シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいる者です 文章を書くのを仕事にするのが目標です。夢は世界一周です

#144 9歳の私へ

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 お元気ですか?

 愚問ですね。なんせずっと病棟にいるんですもんね。お疲れ様です。色々とつらいこともあるでしょうが頑張ってください。あなたが——当時の私が——つらいと思っていたかどうかは、実は思い出せません。入院するとわかった時に泣いたのは覚えているのですが、どこかわくわくした気持ちもあったように思います。でもみんなが心配してくれるのが嬉しかったりもしましたよね。つらつらと思い出すのは養護学校の芝生や両足につけている装具の煩わしさ、ペルカーをこぐときの風、理学療法士の和田さんや内海さんの顔や、将棋に負けて泣いていたことなどです。切れ切れの思い出はまだ鮮やかで、友達の名前も結構憶えています。まだ小学生にもなっていなかったタボちゃんやひなのちゃんが今どう過ごしているのか気になります。病棟は4つあって、あなたがいるのはばら病棟、やんちゃな子が多くいたのがゆり病棟、一番学校に近いところにあるのがのじぎく病棟でした。誰も入っていない病棟が一つあったのですがその名前は忘れてしまいました。

 あなたは今までにもこれからもない量の手紙を一年で受け取ることになります。家族から学童の先生から。わだりょーからも来ます。9歳の時にたくさん文通したおかげで私は今でも手紙を書くのが好きです。もらった手紙は宝物なので大事にとっておいてください。

 学童保育で氷ノ山へ行くスキー旅行の案内がありました。そのスキー旅行に和田家と一緒に参加したのが2年生の2月で、その時にはもうすでに足が痛かったと思います。「痛い」とあなたが自分から言い出さなかった理由が今でもわかりません。どうして我慢したんですか? 何か理由があったかもしれませんが、言った方が良かったと今では思っています。右足に体重がかけられないので左向きのシュプールがずっと続いていましたね。

 残念ながら25歳の私はあなたみたいに我慢強くなくて、嫌なことはほとんどしないし何かストレスがあるとすぐにふて寝をしてしまいます。実は今交通事故で入院しているのですけれど、傷が痛いときには我慢せずちゃんとロキソニンをもらっていますよ。結局3月になって、年に一度通っていた須磨のこども病院でレントゲンを撮り、そこで小児ペルテスという病気が判明したと思います。「1年入院する必要がある」と知って頭が真っ白になりましたね。こども病院のあの古い薄汚れた感じも人工的な中庭も何となくまだ覚えています。

 小児ペルテスは、現在は手術で治すのが一般的だそうです。当時はまだ手術は主流ではなくて、あなたのお母さんは手術ではなく療養を選びました。小児ペルテスは成長期の大腿骨の骨董が一度壊死する病気なのですが、安静にしていればまた壊死した骨董がまた復活するという「変な」病気なのです。どういう遺伝子の気まぐれなんですかね。ゲームのバグみたいです。羊水の中の胎児に水かきが生えてまた消えるような「アポトーシス」というのを高校生物で習いましたが、それに似ています。人工骨頭を手術で埋めるのを母は嫌がり、あなたは神戸電鉄の緑丘が駅にあるのじぎく療育センターというところに入りました。緑ヶ丘の駅から病院まで徒歩25分程度だと記憶していますがあっていますか? 大人の感覚は子供の感覚と違っていて、全てのことが短く小さく感じられるので、いつかまた歩いてみたら短すぎてびっくりするかもしれません。

 

 病院のある神戸市北区は自然がたくさんあって虫がたくさんいました。のじぎく療育センターは実は今はもうなくて、併設されていた養護学校だけが特別支援学校と名前を変えて存在しています。私が入院している最中にすでに療育センターの取壊しが議論されていました。センターだけでなくこども病院も今は須磨ではなくポートアイランドに移転してしまいました。もしかしたら東播地域から児童医療へのアクセスは、減ったのかもしれません。私のような放っておけばすぐに回復するような患者はいいけれど、脳性麻痺の子や知的障害の子が行き場を失ってしまったとしたらそれはとても悲しいです。実際、入院している患者の家族に対するの説明会——病院の人とともに行政の人も前に立って話していました——に何回か出たことがありますが、聞こえるのは悲痛な声ばかりでした。保母さんが毎月楽しいレクリエーションをしてくれる大ホールは、説明会の時いつもピリピリしていて怖かったです。「これから私とこの子はどうしたらいいんですか?」「今までこの子の将来を考えて、自殺を考えるまで思いつめたこともあったのに、私はまた転院や学校について考えないといけないんですか?」「どうしてまた悩まないといけないんですか?」

