11月の最初の日、Kちゃんと映画館に行った。TOHOシネマズ梅田。映画をわざわざ梅田で観るなんて久しぶりだ。春休みに友人の若林君と観に行って以来である。その時は「シェイプオブウォーター」と「グレーテストショーマン」を観た。「シェイプオブウォーター」は良かった。ギレルモ・デル・トロ版の人魚姫だった。
その日の映画は「あの頃、君を追いかけた」だった。山田裕貴と齋藤飛鳥が出ている映画だ。齋藤飛鳥が乃木坂の人というのはさすがに知っているが、私はアイドルに疎い。ミュージックステーションに出ているアイドルの中で、どれが齋藤飛鳥なのか、なんて訊かれたら多分答えられない(映画でようやく彼女の顔を把握した)。原作が台湾の小説で、元々台湾でも映画化されたものだというのは知っていた。私は「藍色夏恋(原題:藍色大門)」や「私の少女時代(我的少女時代)」、「若葉のころ(五月一號)」といった台湾の青春映画が好きだ。その手の日本映画と比べて登場人物一人ひとりがしっかりと描かれている気がするからだ。もちろん私が台湾という国が好きだと言うのもある。
映画を観に行くことが決まる数日前、フェイスブックを開くと高校の時の倫理の先生の投稿が目に入った。先生は「あの頃、君を追いかけた」を観に行ってその感想をフェイスブックで投稿していた。それを読んで気になっていたので、Kちゃんが電話のむこうで「あの頃、君を追いかけた」がいいと言った時、私は大賛成だった。
2時間弱の映画では、山田裕貴と齋藤飛鳥の関係が高校時代から大学生、社会人になるまでの10年にわたって描かれていた。時期はだいたい2008年から2018年ぐらいまでの間。主人公たちも最初はガラケーで電話していたのが、途中でスマホを持つようになったし、物語が現代に近づくとスマホも新型になっていった。小道具がよくできていたのでそういう変遷を見るのも楽しかった。
それから東日本大震災のシーンもあった。もう8年も前のことだけどやはりショッキングだった。物語の中では、お互いが連絡を取って安全を確かめ合う重要な場面になっていた。
一応日本映画なのだけれど、台湾の匂いがたくさんした。主人公たちが通う高校の制服のデザインも台湾映画でよく見るやつだった。胸のところに学籍番号が刺繍してあるのだ。大学生になった二人が観光地で願い事を書いたランタンを空に上げるシーンもどうやらロケ地は台湾であるようだった。
スクリーンの中で、山田裕貴は10年にわたって齋藤飛鳥のことを想い続ける。彼らの関係がまだあいまいだった高校時代。それから大学での遠距離恋愛。別れてからも、彼の中で彼女は大切な存在なのである。
「しっかしなあ」と私は思う。果たして10年も同じ人のことを好きでいられるだろうか、なんてひねくれた目で考えてしまう。まあそんな風に思うのは私が飽きっぽい性格だからで、10年も同じ人のことを考え続けている山田裕貴が本当はちょっと羨ましい。一人の人をずっと考えるなんてステキなことじゃないか。そんなこと私には到底できない気がする。まあもちろん映画は虚構でしかないのだけど。
映画を観たのと同じ頃、高校3年生の時のクラスLINEが動いた。卒業後4年が経ったこのタイミングで一度集まってみませんか、ということだった。同窓会委員のNが呼びかけていた。私は「予定が合えば行く」というズルいスタンスである。
同級生の顔を思い浮かべてみる。クラスLINEにいるのは37人。LINEグループに入っていない人もいるから実際のクラスはたしか40人。あれ、41人だったかも。おそらくもう二度としゃべらない人も何人かはいるだろう。行こうとは思って一応予定は空けているけれどちょっと不安である。
長いこと会っていなかった誰かと再会する時、私はいつも、その人との間にあった関係性を取り戻そうとする。自分が彼彼女とどう話していたか、距離感はどうだったか、そういうのを思い出そうと記憶の淵をのぞき込む。仲の良かった友達ならすぐに距離感を思い出せるのだけど、たまにチューニングがうまくいかない時があって、そういう再会は終始挙動不審になってしまう。耳を傾けても何か言っても、足元がおぼつかない。彼らの話を上の空で聴きながら、頭の中で、その再会は失敗になってしまったと感じ少しだけ落ち込む。そのがっかりを気付かれないように何も感じていないようにふるまうことも忘れない。本当は、できれば同窓会でそんな思いはしたくない。でもそういうのを含めてが自分の人生だと思う。他は知らないけど。そもそも高校時代からシャイで、あまり人とは話せなかったのだ。
いろいろ変わってもう昔のようにはしゃべれない人もいる。ブログとかでいろいろ書いちゃったから、私には声をかけにくいという人もいるかもしれない。当然だと思う。私だってブログで書いた人に会うと(もちろん名前を出したわけではないけれど、勘がいい同級生はわかるような書き方になっていることもあるから)ちょっと居心地の悪さを感じるかもしれない。全世界で絶賛大流行のSNSにもそういうところがあって、TwitterもInstagramもFacebookも確かに人を近づけてくれたけれど、他人の見たくない側面まで簡単に覗けるようになってしまった。感じなくてもよかったはずの気まずさを感じてちょっと難しいところもある。なんかの記事で「ハイレゾ社会」なんてふかわりょうが言ってたけど本当にそうだと思う。見なくてよいものも聞かなくてよいものも全部こっちに伝わってきてしまう。
あれだけ同じ時間を過ごした部活の友達でさえもう何年も会ってない気がする。「部活を引退したらみんなでカラオケに行く」というのが私のささやかな夢だったのだけど、結局卒業までに実現することはなかった。後悔している。仲が良かったから、これからも継続して連絡するのだろうと思っていたけれど、実際はそんなこともなく、たまに個人個人で連絡を取り合うぐらいである。映画みたいに10年も思いが続くなんてことはなさそうだ。一人また一人と社会人になり、大人になるにつれて、段々連絡をとることもなくなってしまうのだと思う。ちょっと寂しいなと思う。でも仕方ないよな。
〈付録~50年前の高野悦子~〉
2019年6月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。
◎二月十二日
眼鏡をかけて一週間程たつ。眼鏡ほど邪魔で不便なものはない。眼も疲れるし、すぐ曇るし鼻の上に重量感がつきまとう。
私の顔は、目はパッチリと口もと愛らしく鼻筋の通った、いわゆる整った部類に属するが、その整った顔だちというやつが私には荷が重い。大体人は整った顔だちに対し、まるで勝手なイメージと敵意をもつ。眼鏡をかけると私の顔はこっけいでマンガである。眼鏡によって私は人のおもわくから逃れられることができた。また私は眼鏡によって演技しているのだという安心感がある。
姉は日大の紛争で、弟は受験体制の中で、独占資本というものの壁にぶちあたっている。現在の私を捉えている感情は不安という感情である。