シゲブログ ~避役的放浪記~

日々の些細な出来事、昔の思い出を書いていきます

#8晴れの日。

 

 成人式は去年だった。成人式と言っても別に特別の日じゃなかった。むしろ面倒なイベントだった。朝起きてネクタイをしてスーツを着て成人式の会場に行くのだけれど、あまり楽しみではなかった。私は小学校を卒業した後は大阪の中学に行った。そしてそこで高校と大学に進んだから地元とは縁が薄かった。小学校時代以来の友達と会っても、何を話したらいいかわからないし、気まずいだけになってしまう気がした。

 市長がスピーチをして(西宮の市長はいろいろメディアで騒がれている人だがスピーチはとても良いものだった)、新成人代表がしゃべって、式は終わった。あっというまだった。

 そのあとはみんな会場の外で友達同士でしゃべっていた。私も偶然に小学校の友達と出会って昔話とかを話した。もう私のことなど忘れているのだろうと思っていたが案外みんな話しかけてくれて、ステキな再会がいくつかあった。そのあと私は、友達と別れて高校の同窓会に行ったのだけれど、結論を言うと成人式の日をかなり楽しめたのだった。

 

 今年は「はれのひ」の事件があった。メディアがこぞって社長の雲隠れをたたいて、二週間ぐらいたって社長が雲隠れから戻ってきて、またメディアにたたかれた。「メディアの個人たたき」が大嫌いなので、私はなんとなく社長が可哀想だなと思っていた。お詫びの連絡をしないこととか、最後まで電話に出なかったこととか、社会人としてはダメなことなのかもしれないけれど、正直メディアで取り上げるほどの話題ではないと思っていた。世の中にはメールに返信しない人やLINEを無視する人もいるけれど(私のことだ)、その延長線上にあるのがこの問題であって、そこまでひどいことではないように思った。他にもっと報道することはあると思うし、コメンテーターとか○○評論家とか呼ばれている人が社長の問題を非難するのは時間の無駄であるような気がした。私はクルドとトルコのニュースが知りたかったから、はれのひの話題で海外ニュースの尺が短くなったのことを癪に思っていたのだ。

 

 最近会った高校の友達ともはれのひの話をしたけれど、彼も同じ意見で「正直どうでもいいわ」と言っていた。成人式は一生に一度しかないと言うけれど、それは今日も明日も同じではないか。毎日が一度きりだし、今と言う一瞬も「いま」と叫んだ瞬間に終わるのだ。成人式だけが一生に一度だけではないのに、成人式にこだわる人は、毎日をかみしめて生きていないのではないかと批判的に思ったりした。

 

 ところが、最近であった女友達は全く違う意見だった。

「社長のしたことはありえない。成人式を楽しみにしている女の子を侮辱しているよ」そんなことを言った。彼女は21歳で、直接の被害を受けたわけではないけれど、成人式で着物を着れなかった子のことを考えると怒りがわくのだと言う。

 一目置いている人の意見だったから、私は少し考えた。

 

 例えば、私に娘がいたとして、娘が成人式に着物を着れなかったとしたら私はどう思うだろうか。悲しいのは間違いないけれどやはり私も社長に対して怒りを抱くだろうか。やはり怒るかもしれない。でもむしろ一緒に悲しむことや、娘の怒りをなだめることにがんばる気がする。まあ、そもそも一着50万もする着物など買えないと思うけど。

 

 じゃあ例えば、私が今年成人式を迎えたとして、友達の女の子が一人だけブルゾンを着ていて、どう見ても楽しんでいる雰囲気ではなくて、その理由が、お金を払ったのに着物が届かなかったことにあるとしたらどう思うだろうか。おそらくその時は怒りは抱かないだろう。落ち込んだ気分を和らげるために面白いことを言おうとするだろう。悲しんでいるより笑っている方が絶対いい。ただ、私は面白いことをなかなか言えないので、悲しみの上に気まずさがさらに加わって、かえって逆効果になりそうだ。

 

 もし私が女に生まれて、成人式に着物を着れなかったとしたらどう思うだろう。私は男で、着物を着たいと一度も思ったことがないからそもそも設定に無理がある。けれど、やはり悲しいに決まっている。ただ、怒りはわかないだろう。ブルゾンで出席する成人式も一度しかないのだ。そして払ってしまったお金はしょうがないから、節約したり、バイトを頑張ったりするだろう。たぶんそれだけである。

 

 と、ここまで書いて思う。私は案外建設的で、ポジティブな人間なのかもしれない。

 いや、他人の怒りを本当の意味で理解できていないだけかもしれない。まあどっちゃでもいい。