シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#9言葉の限界 その1

 

 「関西クィア映画祭」というのがある。セクシャルマイノリティに関する映画を上映する映画祭で、「みんなヘンでいいじゃないか」というスタンスでやっているみたいだ。私は行かなかったが、去年の秋にも、11回目の映画祭が大阪と京都で行われた。今年もあるみたいだからぜひ行こうと思う。

 この前の土日、名古屋の「大須にじいろ映画祭」というのに行き(これらの映画祭の詳細は下記URLで)、そこでクィア映画祭の関係者の人と会った。その人に去年のパンフレットを頂いたのだけど、こんな文章があった。

 

「最近は「LGBT」が流行りですが、私たちは、レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーといった簡単な言葉では表しきれない存在です。恋愛対象や自身の性別が、個人の人生の中で「変わる/変態する」ことだってあります」

 

 ここで言う「私たち」にはパンフレットを書いた主催者の人だけではなくて、この文章を読んだ人にも当てはまるのだと思う。もっと言うと人類全体にも当てはまると思う。大げさかも知れないけど。

 「LGBT」という言葉は確かにある。けれども、だからといって「LGBT」という言葉でその人のことを定義できる訳ではない。むしろ定義できてしまうことは少ないんじゃないかと思う。というか、私たちはみな言葉で定義できてしまうほど単純ではないし、単純であってはならない。それから、肉体も精神も日々変化していくから、昨日の私に当てはまる言葉が今日の私に当てはまるとは限らない。

 

 高校の時に教えてもらった必要十分条件を思い出す。

AならばB、かつ、BならばAであるとき、BA必要十分条件といえる」

 懐かしい。

 私は学生である。しかしもちろん学生がみな私であるわけではない。

 もしかしたら彼はゲイと言えるかもしれないけど、だからと言って女の子に惹かれないわけではない。でも自分のことをバイセクシュアルとは言いたくない。そんな人だっているかもしれない。要するに数学とは違って、現実は複雑なのだ。AというものがBという言葉で完全に定義されることなど世の中にはほとんどないに違いない。

 かといって「LGBT」という言葉が悪だとは思わない。ある人にとっては言葉狩りをしたくなるような単語かもしれない。けれど「LGBT」というわかりやすいワードがあるからこそ知れることも、往々にしてあると思うのだ。使い方には気をつけないといけないというだけだ。

 

 スティーブン・キングは小説≪The Body≫(映画「スタンドバイミー」の原作になったやつ)の冒頭にこんなことを書いていた。私はこの冒頭で始まるこの小説が好きだ。

 

「なににもまして重要だというものごとは、なににもまして口に出して言いにくいものだ。それはまた恥ずかしいことでもある。なぜならば、ことばというものは、ものごとの重要性を減少させてしまうからだ——ことばはものごとを縮小させてしまい、頭の中で考えているときには無限に思えることでも、いざ口に出してしまうと、実物大の広がりしかなくなってしまう。だが、本当はそれ以上のものだ。そうではないだろうか?」(新潮社。山田順子訳)

 

 似たような言葉はサン・テグジュペリも書いていて、「星の王子さま」には、本当に大事なことは目には見えないのだよ、というような言葉がある。

 私は中学を卒業する時に読んで、この言葉は大事だなと思った。含蓄のある、かっこいい言葉だった。細かいストーリーや登場人物は忘れてしまったけれどこの言葉は今でも覚えている。あとゾウを飲み込んでしまったウワバミの絵と、地球をむしばむバオバブの木の絵も覚えている。今読んでも、この言葉は大事だと思う。

 

 キングとテグジュペリが言うように言葉には限界がある。これは真実だと思う。

 言葉は完全ではない。だからこそ、私たちは何回もラブレターを書きなおすし、教習所で教官と車に乗ると、学科でならったこととは正反対のことを言われたりする。

 「愛」は、定義しようとする手をすりぬけてゆくし、車を運転する際に気をつける様々なことをいちいち書いていくには教本のスペースが足りない。その時のその人の状況によって、愛の定義も運転の仕方も異なるはずだ。

 

