シゲブログ ~避役的放浪記~

ありゃりゃ、みつかっちゃったぜ。全部フィクションです

#79 意味のないこと意味のあること

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「どうしてお前は意味のないことを心配するんだ?」

 高校の時に友達に言われた言葉。部活の試合の帰りでみんな疲れた顔でバスに乗っていた。ちょうど女の人が降りたあとだった。その女の人というのが問題で、彼女の腕には無数の切り傷があったのだ。どうもリストカット——だけでなくアームカットも——をしているように見えた。その女性が去った後、私は何かを言わずにはいられなかった。目の前を通り過ぎていった傷跡をみんなで見て沈黙なんてありえない。「あの人、つらいのかな。大丈夫かな」そんなことを言ったと思う。「かわいそう」とは思わないように努力していたけれど、どのみちほとんど同じことだった。ひどく心配そうに言う私に向かって一人が言ったのが冒頭の言葉である。私は何も返せずに黙り込んでしまった。

 ある意味で彼は正しい。実際問題、私は彼女がバス停で下りるのをただ見送っただけである。彼女は私の顔をちらりと見ることもなく黙って乗車賃を払い、歩いて行った。私は彼女と話すわけでもハグをするわけでもなかった。彼女のことを何一つ私は知らない。以前に会ったこともない。だからどうすることもできない。もちろん私の心配は彼女に届くことがないし、何の実も結ばない。無意味だ。そして、友人同士のうちには不要ともいえる同情を示した私は偽善者だったかもしれない。冒頭の言葉を言った彼は、私の偽善を感じ取っていたのだ。

 それでも、と私は思っていた。やっぱり気になるじゃないか。同じ社会に暮らしている以上、他人事ではないだろう。そう思っていたけれどそのモヤモヤを言葉にできなかった。馬鹿にされる気がして何も言えなかった。ただただ腹が立った。彼の言い分は正しいかもしれないとも思った。私がどうこう考えたところで仕方のない問題というのはやはり存在する。

 でも。とやっぱり小さく呟く。誰かのことを自分の中で考える事、それを口に出すこと。それは本当に意味のないことなのだろうか。それが本当にどうしようもないものだとしても意味はあると思う。そんなことをグダグダ考えるのが私は好きだ。毎日どうしようもないくらいにモヤモヤしている。

 

 18歳の夏休み。勉強したくなかった。2年前に鬱になってから勉強に打ち込めなくなっていた。高校を退学しようとまで思っていた自分がまた学校に行けるようになった時点でそもそも成長だったし、もう頑張らないでもいいやという気もあった。こうなりたいという自分の夢に大学のための受験勉強が直結している気がせず、100%の力で打ち込めなかった。

 そんな中広島県では信じられない量の雨が降って、テレビの中では豪雨災害が報じられていた。感じやすい私は居ても立っても居られなくなった。ブックオフや図書館、映画館に入り浸り、自習しに予備校に行ったり行かなかったりしているのなら、いっそのことボランティアに行く方がいいのではないかと思ったのだ。中途半端に勉強をしているよりボランティアに行って人のために動きたかった。

 予備校の地理の教師が広島市の土砂災害のことを話した。

□□区のあの場所、〇〇なんて名前をつけられる前は、あの場所は元々「△△」と呼ばれていたみたいですね。昔の人は地名や漢字に意味を込めていたのに、そんな漢字の地名に誰も住みたくないから、住宅地を作る時に新しい地名にしたみたいですけど、愚の骨頂ですね」

そんなこと言えるのも安全圏にいるからだと思った。暑い8月に駅前ビルの涼しい教室で、これまた涼しい環境で勉強する生徒を相手に仕事をしている人の言葉だった。別にその言葉が不謹慎だとは思わなかった。

 センター模試の解説講義だった。無料というだけで受けた授業なのでその先生の話を聴いたのは後にも先にもその時だけだ。髪の長い男の人で世捨て人のような風情を漂わせていた。「あんな格好のわるい製品作って、アップルももう終わりなんちゃいますか。今頃、ジョブズさん天国で悲しんでいるんじゃないですかね」みたいなことも同じ授業で言っていた。

