シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#68 Blue Days

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〈詩のコーナー〉

Blue Days

 

あなたはいないこのドアのむこう

あなたはいないこの夜の街にも

悲しくなんかないさびしくなんかない

 

七夕なんて毎年雨降り

シャワーのあとでコーラを飲んでる

テレビつけたまま暗がりの中で

 

帰りに買ったバニラのアイスバー

逃げ出したいのぬるま湯の日々から

夢だけ見ている月夜の窓辺に

 

カラスがとまる螺旋の階段

夕凪の街急に雨が降る

白くなる世界誰もいない路地

 

黒いアスファルトすき間に咲いた花

風のむこうの優しい思い出も

静かに消えていく全てが無に帰る

 

未だ鮮やかな青春の残像

とらわれている古ぼけたルールに

ラジオは流れても誰もいない空

 

幸せなんてつかめるはずもない

掬ってみてもあとから逃げてくの

絶え間なく続く真夏のメロディー

 

季節は巡る頼んでもないのに

カレンダーの絵はどこかの砂浜

握りしめている遠い日の痛み

 

かもめがとんだそのあとの一瞬

行くあてもない今夜は熱帯夜

オレンジの光長い夜が来る

 

沈んだ湯船明日を覗いている

夢ばかり見ても仕方がないのに

二度と帰れないあの夏の匂い

 

プールのあとの熱くなった体

体育座り灼けたマンホールも

探し求めている記憶のほとりで

 

電話は切れた誰も出ないままに

消えたくなるのこんな夜更けには

また繰り返してる最初の夏休み

 

あなたはいないこのドアのむこう

あなたはいないこの夜の街にも

悲しくなんかないさびしくなんかない

 

幸せなんてつかめるはずもない

掬ってみてもあとから逃げてくの

絶え間なく続く真夏のメロディー

 

電話は切れた誰も出ないままに

消えたくなるのこんな夜更けには

また繰り返してる最初の夏休み

 

 

 

〈付録『地下室の手記』〉

 ドストエフスキーの中編小説です。読んでいくと、主人公と私がとても似ているように思えます。感じやすいくせに頭でっかちで理屈をこねて自らを正当化し、世界を憎みながら日々を過ごしている。少しグロテスクな主人公なのです。私はどうにかして主人公を反面教師にしないといけない。そう思います。でもそれはとても難しいです。手元にあるものは新潮社から昭和四十四年に出ている江川卓の訳の五十七刷です。

 

74

第二部《ぼた雪にちなんで》1

 

 同僚とのつき合いは、もちろん、長くはつづかないで、じきにぼくは彼らを見かぎってしまった。そして、当時のぼくの若さと無経験から、それこそ絶交でもしたように、あいさつすることもやめてしまった。もっとも、これはぼくの生涯にただの一度しかなかったことである。がいしていえば、ぼくはいつも一人だった。

 まず第一、家にいるときは、ぼくはたいてい本を読んでいた。ぼくの内部に煮えくり返っているものを、外部からの感覚でまぎらわしたかったのである。ところで、外部からの感覚のなかで、ぼくの手のとどくものといえば、読書だけだった、読書は、むろん、たいへん役に立った。興奮させたり、楽しませたり、苦しめたりしてくれた。しかし、それでもときどきはおそろしく退屈になった。 

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#67 ××××!

 

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※血と刃の描写があります。苦手な人は注意してください

 

 最近どうにもいかない。気分が落ち込む周期にいる。ずっと後ろ向きのことを考えていて、寝ている時だけが幸せである。

 昔は「死にたい」と思う度に世界の色が変わったものだけどそんなのはもう何もない。口に出しても何も思わなくなってしまった。

 手首を切る想像を毎日1回くらいしている。つらい時、失敗した時、うまく言えなかった時。気づくと脳みそが動く。グロテスクなシチュエーションを想像してしまうのは昔からで、ふとした拍子、無意識に刃物や血、交通事故等々を頭に浮かべてしまう。自分で勝手にグロテスクを再生し、勝手に息をのんだりしている。眠れない夜、自分がのった自転車がトラックに轢かれるその瞬間に喉がヒェッと鳴ったり足がビクッとなる。脳が勝手に想像して、体が無意識に反応するのだ。少々不気味だ。だがそれも本当の心では自作自演なのかもしれない。そんなことをやって人と違う特別な自分を演出しているのかもしれない。今、眼を閉じて手首にあてる刃の感じや痛みや流れ出る赤色を脳裏に浮かべると、喉が鳴って胃のあたりが少し縮む。