 もう正しいとか間違いとかそういう話ではなくなってきているのだと思う。世の中はどんどん複雑になって、情報は洪水のようにあふれていく。正義も真実も嘘も価値観の数だけ増えていく。学校の先生とか大変だろうな。正しいことを教えないといけないけど、真実は星の数ほどあるのだから。この時代において、教育は相当大変な作業にちがいない。誰かにとっての真実は誰かにとっての嘘だったりするのだ。彼の語る真実は彼女を傷付けたりする。このブログだってきっとそうである。真実を語ってるつもりが、嘘ばかりである。私は正義漢の皮をかぶった偽善者だ。でも自分では正しいことを書こうとしているつもりだ。

(つづく)

 

 

URL

大須にじいろ映画祭:http://osurainbowfilmfestival.org/

 

関西クィア映画祭(※2017年):http://kansai-qff.org/2017/

#8晴れの日。

 

 成人式は去年だった。成人式と言っても別に特別の日じゃなかった。むしろ面倒なイベントだった。朝起きてネクタイをしてスーツを着て成人式の会場に行くのだけれど、あまり楽しみではなかった。私は小学校を卒業した後は大阪の中学に行った。そしてそこで高校と大学に進んだから地元とは縁が薄かった。小学校時代以来の友達と会っても、何を話したらいいかわからないし、気まずいだけになってしまう気がした。

 市長がスピーチをして(西宮の市長はいろいろメディアで騒がれている人だがスピーチはとても良いものだった)、新成人代表がしゃべって、式は終わった。あっというまだった。

 そのあとはみんな会場の外で友達同士でしゃべっていた。私も偶然に小学校の友達と出会って昔話とかを話した。もう私のことなど忘れているのだろうと思っていたが案外みんな話しかけてくれて、ステキな再会がいくつかあった。そのあと私は、友達と別れて高校の同窓会に行ったのだけれど、結論を言うと成人式の日をかなり楽しめたのだった。

 

 今年は「はれのひ」の事件があった。メディアがこぞって社長の雲隠れをたたいて、二週間ぐらいたって社長が雲隠れから戻ってきて、またメディアにたたかれた。「メディアの個人たたき」が大嫌いなので、私はなんとなく社長が可哀想だなと思っていた。お詫びの連絡をしないこととか、最後まで電話に出なかったこととか、社会人としてはダメなことなのかもしれないけれど、正直メディアで取り上げるほどの話題ではないと思っていた。世の中にはメールに返信しない人やLINEを無視する人もいるけれど(私のことだ)、その延長線上にあるのがこの問題であって、そこまでひどいことではないように思った。他にもっと報道することはあると思うし、コメンテーターとか○○評論家とか呼ばれている人が社長の問題を非難するのは時間の無駄であるような気がした。私はクルドとトルコのニュースが知りたかったから、はれのひの話題で海外ニュースの尺が短くなったのことを癪に思っていたのだ。

 

 最近会った高校の友達ともはれのひの話をしたけれど、彼も同じ意見で「正直どうでもいいわ」と言っていた。成人式は一生に一度しかないと言うけれど、それは今日も明日も同じではないか。毎日が一度きりだし、今と言う一瞬も「いま」と叫んだ瞬間に終わるのだ。成人式だけが一生に一度だけではないのに、成人式にこだわる人は、毎日をかみしめて生きていないのではないかと批判的に思ったりした。

 

 ところが、最近であった女友達は全く違う意見だった。

「社長のしたことはありえない。成人式を楽しみにしている女の子を侮辱しているよ」そんなことを言った。彼女は21歳で、直接の被害を受けたわけではないけれど、成人式で着物を着れなかった子のことを考えると怒りがわくのだと言う。

 一目置いている人の意見だったから、私は少し考えた。

 

 例えば、私に娘がいたとして、娘が成人式に着物を着れなかったとしたら私はどう思うだろうか。悲しいのは間違いないけれどやはり私も社長に対して怒りを抱くだろうか。やはり怒るかもしれない。でもむしろ一緒に悲しむことや、娘の怒りをなだめることにがんばる気がする。まあ、そもそも一着50万もする着物など買えないと思うけど。

 

 じゃあ例えば、私が今年成人式を迎えたとして、友達の女の子が一人だけブルゾンを着ていて、どう見ても楽しんでいる雰囲気ではなくて、その理由が、お金を払ったのに着物が届かなかったことにあるとしたらどう思うだろうか。おそらくその時は怒りは抱かないだろう。落ち込んだ気分を和らげるために面白いことを言おうとするだろう。悲しんでいるより笑っている方が絶対いい。ただ、私は面白いことをなかなか言えないので、悲しみの上に気まずさがさらに加わって、かえって逆効果になりそうだ。

