シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいる者です 文章を書くのを仕事にするのが目標です。夢は世界一周です

#96 2017年。春から夏。

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 祖母が息を引き取った時、私は祖母の前に座っていた。2日前から祖母は何も言わなくなっていた。何も言わなくなったその時に私の中でおばあちゃんは死んだ。だから息をしていないから、心臓が動いていないからといって、家族が今泣いているのは少し変だなと思っていた。

 さっきまで病室でお昼ご飯を食べていた。少しでも長い時間おばあちゃんの側にいたいからといってスーパーマーケットでサンドイッチやらコロッケやらを買った。もう点滴だけで生きていて口から食べ物を摂ることのできないおばあちゃんの横で、ごちそうを食べるのは気が引けた。無神経だとさえ思った。けれども、生きるためには食べないわけにはいかなくて、申し訳なく思いながら食べた。少しでも長くおばあちゃんの側にいたかった。談話室で食べる選択肢もあったけれどそれはなんか違うと思った。私たちが病室でわいわいと話しながらご飯を食べて、数時間後におばあちゃんは死んだ。みるみるうちに体が固まって、小さくなった。まるで示し合わせていたかのようにスムーズな流れで葬儀屋が呼ばれ、祖母だった遺体が運び出された。

 

 サークルの新歓が忙しい時期だった。大学も始まろうとしていた。

 新歓のイベントを運営する係になっていたのだけれど、落ち込んでいた私はやる気にならなかった。祖母が死んだ今、そんなイベントなど、サークル活動など無価値なものに思えた。バイトも休んだ。休んでも回るようなバイトなのでよかった。人間はどうせ死ぬのならやりたいことをやらないといけないなと何となく思うようになっていた。死んだ人の70年と少しの人生を考えると悲しかった。知多半島で一番足が速かった少女時代、教師の免許をとった学生時代、お見合い結婚、夫の転勤と出産、子育て、息子の結婚、娘の出産、娘の離婚、考え始めると止まらなかった。次から次へと感情が湧いてきて、パニックになりそうだった。今思っていることを書き残さないといけないと思ってずっとずっとノートに書いていた。

 

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時間があればずっと書いていた

 何にもやる気になれなくて、でも次の日に大学のオリエンテーションがあった。昨日おばあちゃんが死んだのに大学に行くのは変な感じだった。葬式はオリエンテーションの後だったから、キャンパスまでスーツを着ていかないといけないのだった。普段スーツを着ない私がスーツを着ているので友達が訊いてきた。本当のことを話したら変な感じになった。オリエンテーションと葬儀の間の時間、落ち着こうと思って駅前のミスタードーナツでコーヒーとドーナツを注文した。おばあちゃんはもうオールドファッションを食べることもできないのかと思った。

 ずっと絶縁状態だった伯父が葬式に来た。伯父が腫物みたいに扱われるのは仕方ないとしても、伯父の娘まで居心地悪い思いをしないといけないのは少し気の毒だった。伯父とはいくつか言葉を交わしただけだけれど、彼の人間性を知るにはそれでもう十分だった。

 

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 サークルのことを何もやらなかったら、先輩に心ないことを言われた。その人の家族の死なんて、他人にはわかることないと諦めていたけれど、それにしてもあんまりだった。結局私は半年後にサークルをやめるのだけれど、祖母の死はある意味ターニングポイントで、この時期を境に、世間には実は優しくない人の方が多いのかもしれないと思うようになった。私の悲しみがわかりやすく目に見える形であればいいのになとも思った。私の姿を観た瞬間、親類を亡くしたことが伝わればいいのに、なんて虫がいいことを思った。勉強にも身が入らなくて授業中にもサークルもミーティング中にも空想ばかりしていた。

 

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 チャイムがなると教室の外で黒いスーツを着た人が私を待ち構えている。眼が合うと彼は私に小さな箱を手渡す。その白い箱を開けると中からは白いフレームの眼鏡が出てくる。促されるままに私は眼鏡をかける。一見普通の眼鏡だ。私は首を振り廊下の端から端まで見渡す。度が入っているわけでもないし、サングラスのように色が入っているわけでもない。ただの伊達眼鏡。これを私に渡すのはどういうことなのだろうと思って私は眼鏡を外す。メガネをかけて外した一瞬のあいだなのにスーツの男の人はいなくなっている。廊下を見渡しても人影はない。あわてて私は階段を降りる。けれどもどこにも見つからない。何だったのだろうと私は思う。ただ白い箱と白い眼鏡が手元に残る。よくわからない。不思議だなあと思いながらも私は次の教室へと歩き出す。昼休みの校舎はにぎやかで階段も廊下も混みあっている。