 こんな世の中なのにみんなは死にたくなったりしないのだろうか。本当に不思議だ。これからの時代、夢も希望も何もない。気候変動も少子化年金問題も、どんどん雪だるま式にひどくなって、生きるのがしんどくなるに違いない。子供を育てるのも親の面倒を見るのも老後を過ごすのも今より厳しくなる。人生100年時代なんて嘘っぱちで、最先端の医療が受けられるのは限られた富裕層だけだ。

 

 最近気づいたこと。どうやらみんなはそれほど感じないらしい。世間をにぎわすニュースや社会情勢、海外の紛争や国会前のデモについて私が感じていることを話してみても、みんなピンとこない感じである。長らく家に引きこもっていた人たちが絡んだ一連の事件に対して思うことがたくさんあったのだけど、それを話せる人は周りにいなかった。話してみてもしっくりこなかった。もちろん他人の脳みそを(そして痛みを)1から100まで知ってるわけじゃない。でも自分の感覚が他人より鋭敏なのは間違いないように思う。「敏感」「繊細」「感じやすい」。別に言葉なんてどうでもよくて、要するに私の感覚はどうも多くの人とは異なるようなのだ。ある意味それは思い上がりで、私は自分が他人より優れていると思い込みたい現れでもある。絶望できる自分がかっこいいと思っている節もある。「死にたい」なんて言うのは賢いから。人とは違うものを見ているから。そういう風に思っていたし、今も思っている。全て、ある意味で当たっていてある意味では間違っている。自分でも訳がわからない。

 排他的な選民思想のようなもので、私は他の人間を、ことに私のように絶望しない人間を見下し軽蔑している。こんな世の中なのにどうして楽観的にいられるのだろうか。つまるところかれらは真剣に考えていないのだと思う。そして軽蔑する。

 他方では羨ましくて仕方ない。彼らの人生や選択はシンプルに見える。くよくよ悩んだりせずにてきぱき動いている。私にないものをすべて持っている。もちろんこれも幻想で、ただ隣の芝生は青く見えるだけのことである。でもそんなことはわかっている。他人の生き方がラクに見え、妬ましく思うことが最近多い。がっかりである。こんなはずじゃなかった。相反する感情が何層にも重なって、もう自分でもよくわからない。私は矛盾ばかりである。

 

 「死にたい」と初めて思ったのは小学校低学年。悪い子の私は失敗作だった。失敗作は死なないといけなかった。地獄のような日々だった。「自殺した人」をウィキペディアで調べてそのリストを聖人のようにしている時期もあった。『ニ十歳の原点』も金子みすゞの詩が好きなのもそういう側面があるからだった。自殺した人物が残したものから、自分との共通点を探し出すことが好きで、感じているのが自分だけじゃないと知って安堵していた。そして自分が特別な存在であるように思い込もうとしていた。

 

 今現在、別に死に対してはっきりとした憧れがあるわけではない。今日明日に思い切るなんてことはないので安心してほしい。どちらかというと「死にたい」というよりは「消えたい」という方が正しい。自分の今までの人生とか自分の存在自体を消し去って、全部なかったことにしたい。実際、全部夢とか冗談だったらいいのにと本気で思う夜もある。そう思って今までの人生を振り返るとなんだか他人の人生のような気がしていくらか心が休まる。映画『リトルミスサンシャイン』でポール・ダノが言っていたみたいに、今眠りについてまた3年後ぐらいに目覚めたい。現実はつらくて、呼んでもいないのにまた朝が来て、季節も変わって、私はまた一つ年をとる。進級も進学も就活もキャリア形成もいざ現実にすると強い。今までの人生で夢ばかり見てきた私は妥協したくない。夢を見ていたい。かといっても、このまま逃げ続けることは不可能だ。悩み悶々としていると、いよいよ死ぬことが究極の逃げ道であるように思えてくる。