 

 もし私が女に生まれて、成人式に着物を着れなかったとしたらどう思うだろう。私は男で、着物を着たいと一度も思ったことがないからそもそも設定に無理がある。けれど、やはり悲しいに決まっている。ただ、怒りはわかないだろう。ブルゾンで出席する成人式も一度しかないのだ。そして払ってしまったお金はしょうがないから、節約したり、バイトを頑張ったりするだろう。たぶんそれだけである。

 

 と、ここまで書いて思う。私は案外建設的で、ポジティブな人間なのかもしれない。

 いや、他人の怒りを本当の意味で理解できていないだけかもしれない。まあどっちゃでもいい。

#7県民アイデンティティ

 

 目下のところ、東北地方を旅行中である。その旅行については他で書くとして、旅行中によくあるのは「どちらから来られたんですか?」という質問である。これはもう初対面で話す時の最も当たり障りのないテーマだと思う。辺鄙な場所であればあるほど、出身をきかれることが多い。

 

 私は西宮に住んでいる。でも近畿圏を出た場所で「西宮からきました」と言うと大抵「はてな」と不思議そうな顔をされる。「大阪ですか?」言われたりする。だが西宮は兵庫県である。西宮が神戸と大阪の丁度真ん中にあることを説明すると大抵納得してくれる。それから阪神甲子園球場とか福男神事といったことに話題を広げる。相手が若い人だったら西宮出身の鈴木亮平の名前を出す。年齢が上の方の時は佐藤愛子のことを話す。

 西宮の説明をするのが面倒な時もある。外国人としゃべっている時や、面倒な時はもう大阪出身と言ってしまう。大阪ならみんな知っている日本第二の都市だ。わざわざ西宮のことを語るよりも「大阪出身です」とする方が会話がスムーズに行くのだ。

 そして実際大阪出身というのも間違いでもないのだ。確かに実家があるのは西宮だけれど、西宮の小学校に通っていたのは3年間だけで、それ以降の中学と高校は大阪に通っていた。実は思春期の大半は大阪で過ごしたのだ。だから私は大阪出身とも言えるはずだ。もっと言えば予備校も大学も大阪だった。粉もんが好きだし、家にはタコ焼き機がある。西宮に住んでいるとはいえ私はもう大阪出身と言ってもよいのではないかと時々思う。

 だがしかし。「大阪出身です」と言うと、後に何とも言えない罪悪感が残るのだ。西宮と兵庫に対する申し訳なさである。普段は市民、県民としての意識はないのに不思議であるが、それは自分の住んだ町や育った町に対するこだわりや、大阪に対するひがみに由来するのだと思う。

 ただ困ることに「兵庫です」というのもまた違うのだ。そもそも「兵庫出身」と言うには兵庫は広すぎるのだ。日本海と瀬戸内海との両海に面した兵庫は北と南で気候も言葉も全くちがう。兵庫には大きく分けて四つの地域があるのだけれど、その阪神、播磨、但馬、淡路の四つでは文化が全然違うのだ。西宮は阪神地方にはいる。しかし「阪神」という名称がメジャーでないから「阪神出身です」といっても通じない。

 絶対に言いたくないのは「神戸出身です」である。神戸にいたのは一年間だけだし、何より神戸出身と名乗ることは西宮市民としての自我が許さない。大阪はもう大都会だから「大阪出身」とはぎりぎり言えるけれど、「神戸出身です」とは口が裂けても言えない。妙に意地を張ってしまう。神戸に負けたとは思いたくない。

 

 

 小学校卒業までに、尼崎、神戸、西宮の三つの学校に通った。別に兵庫県民であることを疑いもしなかった。今のように遠出をすることもなく、出身を尋ねられたこともなかったので自分のアイデンティティなんて考えないでよかった。

 大学に入って行動範囲がぐっと広がった。日本や海外を旅行するようになって自分のアイデンティティについて考えることが多くなった。出会う人の育った地域や、その場所の文化について聞くたびに、私は自分自身の通ってきた道と比較した。ゴーギャンのあの絵じゃないけれど、自分がたどってきた道のりを見返すのだった。そして毎回、自分の生き方が土地に根差していない浮ついた生き方であるように思えた。

