シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいる者です 文章を書くのを仕事にするのが目標です。夢は世界一周です

#115 何でもない日々(2)

 従兄弟の家から帰って、リビングでテレビを見た。女芸人No1決定戦The W。令和になっても「女芸人」という表現が残っているのはどうなのかしらと思うけれど、お笑いの世界では「男」がマジョリティで、それ故に光が当たらない「女」芸人がいるからこそ存在する大会なのだろう。「男」芸人No1決定戦は存在しないけれど、The Wは存在する。ある意味アファーマティブアクションなのかもしれない。それはともかく、オダウエダとにぼしいわし、それからAマッソが見たかった。彼女らのネタを地上波で見られることはあまりないのである。期待は裏切られず、みんな面白かった。3組だけじゃなくて、優勝した吉住さんの一人コントも、ぼる塾の漫才の独特の間も、他の人達も。

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 表現っていいなあと思う。もちろん遠くから観てるから思うことである。養成所もライブシーンもテレビの現場も、大変なことばかりだと思う。ラジオを聴いている限り、オードリーやバカリズムのようなレベルの芸人になっても悩むことがあるようだ。すごいなあと思う。私はずっと何かしらの表現者になりたいと思っているけれど、彼らのような覚悟はあるだろうか。

 それから年齢のこと。吉住さんは芸歴6年目の31歳。2008年のM-1グランプリで一躍有名になった時、若林正恭30歳で早生まれの春日俊彰29歳だった。Aマッソは32歳と31歳だけれど未だに「ネクストブレイク」と言われている。彼女の他にも——以前にも以後にも——「ネクストブレイク枠」の芸人はたくさんいて、何人かは「ネクストブレイク」のまま忘れられていく。林芙美子が『放浪記』の連載を始めたのは25歳の時で、三浦しをん23歳の時に第一作『格闘する者に』を出版している。時代も状況も違うけれどチェーホフなんかもっと早くて、医学生だった彼は生活費を稼ぐために20歳になる前から雑誌に短編を書いている。スティーブン・キングが『キャリー』を出版するのは26歳になってからで、それまで教師として働きながら原稿を雑誌に送る生活を続けていた。ところで私は来年25歳になる。私は何かを成し遂げられるだろうか。「何か」がまだ固まっていない時点でもうすでに遅すぎる気がする。

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表現とは

 火曜日の授業はクラスメイトのプレゼンを聴く授業だった。昨日までに私も映画のプレゼンの原稿を先生にメールで送らないといけなかった。キラ・ムラトヴァの『長い見送り』について書いているのだけれど、なぜ私がこの映画が好きなのか考えれば考えるほど言葉にするのが難しくて、しかも曖昧なイメージを日本語ではなくロシア語で書かなくてはならないからどうやってもうまく行くような気がしない。でも好きな映画だからちゃんと表現したい。なんて手をこまねいているうちに期日が来て、過ぎてしまった。ソビエト映画におけるヌーベルバーグの影響、厳しい検閲、『長い見送り』の母と子の関係が私の家とよく似てること。アイディアも書きたいこともとめどなく浮かぶのに、実際に動き出せない。こんなことばかり繰り返しているうちは何も成し遂げられないだろう。そんなことを考えながらプレゼンを聴いていた。

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ウラジオストクの海。『長い見送り』にはこんな感じの海が出てくる

 

 存続の危機にあるらしい外国語学管弦楽団が署名活動を展開していて、私も署名をした。そうしたらポッキーをもらった。1年と半年ぐらい同じ教室で勉強しているけれど、クラスlineで署名の呼びかけがあるまでその人が管弦楽団に所属していることを知らなかった。そもそも今まで話したことが少ない。集中講義のウクライナ語の授業の時に一回話しただけだ。別にその人だけでなくて、せっかく長い時間一緒に過ごしているのにクラスメイトについてほとんど知らない。もったいないとは思うけれど、共通の話題もそんなにないし、私も彼らもみんな忙しいのだ。2留している——厳密にいえば最初の1年は休学なので、11留である——クラスメイトは署名をしたお礼にポッキーをもらえて嬉しかった。

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ポッキーとムラトヴァ

 

 Uから久しぶりに電話があった。京畿道のどこかを彼女は運転していた。営業の帰り道で、運転中暇だから電話したのだという。北大阪にいる私は課題をしながら、小一時間つらつら話していた。時折聞こえるウインカーやクラクションの音が、運転しているUの顔や韓国の冬の夜を私に想像させた。今の仕事では韓国語か英語しか使わないので、日本語を忘れてしまったとUは言ったけれど、そもそも3か国語をしっかり話すことができるのがすごいと思う。私はロシア語を5年勉強しているけれど、全然駄目である。今ここでUFOキャッチャーにつまみ上げられて、ロシアのどこかの都市に振り落とされても、私はサバイバルできない。

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ソウルでUに連れていってもらったお店

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お腹が空くね


 韓国では
COVID19の感染者が増えてきて一日に1000人程度いるらしい。日本はどうだろうと思って調べたら日本は2400人だった。京畿道のどこかに、私はCOVID19に感染して回復したスペイン語の先生から聞いた話をした。救急車で運ばれた先生は、結局10日もの間入院していたらしい。先生がしてくれた授業の始めにした話はかなり壮絶で、zoomの授業から退出する際、先生に何か気の利いたひとことを言おうかと思ったぐらいだった。しっくりくる言葉を探しているうちにzoomの部屋は消えてしまった。「お大事に」も違うし、「回復されてよかったですね」も何か変だ。言いたいことが言えない歯がゆさがある。インターネットで調べると「退院した上司に送るお祝いメールの文例」というページがあった。紹介されている表現を一通り見たけれど、奥歯に物が挟まったような文章ばかりだった。どの表現も無機質で心のこもっていない感じがした。気持ちが悪い表現を作ろうと思えばいくらでも作れる稀有な言語だと思う。日本語はしっかり話そうと思うと遠くなるし、崩すと急に距離が近くなってしまうとも思うのだけれど、どうだろうか。誰かに話しかける時、適切な日本語で適切な距離間を表現したいのだけれど、いつも難しい。

 ちなみに「酸素マスク」は韓国語でも同じ発音だそうだ。「後遺症」はカタカナにすると「フユッジュン」で日本語の発音と大きく違うように感じるけれど、同じ漢字から派生した読みだとUは言っていた。キムギドクが死去したニュースの報道が韓国と日本では大きく違う話をしているうちにUのドライブは終わって電話は切れた。元気そうでよかったとスマホを見つめながら思う。行ったことのない京畿道のどこかについて考えながら私はスペイン語の課題に取り掛かった。

 

 【ひとこと】

 (3)に続きます

  

【今日の音楽】

ロシアのバンドです

youtu.be

 

 

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