80歳まで生きられるとして、人間が一生に生きる時間は4000週間しかないらしい。昨日読んだ本の冒頭にそんなことが書いていた。そう考えると一生はとても短い。私は今26歳で既に人生の3分の1を生きたことになる。残りの時間は2600週余り。これから1日に1円ずつ貯金しても1万5千円も貯まらない。そんなことを真剣に考えているとパニックになる。もっと時間を大切に使うべきなのではないのか。目の前にあるこの仕事は本当にやるべきことなのか。この仕事の意味とは? いやそもそも人生に意味はあるのか? 私がここにいる意味とは? 母と父、結婚と離婚、そして祖父母。偶然と偶然が掛け合わさり私がたまたまここにいる。そしてどういうわけか箱根のゲストハウスで働いている。秋の空は高く軒先の百日紅の葉が黄色く染まって散る。明日も玄関先の掃除が必要かもしれない。窓の向こうに見える明神ヶ岳の雑木も色づいてきた。巡る季節の中で私も老いていき、いつかは風の中の塵になる。さっき交わした会話、5時のチャイム。山の中で聞いた鹿の鳴き声も、この前嗅いだ金木犀の香りも、全て無かったも同然になる。実家の机の中に忘れ去られたガラケーもその中に閉じ込められた高校時代のたわいないやり取りも、いずれ誰の記憶からもなくなり、あったかどうかさえ確かでなくなる。残りの人生について考えるとどうしても感傷的になってしまう。もう。嫌になるなあ。
死んだ人は生き返らないということに思い至り、伯母の家のトイレで泣き出したのは4歳の時だった。当時の私は、ある理由で突然父親と会えない状況になり、父親の顔を忘れまいと毎晩父親の顔を思い浮かべてから寝ているような時期だった。ある日、保育所のカレンダーを見て、1990年代が終わって2000年になっていることに気づいた。父親がいた時代は90年代だったのに時間はとうに過ぎてもう2000年だった。2000という数はとてもキリが良くて、記念すべき数字であるように思えるのに、誰も2000年になったことを私に教えてくれなかった。「誰か、2000年になったことを私に言ってくれたらよかったのに!」そういうことを保育所の先生に言い、先生は困ったように笑った。その日は今日と同じような秋の日で、肌寒さを感じる頃だった。
その次に思い至ったのは「私はもう父親と過ごした90年代に戻れない」ということだった。怖くなった。「それって帰りたいあの頃にもう戻れないってこと?」父親のことも父親の家も、父方のおばあちゃんのことも、もうぼんやりとしか思い出せなくなっていた。庭に面したガラス戸から光が差し込む廊下。またがって遊んだ掃除機、小さなボールプール。朧げな景色は浮かぶけれど、それをどのようにして記憶に留めておけばいいのかわからなかった。ただただ忘れないようにしたいと強く思い、そしてあの頃に戻りたいといつも思っていた。
「○年の○月の○日の○時○分○秒というのは、一度しか来ないの?」周りの大人に訊いて回った。
そんなの当たり前だよという顔で、大人たちは笑った。誰に聞いても笑っててあたりまえだということが不思議でたまらなかった。「今」は一度しかないのに、どうしてみんな「普通」の顔でいられるのか?
ひいばあちゃんのお葬式を思い出した。みんなが黒い服を着て、退屈だった。初めて見る「コンペイトウ」という名前のトゲトゲしたお菓子を食べた。親戚の知らない子がいて少しだけ一緒に遊んだ。
「死ぬ」ということがどういうことか、お葬式ではわからなかった。でもトイレで泣き出す直前、「死ぬ」ということがどういうことかわかった気がした。時間が戻らないように、死んだ人も帰っては来ないのだ。
そして恐ろしいことに、1999年が終わって2000年になっても、あるいは誰かが死んでも、時間は止まらないのだ。昨日までと同じように地球は太陽の周りを回り続け、月は地球の周りを回る。誰も待ってはくれない。死んだ人は時間の流れから切り離されて、ずっと死んだままそこに留まるというのに。
宇宙の広大さを思った。その中で自分は一人ぼっちだと思った。この広い宇宙の中で、この悠久の時間の流れの中で、自分というのは何て小さくて取るに足らない存在なのだろう。大人と一緒にいて可愛がられていても、友達とお遊戯しても、結局私たちは皆ちっぽけな存在なのだ。そんなのあんまりだと思った。もし明日自分が死んだとしても、みんなは私のことを置いて先に進んでいく。私が死んだ後も、死ぬ前と同じように日常は続く。太陽も月も風も、私の死など気にも留めないだろう。耐えられなかった。でも大人たちは私がどうして泣いているのかわからないようだった。
その日、私は完全に時間の流れに取り込まれた。時間を意識しなくても生きることができた幼年期は、さよならもなしに、既に遠くに行ってしまっていた。
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