 部活の帰り道に友達が「自殺する人は死後の世界に何か楽しいことがあると思っているんやろ?」と自説を展開したことがあったけどそれは間違いだ。現代の日本で自殺する人の多くは死後なんて信じていないと思う。生が苦しくて死に逃げるのだ。もし逃げることが負けなのだとしたら、誰かが言った「死んだら負け」なんて言葉は正しい。もちろんそんな風には全く思わないけど。自殺についてわかっているのは自殺した人だけだ。生きている人は後から何でも言うことができるけど、そこに真相なんてあるわけがない。

 

 今日もまた一日が始まるけれど、私に救いの日なんて来ない。格闘し、もがきながら死んでいくのだと思う。理由を探しながら意味がわからないままに死ぬのだ。いいかげんあきらめたほうがいいのかもしれない。あきらめたら疲れなくていいかもしれない。

 

 

〈付録『地下室の手記』〉

 ドストエフスキーの中編小説です。読んでいくと、主人公と私がとても似ていることがわかります。どうにかして主人公を反面教師にしないといけない気がします。いくつか訳はあるみたいですが、手元にあるものは新潮社から昭和四十四年に出ている江川卓の訳の五十七刷です。プロ野球選手と関係はないです。

 

70

第二部《ぼた雪にちなんで》1

 

 当時のぼくは、もうひとつ、別のことにも苦しめられていた。ほかでもない、だれひとりぼくに似ている者がなく、一方、ぼく自身も誰にも似ていない、ということである。<ぼくは一人きりだが、やつらは束になってきやがる>、ぼくはこう考えて、すっかり考えこんでしまったのだ。 

 

 

#66 わかってたまるか

 

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 LINEを開くのがおっくうである。先週ついに未読件数が3桁を越えた。異常事態だ。WHOの研究によればSNSの未読件数は精神の疲労度を測る指標の一つとされている。手元のマニュアルによると未読159という数値は「レベル4:不要不急の外出を避けるべし」に相当する。週末は家でゆっくりすることにしよう。

 LINEが大嫌いである。メールも嫌いだ。本当に言いたいことが伝わらない。電話や対面だと言い訳もできるし、表情とか声色とか言語以外のコミュニケーションがあるので言いたいことをより伝えられる。でも時間がない。それは私が悪いし、でも資本主義社会も悪いと思う。革命万歳である。

 文章でのコミュニケーションで特に困るのは小説や音楽、映画の感想を言い合う時。これ以上にないほどモヤモヤする。頭をフル回転させて作った文面も、こちらの真意が伝わるとはおおよそ思えないからだ。誰かと知り合った時、私はその人の好きな音楽や映画を知りたいと思う。その人が好きな本や映画は何か、学生時代にはまったミュージシャンは誰か。パンクなのかポップなのか。そういう情報があると彼や彼女のことがより深く複眼的に知れると思う。人となりが立体的に見えてくるのだ。「そのバンドとあの歌手が好きなのなら、これも好きなんじゃない?」なんて自分の知っている音楽をおすすめしたくなる。そういう時、頭の中で何かと何かが繫がった気がしてとても気持ちいい。その人がその音楽を気に入ってくれたりした時には、不思議な幸福感に包まれる。

 困ることに、音楽の好みや映画に抱いた印象というのは多分に主観的である。主観的な感想は、単純なわかりやすいものでない限り共感しにくい。主観的な感想が先行して混沌とした状況に陥るのを避けるために批評家という人達がいて、彼らは芸術を「客観的に」切り取ろうと努力するのだけれどそれもやはり主観の枠を外れることはないと思う。結局のところ「好き」「嫌い」「どちらでもない」の3点に収まるように思う。

 結局は批評も主観の枠を抜け出せない。でもそれをどれだけ客観的に語れるのかというのが批評家の腕の見せ所だと思う。もちろん批評の先に芸術の方向性を示すのが究極の目標だと思うけれど、読者が付いてこなければ意味がない。だからまずできるだけ多くの人が少しでも理解できるように解説するのが大事だと思う。「批評家」という肩書を偉そうにくっつけているくせに、理由も説明しないで映画をけなす人が時々いる。誠実であるべき職業の人に誠実さが見られないのはちょっと笑える。もしかしたら尖っているのがかっこいいと思っているのかもしれない。

