シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#3カレーの配分

 

 私はカレーが好きである。

 特にインドカレーが好きで、グルメな母とよく行く。高校の最寄り駅にもおいしいネパール料理屋さんがあったし、今通っている大学の最寄り駅にもおいしいインドカレーの店がある。そういえば予備校の近くにも二つ、おいしいカレー屋さんがあった。

 私の人生の足跡をたどるとそこにはいつもカレーがあった。そう書くとそれはおおげさで恥ずかしい表現だけど、まあとにかく私はとてもカレーが好きなのである。

 カレー屋さんでカレーを食べる時、いつも気にしてしまうのが他の客のカレーの食べ方である。他の客の皿を覗くとそこにはいろいろな食べ方がある。

 

「なあ、カレーってどう食べる?」

 中学の時、部活が終わってみんなで帰るとき、そんなことを言いだした友達がいた。そんなことを言いだしたのは、彼のカレーの食べ方が親戚に「汚い」と言われたからだそうだ。カレーを食べる時、なんと彼はルーとライスを始めに全部かき混ぜてから食べるそうなのだ。

 そんな彼のカレーの食べ方に中学生の私は衝撃をうけた。とても汚い食べ方ではないか。そりゃ親戚に怒られてもしょうがない。しかし、驚いたことにそのような食べ方をしているのは彼の他に2人もいたのだ。びっくりした。

 私はカレーライスを食べる時はルーとライスの境界をひたすらに食べる、言わば「境界派」である。彼らのような「かき混ぜ派」のやり方は到底受け入れることができなかった。

 その会話があってから、カレー屋さんで他の人の食べ方が気になってしまうようになった。私のみるところ、同志「境界派」が多数を占めるように思える。しかし「かき混ぜ派」も以外に多く、10人中、23人ぐらいは「かき混ぜ派」であるように思える。さらにルーをルーだけで、ライスもライスだけで食べているようなマニアックな少数派もたまに見かける。

 ネットを見ると、カレーの食べ方にはいろいろ作法があるそうである。ただ、サイトによって書かれていることもまちまちで食い違ってたりする部分もあるので、たぶん好きな食べ方で食べると良いのだろうと思う。

 

 もう一つカレーを食べる時に気になることがある。配分である。

 大学近くのインド料理屋はナンを食べ放題なのであるが、そう言われるとついついナンばかりたべてしまう。大食いなので二枚も三枚も何を食べれるのだが、そうなるとナンにはカレーは少ししかつけない。ともすればナンだけを食べている時もある。

 おなかはいっぱいになるし、たくさん食べれるし、おいしいのである。

 しかし、いつも食べてから思う。「ナン食べ放題」の文字に釣られてナンを多めで食べてしまったばかりに、カレーとナンの丁度よいバランスで食べる機会を失ってしまったのではないだろうかと。私は少し残念に思うのである。  

 本当はどこかに、カレーとナンが丁度よくマッチして、最もおいしく食べられる配分があるはずだと感じているのだ。その「最高の配分」を見つける努力をせずに、ただ食べ放題だからと言ってナンを多く食べてしまったことが残念なのである。

 少し辛目のカレーライスを食べる時にも同じようなことが起こる。

 辛いカレーを食べる時、最後にルーだけを食べることだけは避けたいと思う。辛い辛いと言いながらルーだけ食べるなんて最悪である。そう思うと序盤は少しルーを多めに食べる。しかし中盤を過ぎたところできづく。「まずいぞ。このペースでいくとライスだけが余ってしまう」と。そこから私はライスを多めで食べ始める。しかし努力報われずいつもライスだけが余ってしまうのだ。

 食後、ナンを食べ過ぎた時と同じような落胆が残る。私は本当にこのカレーをおいしく食べられたのかどうか考えてしまう。

 

 

 この配分の話はものごと全般にもつながっているような気がする。私はいつも物事に取り組むとき、どこかに正しく、全く合理的な道筋があるように思う。しかし、いざものごとにとりかかると、そのような道筋は見えてこない。ただ努力するだけなのである。

 その昔、小学校の時分はものごとはもっとシンプルだった。勉強するにしても、勉強をする方法は簡単に分かった。中学になっても勉強法は簡単なままであったが、部活でやっていたサッカーをうまくなる方法はわからなかった。同時に親との会話もどうしたらいいのかわからなくなった。高校に入ると勉強法ですらわからなくなった。人間関係なんてなおさらわからなかった。それでも私は、どこかに全ての物事にうまくやるコツがあるような気がしていた。

 人生は進むにつれて複雑になるらしい。私もわかっているはずである。一番早い方法はものごとにコツコツと取り組むことなのだ。結局はそれが一番の早道なのだ。それでも私は、うまくいく方法がどこかにあるような幻想を抱いてしまう。海を割ったモーゼのように、膨大な情報をシンプルにしてくれるようなものがどこかにあるようなきがするのである。

 そうこうしているうちに私は大学生である。それはもう、本当にわからないことだらけである。授業の選び方、留学の是非、奨学金のこと、就活のこと。挙げて行けばまだまだある。そうしたものごとや悩みをすっきりさせて、陰陽を二分させる光を私は探してしまう。

 カレーから始まった話だとしたら、これは大げさだろうか。