 よくよく考えてみると私は、故郷を持たない根なし草のようなものである。私の祖父母は愛知で育ち結婚した。その後祖父の仕事の関係で北九州に住んだ後、阪神間に家を建てた。祖父の家族は今も愛知に住んでいるそうだが会ったことはない。本来ならば愛知県の小さな田舎町が私の故郷となったはずである。祖父の家族が代々生まれ死んでいった町で生まれ、私も死んでいったのだと思う。しかしそうはならなかった。先祖には縁のなかった尼崎、西宮に住むことになり、現在に至る。

 わが家には仏壇も何もなく、先祖の存在が感じられるようなものはなかった。時々祖父母の家に行ってときたま昔話を聞くだけである。

 

 果たしてこれでよいのだろうかと昔から思っていた。私の先祖は農民であったというが、私は彼らのように根差した生き方をしたいと高校の時分から思うようになった。生まれた町で生き、土地に根差した仕事をして、そこで子供をつくり、そして死にたかった。長い家族の歴史と伝統の中で自分も大河の一部になりたかった。

 しかし、そんなことは夢のまた夢である。都市に生まれ、育った私は土地に根差すことなく飄々と生きてゆくしかないのだろう。少し悲しい。

#6私の中のあなたがムクムク

 

 根に持ちやすい性格である。何年も前に言われた言葉をずっとおぼえていたりする。家族がふと言った言葉に未だに苦しめられたりする。

 その時の状況とか会話の流れとかはほとんど思い出せないのだけれど、その一言だけは記憶の淵から簡単によみがえる。帰宅中の電車の窓辺、きつい仕事の最中、深夜にリビングのテレビの前で酒を飲むとき。私を傷付けた言葉たちが突然、あいつの顔とともに脳の中を浮かび上がってくる。そのたびに傷付けられる。悲しくても何もできずに、私はただ彼らが遠くに行くのを待つ。悲しさと腹立ちが残る。

 しかしその怒りを向ける先は、現実世界にはもうない。記憶の中の彼はもう今の彼とは違うのだ。人間は学び、変化していく。だから、過去に私を傷付けた彼と現在の彼はもう違う人になっていたりする。

 同様に、記憶の中の彼もどんどん変わっていく。何年もそういった記憶にさいなまれ、そのたびに憎しみが再燃するということを繰り返すうち、記憶の彼はどんどん悪者になっていく。悪者になってますます私を攻撃する。落ち込んだ私はますます彼を憎む。その人が本当に悪人であるような気がしてくる。その人のやさしさや、快活さも、人としての良さも知っているはずなのに、段々思い出せなくなる。私を傷付けた人として彼を認識するようになる。私の中で彼がムクムク成長してゆくのだ。たちが悪い。

 

 むずかしいのだ。現実世界のあいつも、記憶の中のあいつもどんどん変わっていく。そして当然、私も変化している。

 それが人生だとわかっていても、複雑である。学校や職場で何食わぬ顔で話すけれど、心の中には消化しきれないものが積もっている。関係が近ければ近いほど澱みは深い。関係が悪くなった時や口論になった時、たまった怒りがいつか爆発してしまうと思うと怖い。

 あの時傷付けられたことを穏便に打ち明けることができたらどんなにいいだろうか。でもそんなことはできない。傷などなかったかのように毎日を過ごさないといけない。 

 

 

 おじいちゃんが言うには、いい記憶も悪い記憶も、いつかは「そんなことがあったなあ」と思える日が来るのだという。楽天家のおじいちゃんとネガティブな自分はだいぶ性格が違うけれど、いつかそう思えるようになりたい。

 それから自分自身、相手を傷付けないようにしようと思う。せめて「あの時、あなたにこう言われ傷付けられた」と打ち明けてもらえるような人になりたい。

 

# 5偏見で見るジャンル分け

 

 前のサークルは真面目な人が多かった。読書が好きな、あるいは他の人の読む本が知りたいという何人かで、グループLINEを作っていた。LINEのノートに読んだ本についての簡単な文章を各々ぽつぽつ書くようなことをしていた。好きな小説や読んだ面白い本のことを書けるから好きだった。ジャンルに関係なく小説も評論も、自己啓発も、みんながいろいろ書くから面白かった。サークルをやめてからもそのグループには居続けて、みんなが書く文章を読んでいた。

