シゲブログ ~避役的放浪記~

些細な出来事、思い出、映画や音楽、フィクションと詩

#46 障害について思うこと

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 目下のところEさんの頭の中には肉のことだけ。リビングで食事をする他の人のお皿から肉片をかっさらおうと機会をうかがっているのだ。「もうご飯も食べてココアも飲んだでしょう? お風呂にも入ったんだからお部屋でゆっくりしてください」と言って制止する私。自分の声がなんだか遠くから聞こえる気がする。Eさんは私の眼を絶対に見ない。私の肩ごしに、テーブルと食事の乗ったお膳を見つめている。

 来所した瞬間から「ごはんごはん」と言うから、Eさんには6時になる前に夕食を食べてもらった。夕食の後はお風呂。それを住むと「ココアココア」「クッキークッキー」と言ってリビングに来る。ショートステイでは夜8時になるとティータイムといってコーヒーやココアと一緒にお菓子を食べるのだけど、やることがなくなってしまったEさんは早くココアを飲みたいと言う。仕方がないからココアを作る。「まだ6時半を過ぎたところなんだけどな」なんて呟くけれど、Eさんは耳を傾けるわけもない。頭の中で今日はいつもよりハードになりそうだと考えている私。

 案の定Eさんは個室に帰ってからも落ち着かず、何回もリビングに来た。他の人の食事を邪魔するばかりか食器の上のお肉を手づかみで取ろうとするのでEさんがテーブルに近づくのを阻止しないといけない。リビングに入ってこようとするその体を何度も何度も押し返さないといけない。肥満体の体は私の両腕を跳ね返し、私はリビングの方へ後退する。私はアメフトのディフェンスラインを思い浮かべながら再度Eさんを押し戻す。

 障害を持った人が利用するショートステイで働き始めて、私と利用者の違いについてよく考える。私はいわゆる「健常者」で彼らは「障害者」と一般的には言われる。でもバイト中、「私は彼らとそこまで違うのか?」と自問することがよくあって、答えはでない。

 一日に三食食べるとか、昼に活動して夜には寝るとか、歯磨きをするとか。そういうのがこの社会では「当たり前」のこととされていて、たいていの人はこの「当たり前」を当たり前にこなすことができる。逆にこのルールに従えない人は社会にいづらくなっている。小学校の友達に、体質的に朝起きるのが特別に苦手な子がいて、それはたぶん「障害」に入るのだろうと今となっては思うけれど、もし地球に生きているのが彼女一人だったならそれは「障害」とは言えない。あるいはこの世に生きるほとんどの人が早起きできない体質を持っていたなら、彼女は「障害」を抱えていなかっただろう。むしろ、夜行性の人がマジョリティである世界では、逆に昼行性の人こそ「障害者」となってしまうのかもしれない。結局「障害」の有無は社会との関係で決まるのだと思う。

 

 YouTubeを見ていた。集まったボディビルダーの前でオードリーが漫才をする動画を見つけた。ボディビルダーにうけるネタを作って笑わせるのが趣旨のようだった。プロテインを飲むタイミングとか、夜に糖質を摂らないとか、ジムではトレーニング後のマシンを拭かないといけないとか。そういうボディビルダーの「あるある」が漫才には盛り込まれていて、マイクの前で筋肉たちが笑っていた。

 中盤、有名なボディビルダーの名前を春日が出して、若林が「誰なんだよ!」ってつっこむ場面があった。動画を見ている私も、ターゲット漫才を企画したテレビ局の人も、視聴者も誰もその有名なボディビルダーのことは知らない。でもオードリーの前に座っているボディビルダーたちにとっては有名人で、だからみんな笑っている。「ボディビルダーにとっては常識なのに自分だけ知らないというのは変な感じがした」みたいなことを楽屋で若林が言っていた。「バカの人になった気がしました」

 

 初めて心療内科という場所に行った時、怖かった。自分が「障害」を持っていると宣告されるのは恐怖でしかなかった。医者は「障害」については明言せず、「思春期特有のうつ状態です」みたいなことを言った。私は16歳だった。安堵した。

 それ以降も、どう考えても自分に精神「障害」があるとしか思えない、と思う瞬間があった。ただ、心療内科に行くのはいつも怖かった。「障害があります」と言われたが最後、社会に置いてけぼりにされる気がした。その逆の時もあって、つらい日には、できることなら「障害」を言い訳にしたい、なんて思ってしまう。そんな時「うつ病」の診断は免罪符のように感じられるのだった。実際にうつ病で苦しんでいる人に失礼だし、仮に病名がついたとしてもつらいのは何も変わらないだろう? 何度も言い聞かせる。

 

「この前、自分の自閉傾向を調べてみました」

 校長が朝礼で話し始めた時、しゃべり声がやんだ。寒い朝だった。話が進み、校長が「テストの結果、私の自閉傾向は、障害ではないものの、一般と比べると高いことがわかりました」と言った瞬間、さざ波のような笑いが体育館に広がった。

 静かな水面にしずくが落ちたようなその光景を見て、どうしてかはわからないが、憂鬱な気持ちになった。体育館の気温がまた一度下がったような気がした。おそらく校長の話を自嘲的なものと捉えた人が多かったのだと思うけれど、逆立ちしても笑う気にはなれなかった。校長はどう考えても真面目に話していた。たぶん、誰もが正常でなくなる可能性を持っていることを言っていたのだと思う。

 「今のボールは線を踏んで投げたからセーフ!」なんて当てられた子が主張することが小学校のドッヂボールでよくあったけど、「障害」のあるなしなんて突き詰めていけば線を踏んだとか踏んでないとかそんなもんだろうと思う。社会がうまく回るために「障害がある」とか「障害がない」と言った言葉を便宜的に使っているだけで、その人の根っこはその人だ。もちろんいろんな「障害」があるわけだし、その人その人の苦労もあるとは思うけど「障害」という文字に惑わせられて、個性や性格、性質が見えなくなるのは悲しいなと思う。

「今の球はボールだ!」「いやストライクだ!」なんて争っても仕方ない。なによりも私は私で、あなたはあなたなのだから。

 

 

〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。

 

二月五日(水)

 夕食時、大山さんがニヤニヤしながら私をみている。私の眼鏡がおかしいと言っては笑うのである。実際私が眼鏡をかけた姿は滑稽である。私は眼鏡をかけたときは、自分の存在の滑稽さを認識させようとしている。滑稽さはあるときは救いであり、またあるときは嫌悪である。だが、それを演じているのだという意識、本当の自分はもっと別のところにあるのだという意識は私の心を救う。