 自分の気持ちを相手に送って、でもそれは理解されない。うまく伝わらない。自分では面白いと思うギャグも小文字のWだけじゃどんな反応かわからない。自分が考えていることが100%伝わるように長文を送ったこともあった。ひとつひとつ丁寧に説明しても空回りしているようにしか思えなかった。紆余曲折があってようやく私はわかりやすい言葉を選ぶのが無難だと気づいた。まず基本は「はい」と「いいえ」。それから「了解」。エクスクラメーションマーク「!」を2個重ねると強調表現になって意思が明快である。チャットに込めるメッセージをYesならYesNoならNoで一色に染める事。まどろっこしい「………」や「、、、」などを使うと相手は何を考えているのかわからないだろうし、不信感さえ抱きかねない。優柔不断で頼りない印象を与えてしまう。

「でもさ」と心の中でやっぱり叫んでしまう。「人生ってそう単純なものかよ! オラオラよ!」
「いろんなことをやいろんな人の気持ちを考えて、結局
YesYesと言い切れない、NoNoと言い切れないのが人生じゃない!!

 

 ある映画について私が感想を送る。

「教えてくれた映画を観た。エンディングがよかったね」

「分かる。確かにあのエンディングは○○だよね!」

相手の返信にはやんわりとした同意が書いてある。その返信を見ながら私は「いやあの素晴らしいエンディングを○○という軽い言葉で済まさないでくれよ」と思っている。○○という言葉じゃ収まらない悲しみと諦めと、でもその中に確かにある一つの煌めきと、そういうのがいくつも合わさっているのがあのエンディングじゃんか。それを「○○」一言だけで終わらせるなよ。

 狂っていると自分でも思う。どう言い訳してもへそが曲がった天邪鬼だ。悲しすぎる。自分にとって大事な作品であればあるほど、相手の評価に注文をつけたくなるのだ。もちろん上っ面では「いろんな意見があってしかるべき」と考えている風を装っている。「確かに。あのエンディング、○○で最高に△△だわ」なんて返す。実際に反駁してしまうのはちょっとダサい。

 チャットやSNSを使い始めた時、インターネットにいる人々と仲良くなれるにちがいないと思ってワクワクした。だが現実は違った。知れば知るほどわからなくなる。距離は遠くなる。ツイートを読めばその人のことを「理解した」気になる。その人の呟く苦悩に勝手に共感して、この人なら自分の悩みもわかってくれるのかもしれないなんて思う。でも全部まやかしで、本当のところは何一つわからないままなのだ。SNSの投稿やプロフは想像を掻き立てるけど、想像は主観であって客観ではない。そしてオンラインで見せる姿はその人の一面に過ぎない。もちろん頭ではわかる。でもその人と自分をつなぐチャンネルはSNSしかなかったりすると妄想がどんどん広がっていく。最悪の場合、SNSだけでその人のことを決めつけてしまうようになる。誰々はツイートで安全保障問題に言及していたからこっちサイドの人間なのだろうとか。あの歌手は味方だと思っていたのに、あの政治家を擁護するとは裏切られた気分だとか。勝手に身近な人のように感じて、勝手に喜怒哀楽するグロテスクな人たち。私も別に例外ではないのだ。

 

 「どうせ自分の気持ちなんて伝わらないのだ」という冷めた気持ちで送信ボタンを押す。「おまえなんかにおれの気持ちがわかってたまるかよ」とも思う。それはある種の怒りであり、「お願いだから俺の気持ちをわかってくれよ!」という懇願の裏返しでもある。

 人間は決してわかり合うことができない。そう諦めているのに、わかり合いたい、わかってほしいと思ってしまう矛盾。わかってほしいからツイッターで呟いてしまうし、今日もこうしてブログを書いている。客観的に見ても、ちょっと痛々しい。