 最近グループの中で「ジャンルごとにグループを分けよう」という話が出た。その一言を言いだした彼が、4つのジャンルに分けてグループを新しく作った。分けられたジャンルは「ビジネス・経済」「文学・評論」「自己啓発・ハウツー」「古典・教養」だった。

 正直グループの移行って面倒だなと思った。ずぼらな人間だからどんな本を読んでもみんないっしょくたに同じグループに書く方が好きだった。でも言い出しっぺが全部やってくれたのでグループの移行はすんなりいった。ただ、ジャンル分けは好きじゃなかった。

 

 なんと言ったらいいだろうか。ジャンル分けというものを突き詰めていくと人と人との距離を遠ざけてしまうように思うのだ。感覚的な話で申し訳ない。それでも20年と少しだけ生きてきて思うのだ。ジャンルをいちいち作っていくと、ジャンルの中で仲良くなって、外にあるものを排除したり無視したりしていく。そんなことはないだろうか。世の中みんなジャンルで分けられて、ジャンルごとにまとまってお互いに交流しないようになっているような気がする。

 世の中いろんな人、いろんなものがあってその中で生きている。何一つとして無関係なものはないのに「あいつとは関係ない」と思っている人があまりにも多すぎやしないだろうか。そして、そういう意見を助長しているのはジャンル分けじゃないだろうかってなんとなく思う。

 

 浪人時代、予備校に通っていた。大阪、兵庫の有名な進学校の子が身の回りに多くいて「東大に入って官僚になりたい」とかなんとか言っていた。そんな彼らはびっくりするほど知見が狭かった。もう偏見でしかないけれど「この子はお金持ちなんだろうな」と思うことが何回もあった。

 そんな中高一貫男子高出身の彼らが官僚になったとしても、彼らの視る「日本」と庶民の視る「日本」の間には相当なギャップがあるのだろうなと思った。庶民というのが何かという話は置いといて、私は彼らの感覚に驚いた。勉強ができる彼らは、京大や東大に受かって官僚コースを進んでいった。私は彼らの合格をきいて、仲の良い彼らが受かったのはうれしかったが、一方で「こんな人が官僚になるのか」と思うと少し怖かった。そういうエリートの彼らだけでこの国が作られていくとしたらそれは怖かった。

 

 人間を区別する方法の一つに、学歴で分ける考え方がある。「中卒」だとか「大卒」のだとかいう”ジャンル”によって人は区別されていく。世の中を見ていると(といっても私はまだ20そこそこだけれど)そういった区別はもうほとんど生まれた時から存在しているらしい。生まれた家の経済状況や親の学歴によって子供の将来も大体決まってしまっているように思う。そして社会に出て、いったんジャンルによって分けられてしまうと、もう二度と交わることはないように思う。

 うまくは説明できないけれど、社会を分断しようとしている力があって、その力によって分けられているせいで、我々はお互いに無関心になっているような気がする。無関心が不寛容になって、社会はどんどん優しくなくなっているように思う。

 

 

 

 ふうっ。

 LINEグループの話からつらつら書いてしまった。だいぶ偏見が強い文章だけれど、みんなはどういう風に思うのだろう。意見が聞きたいところである。

 

#4妄想!シンギュラリティ!

 

 大学に入ると、AIだの人工知能だの、VRだの、そういう耳慣れない単語がにわかに聞かれるようになった。そういうものにとんと興味がなかったので、初めて聞こえてくる単語とそれについて話す人の多さにびっくりした。

 なるほど私の大学には工学部の学生が多かったし、AIの開発で有名な教授もいた。介護の現場から自動車の運転、気候変動の問題の解決まで、いずれはAIが全部やってくれるかもしれないのだ。AIの研究が人類の生活の向上につながるのだ。そんな未来にわくわくしている雰囲気をなんとなく感じた。

 周りにはAI研究にのめりこむ友達もいたし、文系だけどプログラミングを始めた友達もいた。AIに限らず、アプリの開発やビットコインといった新しいテクノロジーの開発に心躍らせる人がいた。

 私はそういったテクノロジーの発達や進歩はなんか違和感を感じた。友達や先輩がわくわくしているのを見て正直あほらしく思うこともあった。なんというかうまくは言えないけれどそれが本質だとは思えなかった。もはや便利な道具ではなく人間を弱くしてしまう道具のような気が漠然としていた。