 

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 あなたは入院する1年間の間にいろいろな経験をします。のじぎく療育センターにいた1年のおかげで、あるいは退院後に松葉杖や車椅子なしでは歩けない経験をしたために色んなことを考えるようになります。車椅子で受ける居心地の悪い視線や、点字ブロックを進むときの不快な振動も、より病状の重い友達と接するときの何とも言えない感情も、ずっと私のテーマであり続けます。よく将棋を指した友達が病気で亡くなることもこれからあなたは経験するでしょう。

 25歳の私は交通事故で入院しています。今日で40日目です。でも1ヶ月や2ヶ月の入院なんて、9歳のあなたが過ごしているのじぎくの時間と比べたらなんでもありません。私は1年で退院できたけれど、最初はいつ退院できるかわかっていませんでした。事故直後と、植皮手術の——コンクリートで削られた足首の皮膚が欠損した挫滅創という状態で、鼠径部の皮膚を切って移植しました——後は安静にしないといけなくて、車椅子なしで移動も何も出来ませんでした。でも病院でもどこでも工夫すれば乗り切れるということをあなたの経験のおかげで私は知っています。のじぎくで過ごした時間のおかげで頑張れています。

 これはまた別の話なのですが、色々ひっくるめてたくさんのことを9歳で気づいてしまい、見てしまったことで、あなたは少し大人びてしまうかもしれません。周りがどこか幼く感じたり、馬鹿みたいに見えるかもしれません。「ガイジ」とあまりにも簡単に口にしてしまうクラスメイトにこれから悲しくなったりします。大学生になった私は障碍を持った人が過ごすショートステイという場所でアルバイトをしています。時々あなたが過ごしている日々がふわりと蘇ります。あの時の友達は今何してるんだろうとか、養護学校——特別支援学校——を卒業してみんなどうしたんだろうとか、考えたりします。患者として療養者として過ごしたからこそ、気づくことがたくさんあって介護者としては上手くやれていると思います。時々、気づくことや感じることが多くてパンクしてしまいますが。大学でも福祉に関する授業をいくつかとりました。

 

 ばら病棟4号室。同室のT君は今思えば意地悪だったかもしれません。あなたが彼に感じる違和感は大体正しいです。25歳の目で見れば、人の痛みを想像することができない冷たさを持っていたように思います。退院してから彼とは養護学校の同窓会で会ったはずですが、興味がなかったのかあまり覚えていません。何度か年賀状を出したけれど途中でそれもなくなりました。途中で来た2歳年下の北野君は少しわがままだったし、隣の5号室の方が楽しそうだったことを覚えています。私の記憶はどうでしょう、正しいでしょうか? 5号室には当時流行っていたオリエンタルラジオやレーザーラモンHGのモノマネが上手なた森君と、いつもニヤニヤしながらダジャレとかギャグを考えている西尾君とがいました。生まれたときからずっと病院にいるさとちゃんが時々怖かったけれど。私より後に入院して先に退院した中野君も5号室にいました。中学生なのにHGが出てるディースターのCMと一緒に「フォー!」とか言って騒いでいました。一緒にいたら楽しいので中野君が入院してきたらぜひ話してみてください。全然関係ないけど今はHGよりもRGの方がテレビではよく見ます。

 テレビ、よく見ていますよね。幼少期に見ていた教育テレビ——12チャンネルだったのがいつのまにか2チャンネルになって、名前もEテレに変わりました——を抜きにすれば、のじぎくでは今までで一番テレビを見ているのではないでしょうか。家では、特に母と暮らす尼崎の部屋では、テレビは悪という感じがあってあまり見れなかったと思います。テレビを自由に見れる今を謳歌してください。退院後もやはりまだ母に遠慮してしまって、10代の終わりまで家ではテレビを隠れて見ていました。何となく今でもテレビを見ることはよくないことだという意識があります。

 あなたは中野君と一緒にプレイルームのテレビでヘキサゴンとアンビリバボーをよく見ると思います。言っても信じないと思いますがヘキサゴンは間もなくなくなります。そして残念なことに笑いの金メダルが終了するのもすぐです。テレビに出ているピン芸人ヒロシの姿をしかと目に焼き付けておくことをオススメします。意外かもしれませんが2021年の世界でもアンガールズは面白いです。

 