 そのくせツイートやブログを読んだ人が「シゲってこういうことを考えてるんでしょ」なんて断定的に言ってきた時には一瞬でいきり立ってしまう。「お前にわかってたまるかよ!! お前なんかにわかるもんかよ」

 逆張りすることを、尖っていることをかっこいいと思っているイタいやつがここにもいる。

 

 

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〈付録『地下室の手記』〉

 1月に40ページだけ読んでやめてしまった本です。パラパラめくるだけでも難しい内容が目について、なかなか読むことができませんでした。ただなんとなく書き写すと意味がある気がするし、私は主人公を反面教師にしないといけない気がします。とにかくこれを機に読み進めたいと思います。

 いくつか訳はあるみたいですが、手元にあるものは新潮社から昭和四十四年に出ている江川卓の訳の五十七刷です。プロ野球選手と関係はないです。

 

68

第二部《ぼた雪にちなんで》1

 

いうまでもなく、ぼくは役所の同僚と見れば、だれかれの別なく一様に憎み、しかも軽蔑していたが、と同時に、どこか怖れているふうでもあった。どうかすると、ふいに彼らが自分より一段上の人間に見えて、あがめだすこともあった。しかもぼくの場合、軽蔑するにしろ、あがめるにしろ、それが何かこうだしぬけにそうなってしまうのだった。知性をもった一人前の人間なら、自分自身に対する厳格さをつらぬき、ある場合には自分を憎まんばかりに軽蔑するのでなければ、虚栄心の強い人間にはなりえないはずである。しかしぼくは、相手を軽蔑するにしろ、あがめるにしろ、だれと会ってもほとんど例外なく、目を伏せてしまったものだった。実験までしてみたこともある。いま向い合っている人間の視線を最後まで受けとめられるだろうか、というわけだ。だが、いつも先に目を伏せてしまうのは、ぼくのほうだった。これはぼくを気が狂いそうなほど苦しめた。

 

#65 夜の国道

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〈詩のコーナー〉

夜の国道

 

走る

黒いカーテンはとうにおり

向うの山影も闇の中

うっとりしている原付の上

 

走る

世界を抱きしめながら

世界に抱きしめられながら

全てが洗い流されてゆく

 

走る

うどん牛丼ファストフード

マンガ喫茶とラブホテルも

色つきの光が過ぎていく

 

走る

世界の一部になった気がする

過去を許し明日だけ見て

駆け抜けていくやさしいイメージ

 

走る

許し許される一日の最後

宗教なんて知らないけど

全て許されるこの時だけ

私は信仰を持っている

 

走る

日常にぽっかりと空いた穴

思い出はいつも甘くて美しくて

この夜がずっと続けばいいのに

 

 

【ひとこと】

帰りの電車を待つプラットホームとか、草むらの虫に耳を澄ませる夜とか、別に夜の国道でなくともそんな瞬間は誰にでもあるのかなと思います。バイクを運転しながら楽しかった時間を思い出しながら幸福感に浸ることがよくあって、自分でも大丈夫かなと心配になります。誰かが歌った歌とか笑う顔とか弾んだ会話とかそういうのが回転ずしのネタみたいに延々頭の中を巡って止まりません。頭の中だけで過去に戻れること、どこにでもいけることが幸せなのかはよくわかりません。

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〈付録『地下室の手記』〉

 1月に40ページだけ読んでやめてしまった本です。パラパラめくるだけでも難しい内容が目について、なかなか読むことができませんでした。ただなんとなく書き写すと意味がある気がするし、私は主人公を反面教師にしないといけない気がします。とにかくこれを機に読み進めたいと思います。

 いくつか訳はあるみたいですが、手元にあるものは新潮社から昭和四十四年に出ている江川卓の訳の五十七刷です。あ、プロ野球選手と関係はないです。

 

58

第一部《地下室》11

 

 結局のところ、諸君、何もしないのがいちばんいいのだ! 意識的な惰性がいちばん! だから、地下室万歳! というわけである。ぼくは正常な人間を見ると、腸が煮えくり返るような羨望を感ずると言ったけれど、現にぼくが目にしているような状態のままでは、正常な人間になりたいとはつゆ思わない(そのくせ、ぼくは彼らを羨むことをやめるわけではない。いや、いや、地下室のほうがすくなくとも有利なのだ!)。そこでなら、すくなくとも………えい! ここまできて、まだ嘘をつこうというのか! 嘘というのは、いちばんよいのはけっして地下室ではなくて、ぼくが渇望していながら、けっして見出せない何か別のものだということを二二が四ほどにはっきり知っているからだ! 地下室なんぞ糞くらえ!