 手塚治虫の漫画「火の鳥~未来編~」の中で人々がすべての決定を人工知能にゆだねたがために人類は絶滅する描写がある。私は小学生の頃読んで私は衝撃を受けた。その衝撃はかなり長い間続き、私はいろいろ考えた。こんな未来は来てほしくないと感じ、小さい私なりに思いつめた。

 人工知能の話題がにわかに盛り上がってきた時、私はそのシーンを思い出した。そして、開発に目を輝かせている人間に対して危機感や恐怖を感じたのだ。

 

 「正直な話をするとね、もうすべての職業がなくなっていくんだよ」

 お酒の席で工学部の友達がそんなことを教えてくれた。ニュースやなんかでAIの発達によって人間の仕事がなくなっていくのはなんとなく知っていたが、世間一般の人がそうであるようにやはり実感がなかった。「もう映画とか音楽とか小説もAIが作るようになるんだ」ハイボール片手に彼が熱っぽくそう言うのを、お酒でとろんとした頭で聞いていた。「そんな研究楽しいのかよ」ときいてみようかと思ったけれどやめた。酒を飲んだ頭で議論はしたくない。ただ、芸術の分野までAIが進出するのは意外だった。少し悲しかった。でもあり得ないことじゃないなと思った。

 

 そんな世界が本当に来てしまったらどうしよう。「火の鳥」を読んだあの日と同じように、私は家に帰る道中ずっと考えていた。「AIに仕事を取られないように自分にしか見つけないといけない」とそんな風に考えていたけれど、彼の話を聞いたところ、どうもそれだけではだめなようだった。もっと人間にしかできないことをできないといけないみたいだった。「じゃあ自分にしかできないことって何だろう」十三駅で電車を待ちながら考えていた。仕事とか就職とか将来のことを考えると頭が痛くなりそうだった。でもそのうち空想は、自分の将来から、AIが世にあふれた社会のことへと移っていき、すこし楽しくなってきた。

 

 いつかAIの貿易とかが始まるのだろうか。500年ぐらい前にヨーロッパ人が黒人奴隷の貿易を始めたように、AI三角貿易のようなものができたり、貿易摩擦でもめたりするのだろうか。アップル製のAIソニー製のAIの間に対立が起きて戦争や差別が起きたりしないだろうか。戦局が厳しくなると爆弾をかかえたまま自爆攻撃を仕掛けるAIがでてこないだろうか。殺人を犯したAIに対して最高裁が死刑判決を出して、それに抗議したAI達が一丸となって駅前で署名活動を展開して政治家の協力でAI基本法のようなものができるのだろうか。目の前の未来に希望を抱けない若いAIの自殺数が急増したりしないだろうか。やはりAIもいずれは人間の不完全さや感情にあこがれたりするのであろうか。あるいはカップルのどちらかがAIだったりするのだろうか。

  AIの彼女か………。文学の知識が豊富なAIなら、小説とか詩の会話が思う存分できて楽しいかもしれないな。

 

最寄り駅に着いてもアルコールで軟化した脳は妄想をやめなかった。ああでもないこうでもないと空想するのは楽しかった。北極星がきらきら光っていた。

そうこうしているうちに家についた。日付はもう変わっていた。布団に入ったところでやっと妄想がおさまって眠りについた。

#3カレーの配分

 

 私はカレーが好きである。

 特にインドカレーが好きで、グルメな母とよく行く。高校の最寄り駅にもおいしいネパール料理屋さんがあったし、今通っている大学の最寄り駅にもおいしいインドカレーの店がある。そういえば予備校の近くにも二つ、おいしいカレー屋さんがあった。

 私の人生の足跡をたどるとそこにはいつもカレーがあった。そう書くとそれはおおげさで恥ずかしい表現だけど、まあとにかく私はとてもカレーが好きなのである。

 カレー屋さんでカレーを食べる時、いつも気にしてしまうのが他の客のカレーの食べ方である。他の客の皿を覗くとそこにはいろいろな食べ方がある。

 

「なあ、カレーってどう食べる?」

 中学の時、部活が終わってみんなで帰るとき、そんなことを言いだした友達がいた。そんなことを言いだしたのは、彼のカレーの食べ方が親戚に「汚い」と言われたからだそうだ。カレーを食べる時、なんと彼はルーとライスを始めに全部かき混ぜてから食べるそうなのだ。

