最近涙もろい。低気圧なのだろうか。
昔の友達が「低気圧の日は体がしんどくて頭が痛くなる」と言っていた。私は気圧がわかるほど繊細な感覚を持っていないからよくわからなかった。頭痛持ちの彼女とは毎週のように顔を合わせていたのに、いつのまにか疎遠になった。
「台湾本島にいつから人類が住み着いたかは定かではありませんが、考古学の研究によると、約五万年前には旧石器時代人が現れ、七千年ほど前からは中国大陸南部とも共通する新石器時代の文化が見られるようになり、およそ二千年前からは金属器を使用する文化が始まっていたと考えられます。台湾北部の十三行遺跡からは、錬鉄技術の存在を示す遺物が出土しています。十三行文化は、穀類や根茎作物の農耕も行っていたようですが、四〇〇年ほど前に途絶えてしまいました。それは、ちょうど漢人の移民が始まった頃に当たります。十三行文化の担い手がどの民族集団だったのかは不明です。」
(沼崎一郎著「台湾社会の形成と変容―二元・二層構造から多元・多層構造へ」(東北大学出版会)より抜粋。)
この最後の「不明です」のところで私は泣いてしまった。自分でもびっくりした。とても悲しいことに思えた。私は本を閉じて永遠について考えた。生きる意味や人生で何を残せるかについても考えた。
簡単に言えば五月病である。感受性の栓が抜けて、蛇口はもう全開である。ふとした瞬間にしんどくなったり、あの頃に戻ったりしてしまう。
さっきお皿を洗いながら考えた。このお皿も誰かが作ったものだ。それを買った誰かがまた誰かに売って、誰かが運んだ。そうして最終的に祖父か祖母が買ったのだ。私が見たところ、さしたる特徴もないお皿だ。署名もない。おそらくどれだけ調べてもこのお皿を作った作者が誰なのかを確かめることはできないだろう。それでもこの皿を作った人というのは確実に存在していた。もちろん売る人も運ぶ人も買う人もいた。そういう人たちがいたからこそ、私と祖父はこのお皿にざるうどんを盛ることができる。それってすごいことだ。そうじゃないか?
たぶん永遠に残るものなんて無いのだ。どうあがいてもお皿はいつか割れるし、私は死ぬ。後の世にとってはお皿や私の人生などどうでもよいものだと思う。歴史の中で私はどう頑張っても小さな小さな一点でしかない。ゴマよりも小さい。たぶんミジンコよりも。
そうはわかっていても、名を遺す人になりたかった。それは歴史が好きで伝記ばかり読む子だったせいでもあるし、単に有名になりたかったせいでもある。
そして、4歳の時に私は気づいてしまったのだ。伯母の部屋のトイレで、私は今日という日のこの一瞬が二度と来ないことに気付いた。そして、時間の流れによって自分もいつかは死ぬということも知った。それまで意識もしていなかったこの世界のルールを私は初めて知った。不条理なルールだと思った。
なにより怖いのは、私が死んでもこの世界は何もなかったかのように回り続けることだった。そのことがただただ怖かった。私が死んでも次の朝は来るし、地球はずっと回り続ける。それが怖かった。私が死んだらみんな喪に服してほしかったし、なんなら全世界総出で出棺パレードを壮行してほしいとと4歳の私は思った。大人たちになだめられて泣き止んだ後、何が何でも有名な人になろうと私は決心したのだ。
呼んでもないのに6月が来た。来週末には雨が降りだすらしい。私はまだ五月病と格闘しているというのに。
ゴールデンウィークに台湾に行って、帰ってきて。そこから二週間ぐらいはずっと台湾での日々のことを考えていた。台湾にまた行きたいという理由だけで台南市のサマースクールに申し込んだ。中国語を習いたいという理由だけで、図書館で行われている中国語の講座に行くことにした。午前中に大学の授業をぼけーっと受けたあと、午後は図書館で台湾の映画を観たりした。夜は台湾のロックバンド、五月天をたくさん聴いた。前述の本も図書館で借りて読んだ。台湾の歴史について非常にわかりやすく書かれていた。
そのうちに五月も下旬になって、いろいろと考えるのが億劫になってぼーっと過ごすようになった。なんという理由もなくテレビを遅くまで見ていた。栃ノ心が大関に昇進していた。栃ノ心はジョージア出身だった。そういえば初めて好きになった力士は高砂部屋の黒海だった。彼もジョージア出身だった。黒海、琴欧州、時天空、千代大海、琴光喜、朝青龍……… 児童ホームから家に帰ってテレビをつけるとちょうど相撲がやっている時間だった。鍵っ子の私は暗いマンションの一室で毎日相撲を観ていた。たまに家に帰るとおばあちゃんが来ていて、二人で観る時もあった。おばあちゃんの作る料理はおいしかった。相撲が終わって少し経つと母が帰ってくるのだった。
そんな風に過ごしていたら寝不足になった。授業にも行く気がしなくて、大学の図書館で本ばかり読んでいた。だんだんと頭が痛くなってきた。とうとう低気圧が来たのかもしれない。どうやったら有名になれるのかは未だに謎のままである。