 いまの場合でいえば、せめてこんなことでもまだましだと思う、——つまり、それは、ぼくがいま書いたことのなかで、何かひとつでもいい、自分で信ずることができたら、ということである。諸君、誓っていうが、ぼくはいま書きなぐったことを、一言も、ほんとうに一言も信じていないのだ! つまり、信じることは信じているのかもしれないが、それと同時に、どうしたわけか、自分がなんともぶざまな嘘をついているような気持をふっきれないのだ。 

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#64 全部

 

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 〈詩のコーナー〉

全部

私、頭の中ではなんだって言える

空想も妄想も発想は自由

そう誰かも言ってたわ

 

私の中でふくらんだあなたは

やっぱり本当のあなたとは違うんだよね?

 

でも本当のあなたって?

なんて面倒なことまた考えてる

底なしの沼がここにもあそこにも

 

「あなたあの子の何を知ってるの?」

昨日言われて気がついた

私、あなたのことなにも知らない

 

私がみているあなたも

一枚めくればどんな顔?

帰り道のあなた

食事する時のあなた

 

知って幸せになるなんて

そんなこともう思いもしないけど

もっともっともっともっと

全部つかまえるまで心は乾いたまま

教えてよあなたのこと

あなたのこと全部知りたいよ

 

 

【ひとこと】

 全部。強いことばですね。「百人一首全部暗記した!」とか「宿題全部やった!」とかそういうこと言えてた時代が懐かしいです。

「はい、言われていた仕事全部やりました」なんて上司に言える機会がこの先の人生にあるとは思えないです。せいぜい「はい、全部食べました」とか「荻上直子の映画なら全部観ました」とかでしょう。その荻上作品だって映画なら8本しかないけど、ドラマもいれると結構な量があるし、コアなファンしか知らない書籍とか流通が異常に少ない映像とかもあるかもしれない。学生時代に撮っていたものとか。

 自分のことでさえ全部を知らないのに、日々発見の連続なのに、他人のことを知るなんて到底無理なことのように思えます。でも知りたいっていう好奇心はそれこそ底なしで、「その人の全部」なんて空しい響きしか持たないのに全部知りたいなんて考えてしまいます。その知識欲はちょっと征服欲にも似ています。謙虚さが足りない人はすぐに「あなた、こういうこと考えているんでしょう。お見通しよ」とか「言わなくてもあなたの意見はわかっていますよ」といったマウンティングを始めてしまいます。 

「知りたい」と思うなら、勘違いしないように知ったかぶりしないように気をつけないといけません。でもこれはとても難しい。何も考えずに「ふつうに」話すのが正解なんですけどもうその「ふつう」がどんな状態なのかもわからなくなって、結局何も言わないのが正解なんじゃないかって。むしろもう「知りたい」とか軽はずみに思わない方がいいんじゃないか、そっちの方が幸せなんじゃないかとも思います。でも『1984』とか『華氏451』の世界を考えると「知りたい」っていう感情を捨てるのは危険だなあとも思うし、もうよくわかりません。

 ちなみに荻上直子の映画で一番好きなのは『レンタネコ』です。日本家屋で市川実日子がだらだらしているのがめちゃくちゃいいです。田中圭も出ています。

 

 

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〈付録『地下室の手記』〉

 1月に40ページだけ読んでやめてしまった本です。パラパラめくるだけでも難しい内容が目について、なかなか読むことができませんでした。ただなんとなく書き写すと意味がある気がするし、主人公を反面教師にしないといけない気もしますし、とにかくこれを機に読み進めたいと思います。