 そんな彼のカレーの食べ方に中学生の私は衝撃をうけた。とても汚い食べ方ではないか。そりゃ親戚に怒られてもしょうがない。しかし、驚いたことにそのような食べ方をしているのは彼の他に2人もいたのだ。びっくりした。

 私はカレーライスを食べる時はルーとライスの境界をひたすらに食べる、言わば「境界派」である。彼らのような「かき混ぜ派」のやり方は到底受け入れることができなかった。

 その会話があってから、カレー屋さんで他の人の食べ方が気になってしまうようになった。私のみるところ、同志「境界派」が多数を占めるように思える。しかし「かき混ぜ派」も以外に多く、10人中、23人ぐらいは「かき混ぜ派」であるように思える。さらにルーをルーだけで、ライスもライスだけで食べているようなマニアックな少数派もたまに見かける。

 ネットを見ると、カレーの食べ方にはいろいろ作法があるそうである。ただ、サイトによって書かれていることもまちまちで食い違ってたりする部分もあるので、たぶん好きな食べ方で食べると良いのだろうと思う。

 

 もう一つカレーを食べる時に気になることがある。配分である。

 大学近くのインド料理屋はナンを食べ放題なのであるが、そう言われるとついついナンばかりたべてしまう。大食いなので二枚も三枚も何を食べれるのだが、そうなるとナンにはカレーは少ししかつけない。ともすればナンだけを食べている時もある。

 おなかはいっぱいになるし、たくさん食べれるし、おいしいのである。

 しかし、いつも食べてから思う。「ナン食べ放題」の文字に釣られてナンを多めで食べてしまったばかりに、カレーとナンの丁度よいバランスで食べる機会を失ってしまったのではないだろうかと。私は少し残念に思うのである。  

 本当はどこかに、カレーとナンが丁度よくマッチして、最もおいしく食べられる配分があるはずだと感じているのだ。その「最高の配分」を見つける努力をせずに、ただ食べ放題だからと言ってナンを多く食べてしまったことが残念なのである。

 少し辛目のカレーライスを食べる時にも同じようなことが起こる。

 辛いカレーを食べる時、最後にルーだけを食べることだけは避けたいと思う。辛い辛いと言いながらルーだけ食べるなんて最悪である。そう思うと序盤は少しルーを多めに食べる。しかし中盤を過ぎたところできづく。「まずいぞ。このペースでいくとライスだけが余ってしまう」と。そこから私はライスを多めで食べ始める。しかし努力報われずいつもライスだけが余ってしまうのだ。

 食後、ナンを食べ過ぎた時と同じような落胆が残る。私は本当にこのカレーをおいしく食べられたのかどうか考えてしまう。

 

 

 この配分の話はものごと全般にもつながっているような気がする。私はいつも物事に取り組むとき、どこかに正しく、全く合理的な道筋があるように思う。しかし、いざものごとにとりかかると、そのような道筋は見えてこない。ただ努力するだけなのである。

 その昔、小学校の時分はものごとはもっとシンプルだった。勉強するにしても、勉強をする方法は簡単に分かった。中学になっても勉強法は簡単なままであったが、部活でやっていたサッカーをうまくなる方法はわからなかった。同時に親との会話もどうしたらいいのかわからなくなった。高校に入ると勉強法ですらわからなくなった。人間関係なんてなおさらわからなかった。それでも私は、どこかに全ての物事にうまくやるコツがあるような気がしていた。

 人生は進むにつれて複雑になるらしい。私もわかっているはずである。一番早い方法はものごとにコツコツと取り組むことなのだ。結局はそれが一番の早道なのだ。それでも私は、うまくいく方法がどこかにあるような幻想を抱いてしまう。海を割ったモーゼのように、膨大な情報をシンプルにしてくれるようなものがどこかにあるようなきがするのである。

 そうこうしているうちに私は大学生である。それはもう、本当にわからないことだらけである。授業の選び方、留学の是非、奨学金のこと、就活のこと。挙げて行けばまだまだある。そうしたものごとや悩みをすっきりさせて、陰陽を二分させる光を私は探してしまう。

 カレーから始まった話だとしたら、これは大げさだろうか。