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 アトピー大変ですよね。今回も入院した当初は少しアトピーが悪くなりました。痒くて寝れなくて、ストレスでかきむしっていた9歳の夜を思い出しました。あなたが過ごす日々は、人生で一番アトピー性皮膚炎が酷い時期です。でもこれからの人生を大きな目で見ると少しずつよくなるので安心してください。おばあちゃんがあなたの肌の汚さについて色々言ってきますが気にしなくていいです。看護師さんに毎日アズノールや保湿剤の後にステロイドを塗ってガーゼと包帯をしてもらっていると思います。看護師さんに体を触られるのも結構ストレスですよね。触らせてもらえない看護師さんはあなたや母に文句を言ったりしますが、正直あなたは悪くないと思います。人間には好き嫌いがあるし、医療行為とは言えど自分の体は自分のもので、できれば他人に触らせたくないですよね。もちろん看護師さんにとってそれはお仕事だし、何よりあなたのためにやってもらっていることなので感謝の気持ちを持つべきなのでしょうけれど。残念ながら、大人になってもアトピーとはまだお付き合いさせて頂いてます。「大人になったら治るよ」ってみんな言ってくれたんだけどなあ。時々恨めしく思います。喘息も結局治らないし、身長も伸びないままでした。ごめんよ。あなたもそうだと思いますが、今も昔も寝るのは苦手です。なんせ3歳の時にあんなことを経験してしまったので。起きて、寝る前と違う場所にいると気づくのが怖いんですよね。笑っちゃいますよね。想像していたのと違う25歳になっています。ごめんね。

 

 看護師さんの名前。福田さん、佐伯さん、上田さん、ほかにもたくさん。ばら病棟便りを書いていた辻本さん、子供にも対等に接していて、私について「良くも悪くも自尊心が高い」と言った中辻さん。将棋の強かった山本さん、いつも座っている師長さん。もう一度会いたいなと思うのは喜谷さんです。青い目をしていて不思議な雰囲気を纏っていました。大人になったら話せなくなることもあります。今のうちに色々話しておいてください。それで、もしできるなら話したことを覚えておいてください。看護師さんの心無い言葉を聴いたり、母について何か言っているのを聴いたりして、嫌な思いをしたことも覚えています。これは忘れた方がいいですきっと。

 病棟と養護学校は渡り廊下で繋がっていて、朝になるとみんなペルカーや車いすで競ってレースみたいにして学校に行きました。学校は2階が中学校、1階が小学校になっていて、初めて訪れた時は芝生の美しさに驚きました。あなたは毎日休み時間にはペルカーに乗って野球をしていると思います。時々テントウムシが飛んできてペルカーにとまります。秋にはトンボがたくさん飛びます。

 3年生の担任は中村先生で4年生の担当は岩間先生。2学年でよく一緒に授業しました。重い障害の子は別で授業を受けることがあって、吉岡先生が担当していました。吉岡先生もまた会いたい人の一人です。養護学校の図書室で本を貪るように読んでいたあなたが退院するとき、吉岡先生は『ナルニア国物語』をプレゼントしてくれます。『ハリーポッター』とはまた違うペペンシー家の子供たちの話にあなたは夢中になります。校長先生や美術の先生もうっすら覚えています。6年生の担任の南山先生も面白い人でした。

 

 尿瓶(しびん)についても書かないといけません。もう尿瓶には慣れましたか? 今回の入院中に16年ぶりに自分のために尿瓶を使いました。のじぎくで使っていた古びた尿瓶ではなくて新しくて清潔そうなやつです。ペルカーに乗っているあなたは何度も尿瓶を使っていると思いますが、その都度病棟なら看護師さんが、学校なら山本さんが——山本さんの仕事の名前が当時も今もわかりません——尿瓶の始末をしてくれました。ショートステイのアルバイトでも、利用者さんの介護で尿瓶を使うことがあります。やはりあの時間を思い出します。

 

 25歳の私には切れ切れの思い出しか残っていませんが、どれも大事な思い出です。9歳のあなたが、思い出や記憶についてどのように考えているのかはわかりませんが、思い出はきっと最後の最後まであなたの味方です。あるいは————あるいはそんな風に思い出や記憶に固執しない生き方の方が楽かもしれないとも、今は思います。9歳のあなたと25歳の私がどの程度繋がっているのかわからないし、こんなことをここで書いても意味はないのだけれど。

 他にも養護学校バファローズの選手が来たこととか、阪神がリーグ優勝した瞬間とか、夏休みに高校野球をひたすら見ていたこととか、愛・地球博に行って車いすのおかげで行列に並ばずに色々見れたこととか色々書きたいけれど、少し長すぎるのでこれで終わりにします。

 のじぎくでの日々は、自分の人生を振り返ってみてかなり貴重な時間だと思います。いろいろ見て考えてください。

 

【今日の音楽】

youtu.be

 

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