 いくつか訳はあるみたいですが、手元にあるものは新潮社から昭和四十四年に出た江川卓の訳の五十七刷です。あ、プロ野球選手と関係はないです。

 

p8 第一部《地下室》1

ぼくは意地悪どころか、結局、何物にもなれなかった——意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにも。かくていま、ぼくは自分の片隅に引きこもって、残された人生を生きながら、およそ愚にもつかないひねくれた気休めに、わずかに刺戟を見出している、——賢い人間が本気で何者かになれることなどできはしない、何かになれるのは馬鹿だけだ、などと。さよう、十九世紀の賢い人間は、どちらかといえば無性格な存在であるべきで、道義的にもその義務を負っているし、一方、性格を持った人間、つまり活動家は、どちらかといえば愚鈍な性格であるべきなのだ。これは四十年来のぼくの持論である。ぼくはいま四十歳だが、四十年といえば、これは人間の全生涯だ。老齢もいいところだ四十年以上も生きのびるなんて、みっともないことだし、俗悪で、不道徳だ! だれが四十歳以上まで生きているか、ひとつ正直に、うそいつわりなく答えてみるがいい。ぼくに言わせれば、生きのびているのは、馬鹿と、ならず者だけである。

 

#63 23歳

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 〈詩のコーナー〉

23歳

もうなんの感動もないなんて

うそぶいても強がっても

本当はずっと意識していた

 

23歳は大人だと思っていたのに

私はまだまだ子供で

彼らのようなはっきりとした輪郭を持たない

 

それがあなたの魅力。

なんて言われてもピンとこない

また馬鹿にされたと思うだけ

 

欲しいものがなくなって

なりたいものもなくなった

生きている実感さえ薄れてきて

なのに食欲はわく

 

若いといってほめる人

若いからと見下す人

あんたらみたいにゃなりたかないと

それだけは確かに言える

 

分別がつく年齢

自覚持つべき年齢

なんて言われる日々がもうそこに迫る

 

クソ食らえとは思うけど

彼らともうまくやらないといけない

そうしないと死んでしまうから

 

今怖いのはなにも見えないこと

16歳の夏はまだ

いずれわかると思ってた

 

今日23歳になったけれど

未だになにもわからない

糸口さえもつかめない

 

自動車免許をとったとか

コーヒーをブラックで飲めるとか

それなら簡単だけど

でも探しているのはそれじゃない

 

積み上げて来た年月が

私を作ったのはわかるけど

確かなものはどこにもなくて

だから今日もかき集めて残そうとしている

 

 

【ひとこと】

「うそぶく」って「嘯く」って書くんですね。ちゃんと意識して読んだの初めてです。

ちょっとしんどくて昨日も今日も最悪な気分だったんですけど、表現するタイミングなのかなと思って深夜のマクドナルドで書きました。

最近ヒップホップを聴き始めたのですが、やはり自分の想い発信していく人たちってかっこいいですね。自分の言葉をなかなかうまく言えないのでフリースタイルダンジョンとかすごく憧れますね。

 

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〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用していました。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していましたが、7月になったので一旦今回の投稿で『ニ十歳の原点』は最後にします。

 

六月二十二日

 旅に出よう

 テントとシュラフの入ったザックをしょい

 ポケットには一箱の煙草と笛をもち

 旅に出よう

 

 出発の日は雨がよい

 霧のようにやわらかい春の雨の日がよい

 萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら 

 

#62 振動

 

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 動悸が止まらなかったのがだんだん落ち着いてきた。惰性のままにスマホの画面を延々見ていた。そうしないとずっと考え込んでしまいそうだった。サマープログラムの面接。私は自分の怠惰と幼稚、人間としての未熟さを思い知って家路についていた。たかが面接じゃないか、なんて笑えるような精神状態ではなくて、ただただ落ち込んでいた。失敗したのは明らかで面接官に言われた言葉を延々と頭の中で繰り返していた。どう答えたらよかったのか、何回考えてもわからなくて焦っていた。簡単な質問に答えられなかった。そんな自分はひどく無価値で、必要のない人間に思えた。求められているのにうまく答えられなかった不甲斐なさ。そんなものを一緒くたに抱えて泣きそうになりながら電車に乗っていた。ぼーっとスマホの画面を見つめるのをやめたら涙がこぼれてしまいそうだった。いまはサマープログラムだからいいけれど、これがもし就活だったならすぐに病んでしまうのだろうなと思った。ぞっとした。

