった名刺のデザインは綺麗だった。なんだか緊張していて、いつもなら味わって飲むコーヒーを何も考えずに飲んでしまった。最近家で飲む種類のコーヒーと違っていて美味しく感じた。気がする。イングリッシュマフィンも間にあるとろりとした卵も美味しかった。優しい味。

 色々話す。就活のこと。同じ専攻語のこと。愚痴とか最近誰と会った話。とりとめもないと言えばそう。安心してそういう会話をできる関係性は、大事なのだ。最近知った。「おもろい会話」をしないといけないと思い込んでいる節が私にはあって、そういう強迫観念が時々顔を出して私を苦しめる。目先の笑いがほしくて言いたくもないことを言ってしまう。後になって口が悪かったと反省する。
 
「お店を出ましょうか」とお互いの意思を確かめる瞬間。どちらからともなく言い出す。色んな要素。お互いのコップが空だとか、お店が混んできたとか。ひと段落した話題、トイレに行くタイミング。なんとなくお互いに「もうそろそろ店を出てもいいかな」と思っている。どちらかが言い出して、暗黙の了解が、日の光の下に出る。
 
 さっきまでの暑さが嘘のように霧雨が降っていた。奢ってもらったお礼を言って九段下まで歩く。湿度のせいで千鳥ヶ淵と皇居は煙が立ち込めたようにもやがかかっていた。もう少し歩こうかと言って神保町まで歩く。まだ10時台で開いている古本屋は少ない。開いている本屋を見つけてロシア文学の翻訳とか、文学者研究の本とか見てるうちに時間が来て、私は企業説明会に行くことになった。

金曜日、ここでヤーシンの本を買った
 
 誰かと別れるとき、電話を切るとき。正解がわからなくて困る。この一瞬が終われば私はあなたを忘れてしまう。多分あなたも私を忘れる。とても苦しい。悲しい。別にそこまで親密ではないし、守るべきライン、守ってほしいラインがあるのもわかる。このままさよならで、何ヶ月も会わない。もしかしたら何年も。何かが失われる気がする。可能性の青いドアが閉じる音。

「毎日会ってないと、究極どうでも良くなる」
そう言い放った Cを思い出す。COVID19が来た最初の季節。2年前の春が終わる頃、メインキャンパス近くのインドカレーを食べて、大学周辺を散歩した。阪急電車の高架下を歩いて適当に見つけた公園でブランコを漕いだ。Cは極端なやつだけど、でもその気持ちは私もわかる。一度会わない期間が続くと、その人との関係がどうだったかわからなくなる。思い出せないというわけではなくて、親密だったかどうかがわからなくなるのだ。親密さを測る完全な指標なんて存在しないから、結局は連絡の頻度や会った回数を数えてしまう。もっと目に見えないものを大事にしたいのに。

 
 地下鉄は走ってく。黒い窓を見ながら、さっきの会話を一つひとつ思い出してみる。やはり緊張していたのだと思う。駅から遠すぎるとか、暑すぎるとか、言わなくてもいいことを口走っていたことを反省する。傷つけなかったかどうかをチェックする。傷つけたくない。私はもう誰も傷つけたくない。誰にも会わずに家に一人でいた頃は、誰かを傷つけるくらいなら一人で死ぬ方がマシだと思っていた。自分のせいで傷つけたくない。

東京のどこかの駅
 また会いたいと思ってもらえるような人間でいたい。
「東京に来る時は連絡してよ!」みんなそう言ってくれるけど、本当のところはどうなんだろう。その言葉通りに受け取っていいのか迷う。内心では嫌われているのではないかと疑ってしまうから。結局のところ、自分が相手を信頼してないということなのだろうか。あるいは、言葉と内心が違う人に囲まれて育ったからだろうか。
 
「東京に行くときに連絡する人」のぼんやりとしたリストが私の脳内にはあって、時々自分の記憶力の良さを呪いたくなる。連絡しようと思ったりもするけれど、嫌われてる可能性も忘れられている可能性もあるから、チャットやDMの送信ボタンは押されないまま。自分が嫉妬深いことや、忘れることが苦手であることに悩む。悩みながら、自分は人が好きであることをまた確認している。

企業説明会に行く道
【今日の音楽】 
 
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