 こうしてみるとなかなかおしゃれなデザインだ。午後はこの眼鏡をかけてみようと思う。今日は時間がなくて弁当を作らなかった。キャンパスに一つしかない小さな食堂には座る場所がなくて、購買でお菓子を買って昼ごはんがわりに食べることにする。チョコレートと午後の紅茶をもってレジに向かい、「はい」と差し出したところで腰をぬかしそうになった。レジ打ちの人の顔がのっぺらぼうにだったのだ。ぎょっとして顔をのけぞらせた拍子にメガネがずり落ちた。するとその人の顔が元通りに見えた。またメガネを戻すとまたのっぺらぼう。これは驚いた。不思議なメガネだ。レジの人はこちらはこちらで、私の顔に逆に驚いている。このまま立ち尽くすわけにはいかないのにお金を払ってそそくさとレジから離れた。

 大教室の片隅に座って、先刻もらった白い箱をもう一度開けた。さっきは気付かなかったが底に一枚紙が入っていた。取り出して見るとゴシック体で「ゼツボウガミエルメガネ」とだけ書かれている。そうか、さっきのレジの人は絶望を抱えていたのか。ポケットからスマホを取り出してインカメをつける。画面には私の顔の輪郭は確かに映っているが目鼻が全くなかった。眼鏡をとるとのっぺらぼうではなくなる。なるほど。この眼鏡をかけていると絶望を抱えた人がのっぺらぼうに見えるのかと思った。

 大教室では学生が銘々に話している。サークルのことバイトのこと部活のことSNSのこと。午後の授業が始まるまでの間、大抵は耳にイヤホンをねじ込んで、午前中のロシア語の復習をしているのだけれど、今日はみんなのことが気になった。チョコレートを食べながら周囲の会話を聴いていた。知り合いのスケート部の女の子が話している声が聴こえた。「今日の練習またリンク取れなくて夜中なんだけど」「また夜中なの? 最悪じゃん」

 うるさいなと思った。どんな顔なのか見てやろうと思ってそっちの方向に顔をやった。驚いたことに私が苦手なその女の子も向かいの子も顔ものっぺらぼうだった。なにか背筋にうすら寒いものが流れて、急に怖くなった。スマホの中なら大丈夫だろうと思ってSNSを開いた。タピオカミルクティーをもって自撮りしている人も、春休みに訪れたサグラダファミリアの前での記念写真も、神戸の中華街の「映える」写真もみんなのっぺらぼうだった。

 同じロシア語のクラスメイトぞろぞろとやってきて私の斜め前の少し離れた場所に座った。ロシア人の先生の愚痴を言ったり、課題の内容を確認したりしている。うるさいから黙っていてほしいなと思いながら私は音楽を聴くことにしてイヤホンの音量をあげる。鼓膜のすぐそばで小さなジョー・ストラマーが私の心を鼓舞する。

I am all lost in the supermarket.

I can no longer shop happily.

I came here for a special offer.

Guaranteed personality.

 突然に誰かの手が私の肩に触れる

「シゲ、さっきの教室に忘れとったよ」

そういってプリントを差し出したクラスメイトの顔ものっぺらぼうだ。平凡で悩みなど皆無に見える彼も私と同じなのか。意外だった。あわててメガネを外す。

「ああ、助かった。ありがとう」

「全然。シゲの描くこのキャラクターいいよね」

そう言って彼は私がプリントの裏に描いていた落書きを指した。

「ほんまに?」照れ臭かった。

「シゲの絵、よく解らないけど、いいよね」

私は不思議な気分になった。あきらかにナンセンスな4コママンガだった。吹き出しの中の会話は明らかに下ネタだ。優等生の彼がこの絵をほめるなんて世の中よくわからない。

「ありがとう」

「うん。また見せてよ」

そう言って彼はまたもとの同じクラスのグループに去って行った。

「君も絶望を抱えていたんだね」という言葉を私はギリギリのところで飲み込んだ。

 昼休み後の3限の授業はいつも以上につまらなくて私は眠ってしまった。起きた時には次の授業がもう始まっているころで、私は急いで大教室を出た。4限の教室にたどり着いて席に着いたと同時に、さっきのメガネをがないことに気づいた。授業後、大講義室に行って探してみたけれどどうしてだか無くなっていた。その時以来あの白いメガネを見かけることは一度もなかった。