 スマホを片手に十三駅で乗り換える。別に何かをするわけでもなくスマホを見つめている。お気に入りのブログが更新されているかどうか、ツイッターには今どんな人がいるのか。メールをチェックして、ラインもチェックした。苦手なくせに、別に送らなくてもいいようなラインを数人に送った。夕方の跨線橋は仕事帰りの人で混雑していて、学生服姿もちらほらいた。神戸行き1番線は久しぶりで、大学に入る前は毎日使っていたのに変な感覚だった。部活後にくたくたになって電車を待っていたことや、塾帰りの遅い時間にベンチで寝そうになっていた日々を思い出し、高校生に戻った気がした。その日のホームにも、かつての私のように日焼けした学生がいて手には大きな象印を持っていた。夏服だった。

 リュックサックを下すのがめんどくさいなあなんて考えている間に、たくさん乗ってきて、下すに下せなくなった。申し訳ないな、と思いながらスマホを触っていた。面接官に言われた言葉がどうどう巡りしてなんて返したらよかったのか考えていた。でも面接で本当の自分をさらけ出すのは怖くて、きれいな言葉で自分を塗り固めようとしていた。つらかった。何が正解かもわからないし、何を誇ればいいかもわからない。就活ってこんな感じなのかな。もしそうだとしたらまっぴらだな。抽象的な質問も、自分語りも、全然本質的なものとは思えなかった。私を見て、面接官も完全にあきらめた様子だった。何も発言しない時間が続いて、部屋の中に鉛のような空気が流れた。面接官二人のうち、今まで何も喋らずメモを取るだけだった面接官が業を煮やしたように話し始めた。あきらかにいらいらしていたし、言葉もぶっきらぼうだった。その人は「君の人間がわからない」というようなことを言った。私はその頃には真っ白になっていた。同時に「こんなこと言われるのは、もう駄目なんだろうな」と冷静に考えてもいた。「その場所に行って文化や考えを知りたいみたいだけど、それって旅行でもいいんじゃないの? わざわざプログラムに参加する意味あるの?」みたいな質問もされた。そんなことを言われたら「確かに旅行でもいいかなあ」って思ってしまって言葉に詰まる。その頃にはもう面接を続けるのが苦痛になっていて「もう帰ります!」とヒステリックに宣言してこの部屋から出たらどんなにすっきりするだろうかなんて考えていた。「お前らなんかにおれのことが解ってたまるかよ」

 

 サマープログラムの専攻面接でさえこんなにしんどいのだ。働く会社を探すのはもっときびしいに違いない。就職活動に疲れた友人たちを見ると、自分が耐えられるとは思えなかった。リクルートスーツを着て大学に来ている人たち、インターンでわざわざ東京に行くような人たちに尊敬の念が湧いた。

 神戸方面に向かう列車が動き出すと、つり革が振動した。車体のブルブルという揺れが手に伝わった。つり革なのにはっきりと振動が伝わっていて驚いた。今までに触ったどのつり革よりも振動がはっきりとしている気がした。私はみんなが気づいているかどうか知りたくて周囲を見渡したけれど、だれも気付いていないようだった。たぶん久しぶりに電車に乗ったから振動を大きく感じただけなのだろう。こんなのみんなにとっては当たり前のことでしかないのだろう。そう気づいて我に返った。私を取り巻いていた靄が一瞬だけ晴れて、自分自身を客観的に見つめることが出来た。やらないといけないことはいくつもあった。

 

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〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。

 

六月十九日 雨

ティファニー」にて 

  一切の人間はもういらない

  人間関係はいらない

  この言葉は 私のものだ

  すべてのやつを忘却せよ

  どんな人間にも 私の深部に立ち入らせてはならない

  うすく表面だけの 付きあいをせよ

 

  一本の煙草と このコーヒーの熱い湯気だけが

  今の唯一の私の友

  人間を信じてはならぬ

  

  己れ自身を唯一の信じるものとせよ

  人間に対しては沈黙あるのみ