シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#117 理想と現実。ある大学生の場合 前編

 何かをする前に、実現不可能な期待を抱いてしまう人間が一定数います。私の教えるロシア語のクラスにも毎年そのような学生が何人もいます。「ロシア語ができたらあんなことがしたい、こんなことがしたい」と考えるのは勝手ですが、語学は一足飛びに身につくものではありません。毎日の積み重ねなしに上達はありえません。そしてまた、理想と現実が違ったとしてもそれは誰のせいでもありません

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 友達のゴビゴビ砂漠が北海道旅行の予定を立てていた。年始に札幌とその周辺に行くのだという。楽しそうに北海道の情報を集める彼を見ながら、私も3年前の北海道旅行を思い出していた。時間が来て彼と別れた後も、私はしばらく北海道の思い出に浸っていた。そのままふわふわした頭でスーパーに行くとコロッケをたくさん買ってしまった。

 

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札幌市内を流れる豊平川

 寝る前、札幌市内を自転車で走っていた時のことを急に思い出した。モエレ沼公園で午前中いっぱい過ごした私は札幌の中心部に帰る道すがら、父親の病気が治ったらいつか一緒に自動車で旅行したいなあと思ったのだった。今から考えるとロマンチックすぎる夢だった。

 2017年の11月だった。次の年の1月から2月にかけて米沢の自動車学校で免許を取ることになっていた。そして東北から関西に帰って来た2018210日、京都駅で父の家族と会い、彼らが私と父の再会を望んでいないことを知った。いつか父を助手席に乗せてドライブできるかな、なんて考えていたけれど、それはいつまでも夢のままである。でも私が小説を書くことがあれば、再会した父と子がドライブに行く話をどこかに挟もうと思う。

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京都駅。2018年2月10日

 

 こんなことをしたい、あんなことをしたいと私はよく考える。でもその数が多すぎて、全部を実現させるには私自身の力も時間も足りない。また、残念なことに私はたくさんのことを並行してやるのが苦手なようなのだ。一つのことに没頭してしまって他に手を回せなくなることがよくあるのだ。いつも「気が散って」いて「気が多い」私は、これまでたくさんの人に迷惑をかけてきてしまった。

 北海道に行く前、せっかくなので札幌だけでなく他の都市も回りたいと思ったけれど、北の大地は電車だけで回るには広すぎた。自動車の免許を取ったら、来年にでもレンタカーで北海道を旅行しようなんて、3年前は軽く考えていた。結局まだ行けていない。

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米沢の自動車学校

 

 大学に入る時、軽音楽部でドラムをやろうと思っていた。軽音サークルに仮入部して、新入生同士でバンドを組んで新入生ライブで演奏した。曲はGreen Dayの『Holiday』。練習も本番もドラムを叩けるだけで楽しくて、練習すればするほどに自分の演奏がうまくなっているのも解って嬉しかった。これから上達するだろう予感もあったのに、続けることができなかった。やりたいことが多すぎて時間がなかったのだ。人見知りが今よりもひどくて、サークルの雰囲気と自分が合っていないようにも思った。気がついた時にはlineグループから退会させられていた。

 

 浪人時代に本格的に音楽にはまった私は、大学生になればたくさんのライブに行こうと思っていた。水曜日のカンパネラは当時まだそこまでメジャーじゃなかった。みるきーうぇいはまだ大阪で二人で活動していた。いまはほとんど聴かなくなってしまったFM802を私はまだ聴いていて、Midnight Garageという深夜の番組を毎週楽しみにしていた。その番組では月に一回Homecomingsがコーナーを持っていて、大学一回生になってすぐの頃に彼らは2枚目のアルバムを出した。リリースを記念して、6月の末に梅田のシャングリラでライブをするというので聴きに行った。それは私が初めって行ったライブで、前の方に陣取った私はずっと音に合わせて体を動かしていた。ライブに行くときは荷物を少ない方がいいのだという当たり前のことをそこで知った。『LIGHTS』という曲の間奏でギターボーカルの畳野さんとギターの福富さんがギターをつき合わせて演奏するところで立った鳥肌が最後までおさまらなくて、ゾワゾワとした心のままアンコールが終わり、バッジとシャツを買った。途中から最後までずっと泣いていた。物販のところにHomecomings4人がいたけれど、泣いている自分が痛いファンに思えて話しかけるのはやめた。シャングリラで感動に浸った私は、酒飲みが酔いを醒ますように辺りを散歩した。梅田駅には行かず、中津駅周辺の人気のない通りを歩き、淀川を渡り、十三で電車に乗った。音楽が頭から離れなくて、ずっと歌っていた。この感動を忘れないようにしようとも思った。反面、悔しさや嫉妬もあった。あんな風に楽しそうに表現をできる彼らが羨ましかった。彼らのような表現者に自分もなりたいと思った。私はまだ「自分らしさ」のようなものを見つめている時期だった。表現者になる前に漠然とした「人間力」のようなものを培わなくてはいけないと思っていた。感動の余韻は次の日もその次の日も続いて、何も手につかなかった。ずっとぼうっとしていた。

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中津周辺

 翌月にもHomecomingsは、今はなき十三ファンダンゴでライブをした。Not WonkTHE FULL TEENZといった他のバンドもいて、小さなスペースに音楽好きが集まってみんなで騒いでいた。Not Wonkの人がステージから観客のほうにダイブして、ライブハウス慣れしていなかった私は少し怖かった。バンドとバンドの合間になぜかHomecomingsの福富さんが来て話しかけてくれた。嬉しいのと興奮したのとで、何を話したか覚えていない。ロシア語を勉強していることとか、文章で自分を表現したいこととか、そんなことを口走ったと思う。しっかりしたことを話さないうちに福富さんはミュージシャンの誰かに話しかけられて向こうの方に行ってしまった。いつか会うことがあったら、もし次の機会があるとしたら、その時はちゃんと話したいなと思いながらもう4年以上経ってしまった。

 大学生になったらライブにたくさん行こうと思っていたことを、勉強やらサークルが忙しくなるにつれて、私は忘れてしまった。たまに思い出しても、ライブハウスで聴く音楽に自分の情緒が耐えられるか不安で、悩んでいるうちにチケットの発売日を逃すというのを繰り返し、遂にはリリース情報をチェックするのをやめた。

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最後に行ったライブは一年前

 

 大学生になれば映画館にたくさん行こうと思っていた。いっぱしの映画好きだった私は受験勉強から解放されて、たくさん映画を観た。オールナイト上映会にも行った。トークショー付きの上映会にも行った。ただ、映画を観た後はいつもひどく疲れるのだった。泣いたり笑ったりハラハラしたり、とにかく私は忙しかった。自分の鋭すぎる感受性を上手くコントロールできなくて困った。段々、自分の心が擦り減っていくような気がして怖くなった。みなみ会館やシアターセブンの会員にもなったけれど、次第に行かなくなってしまった。

 

【ひとこと】

後編に続きます。

 

【今日の音楽】
クリスマスっぽいMVを選びました。

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*1:ユーリー・イシドロビチ・シュクスコイ『ロシア語学習者に送る9つの手紙』シベリア出版,2008,25