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 16歳の時に辛くて学校に行かなかった。なりたい自分と現実の自分がどうしようもなく乖離していた。自分の家族のことでもやもやしていた。どこまで親のせいにできるのか、どこまで血のせいにできるのか考えていた。そんな私に「しんどくても俺たちは働いてんねん。働かなあかんねん」って言ってくれた人がいて、それだけでその人を嫌いになるには十分だった。祖母が死んだ今、母親も家族も毎日働き、今までと同じように日々を過ごしていた。死んだ後の手続きや、親族への連絡などを母が受け持って、連絡をとったりしていた。偉いなあと思った。大人になって親しい誰かが死んだとき私は同じように振舞えるだろうか。自信がなかった。

 

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 どんよりした毎日が過ぎた。おじいちゃんは独りで暮らすようになっていた。仏壇を買わないまでも、お骨と写真と蝋燭を用意して簡易の仏壇のようなものを和室の一角に作っていた。私もそのサンクチュアリのようになった場所で線香を立てて手を合わせた。祖父はふさぎ込んでいるように見えたけれど、実際は祖母がいなくなって伸び伸びできるようだった。興味深いことに、まるで神様かのように祖母の写真の前で手を合わせていた。私の知っている祖母はおじいちゃんのことを死ぬまで恨んでいた。けれども面白いことに、彼の認識は全く違うようだった。祖母と文通をしていた愛知の古い知り合いが祖母が送った手紙の束を送り返してきて、それを彼は額にいれて飾った。祖父の行動を理解することはできた。しかし背筋に寒いものを感じた。私が知っている祖母ならそんな風に自分の書いたものをみんなが見れる場所に置かないだろう。恥ずかしいからやめてほしいと言うにちがいない。祖母の死後も生前も、祖父はそんなことにはお構いなしだった。好奇心から額に入った手紙を読もうと思ったけれど祖母に悪い気がしてやめた。過去を美化し、自分を正当化し、長い間連れ添った人を偶像化する祖父を見ていると虫唾が走った。人間は分かり合えないのだと思った。そう思うともう絶望だった。

 

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 久しぶりに学校に行ったもののやはり授業に集中できなくてぼうっとしていた。ずっと考えていると、自分はその場所にいるはずなのに、いないような奇妙な感覚になった。まるで脳みそだけが浮んでいて、身体はここにないような気分。これ以上座っているのが辛くなってトイレに行った。5月なのに鏡に映る顔が真っ白だった。

「シゲ君、あんた生きてる?」なんて先生が冗談交じりに言った。笑うべきところなのだと思ったけれどそれよりも先に腹が立った。ちゃんと抗議をしないといけない思ったからまっすぐ目をみて「生きてますけど」と返した。帰り道に後悔した。どう返せばよかったのだろうと考えた。手を見つめながら「あれ、私透けてます?」なんて言えば笑えたのかもしれないなと思った。『千と千尋の神隠し』の序盤のシーンみたいに。自分はもうほとんど透けているんじゃないかと思うような時もあった。

 全部夢だったらいいなあと思った。全部消えてくれないかなあと思った。

 

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 サークルはもうめちゃめちゃで、そのめちゃめちゃの渦中の私はもうめちゃめちゃであることも分かっていなかった。自暴自棄になって、また平静を取り戻してというのをぐるぐる繰り返した。休学したほうがいいかもしれないというある日の思い付きが、段々と私の中で現実味を帯びるようになる一方で、ロシア語専攻の人たちは留学に行く手続きを進めていた。私には留学のことを考える余裕などなく、そもそも進級できるかさえ自信が持てなかった。実際、勉強していない私はこのままだと学期末の試験も受からないだろうと思った。出席も足りなくなるだろうと思った。しかし私は勉強のできる級友を羨んでいる一方で見下してもいた。彼らは本当に今まで「真面目」にやってきて、周りの出来事について、昨日今日の世界のニュースについて何も思ったりしないのだろうか。悩んだりしないのだろうか。不思議だった。勉強ばかりして、軽口の一つも立てずにロシア語ばかりして人生の何が楽しいんだろうと思った。あまりに静かで、あまりに薄っぺらくて、何のために生きているのだろうと思った。

 

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 漫然と日々が過ぎて、気づいたら梅雨に入っていた。悲しくなるニュースがあったり、サークルにいるのが辛くなったりして沈み込んでいた。ロシア語にはついていくことが出来なくなり、私は落ちこぼれた自分を認めたくなくて授業をサボり倒していた。オセアニアを中心に研究をしている人類学の先生の授業と、アメリカ文学概論だけは面白いから毎週出席していた。ロシア語も話せたら面白いし、ある程度わかるようにはなったのだけれど、先生の態度が冷たく感じられたり、クラスメイトがとてもつまらなかったり、本当にやりたいことはこれじゃないんだと思ったり、まあ自分に言い訳ばかりしていた。サークルでは意味のないことに時間と頭脳を費やしていて、本当に馬鹿みたいだった。

 

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 7月、雨がめちゃくちゃ降った。九州北部の畑や農地が流されて、ニュースでは歪んだ校舎の映像が繰り返し放送された。私に気候変動というものを始めて意識させた最初の洪水だった。サークルの人に誘われてボランティアに行った。言葉にできない光景だった。胡瓜を作っているビニルハウス、紅たでを作っているビニルハウスが流され、ハウス内の温度を調節する機械が水に浸かって使い物にならなくなっていた。上流で下水管が破裂したせいで土壌を全部一から消毒しないといけないという話も聞いた。土砂崩れのせいで茶色い山肌が露わになっている山がいくつも見えた。

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 自然災害によって生活が破壊されるのを目の当たりにして、感じること考えることが溢れて溢れて寝れなかった。緊張と労働で疲れているはずなのに頭がやけに冴えてどうしようもなかった。自分の家が洪水で押し流されていたら? 避難所に住むことになるのが私だったら? 色々と考えるうちに混乱していった。彼らはもう一か月以上も避難所生活を余儀なくされているのだ。そんな彼らとは無関係に関西では何不自由なく生活できる。テレビの中の世界では九州北部の豪雨はもう過去ったものであるかのように進む。祖母の死後から少しづつ考え続けていたことといくつかの考えが結びついて段々と苦しくなってきた。

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ボランティアのために自衛隊が設けてくれたお風呂

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 関西に帰って私は休学手続きをした。家では優等生だと思われていたから、休学すると言うと祖父が「どうしてそうなっちゃったかなあ」なんてぼやいた。もちろんそんなのは関係なかった。祖母がいないので布団を出したり料理を作る人がいないから、誰も祖父の家に泊まれなかった。会話量も、気まずさも、何から何まで祖母がいないことを再確認させられた。辛かった。祖父がありがたそうに写真の前で般若心経を暗唱したり、仏教の教えを唱えたりしている姿にいつまでも慣れなくて、言ってはいけない言葉を口走らないよう気をつけた。これほどにわかりやすい偽善もそうそうないものだと思った。

 サークルのことでミャンマーに行き、2週間滞在した後で帰った。関西国際空港難波駅も、死んだような顔をした日本人ばかりだった。ヤンゴンの喧騒の中で過ごした後ではこんなにも違って見えるのかと驚いた。日本の街は色が少なくて、静かすぎて気持ち悪かった。誰も彼も言いたいことを言わずに飲み込んでいる気がして不健康だと思った。こんな国では、気をつけて生きていないと簡単に自分を失ってしまうのだと思った。

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ヤンゴンダウンタウン

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シュエダゴンパゴダ

 

〈あとがき〉

 2017年は色々なひとを傷つけて、裏切ってしまいました。今から考えてみてもどう考えても不誠実でした。ごめんなさい。2017年を境に、全く連絡を取らなくなったり、話さなくなった人がいて、もったいなかったなあと思います。連絡をもらったのに無視したりとか、するべきではなかったなと思います。

 連絡を無視する、、みたいなことを、じゃあ今はしていないのかというと、今もしていると思います。申し訳ないです。まだ時間がかかりそうです。

 とはいえ理不尽なことも色々ありましたし、言わなくてもいい言葉で傷つけられたりもしましたし、それも絶対に忘れないようにしようと思います。

 未だにサークルにいた時の、特にサークルをやめる時の自分が大嫌いですが、そうした自分の不完全さや脆さをいつか肯定的に振り返られるようになれたらなと思います。

 斜体の所はフィクションです。最後まで読んで下さってありがとうございます。

 

 

 

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