「そんなことは考えなくてもいい。あなたは勉強すればいいだけ」

ボランティアに行きたいと告げた私におばあちゃんは怖い顔で言った。「あなたみたいなのが行っても足手まといになるだけ。邪魔よ」とまで言った。肺がんの手術をした後で昔みたいに声を張ることも少なくなっていたけれど、その時の声には迫力があった。私が知る限り祖母はずっと「教育ママ」だった。その教育熱心さが私や周囲を苦しめていてもお構いなしに振舞っていた。

 その午後、私は同じ日本に住んでいながら、そんな風に言えてしまう祖母が怖かった。無関係でいれる彼女に違和感があった。私はそのニュースを見て本当に悲しかったし、勉強もせずに無為に時間を過ごしていた分、余計に心が痛かったのだけれど、そんなこと彼女には関係なかった。

(もちろん、おばあちゃんの言った言葉は間違いである。被災地には力のあるなしに関わらず、被災地でできることはある。探せばいくらでもある。少なくとも2017年の8月の朝倉市201911月のいわき市にはやることはいくらでもあった。)

 

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 意味を求めていくことは怖いことだと思う。物事が合理的か合理的でないか、有益なのかそうでないのか。つきつめるとそう言った議論に至るように思う。意味を求めていった挙句に、大多数にとって必要でないものは、たとえ少数の人に必要不可欠なものであっても、全員にとって必要のないものになってしまうかもしれない。逆に、少々被害を被る人がいても、大多数に有益なものはどんどん取り入れようとなるかもしれない。

 今の日本で怖いのは「必要がないから」と言って切り捨ててしまう人がとても多いことだ。意味がないから、遠すぎるからといって理解を示さない人、不必要だと思う人、私は彼らが怖い。

「その人にとって必要がないこと」でしかないのに、まるで「社会全体にとっても必要のないこと」であるかのように語る人もいる。

「ロシア語を勉強しています」なんて言っても関心を示してくれる人は案外いない。「ふーん、ウケるね」とでも言いたげに半笑いを浮かべる人が多い。別に彼らにはどうとも思わない。けれど、「ロシア語勉強して意味あるの?」なんて聞いてくる人に対してはちょっと腹が立つ。有益か無益かを基準としている浅ましさや卑しさにがっかりする。人間だれしもご飯を食べていかないといけないのだから、仕方がないことではある。でも社会の大勢が「有益か無益か」で考えるようになったとしたらそれはとんでもない時代になってしまう。少なくとも文化は死んでしまうと思う。精神的な豊かさも死ぬだろう。もうすでに瀕死の状態なのに。

 「国益」という言葉が私はとても怖い。無差別殺人を起した挙句、自死した人に対して「死ぬなら一人で死ね」と書き込んでしまう人が怖い。その人の苦悩に思いを馳せる事ができずに、理解ができないからといって、その言葉が苦悩を抱える他の人を傷つけると想像できない人が怖い。殺された人が外務省の公務員だったからといって、「有益な」その人が「無益な」人に殺されたことを声高に言う人も怖い。家で何もせず、暴力を振るう引きこもり息子がニュースで報じられるような事件を起こす前に、息子を殺した元官僚の父親を賞賛できてしまう人が怖い。子どもができないからといって同性同士のカップルは「生産性がない」なんて言ってしまう政治家が怖い。障害者が「誰のためにもなっていない」と決めつけて殺してしまう人が怖い。その人の言葉に共感できる人が怖い。「日本を守る」と言って、その言葉を盾に在日外国人を攻撃する人が怖い。そして傷ついた人に無関心で、鈍感な今の社会がとても怖い。

 

 極論ではあるけれど全てに意味などないのである。そもそもいつか人類は滅びる。考えると怖いけれど実際そうなのだ。アフリカで二足歩行するようになってからの数千年の営みもいつかはすべて無に帰る。気候変動の問題をうまく乗り越えたとしても、いつの日か地球は太陽に飲み込まれる。それ以前に宇宙に脱出できたとしても、終末は来るだろう。

 それより前、何十年後かには私は死ぬ。手塚治虫の『火の鳥』に出てくる人たちみたいに100年も200年も、1000年も生きていたいと思うけれど、私の肉体にも精神にもいずれ限界が来る。そのことを考えたら、今の営みなんて、今日も明日も来年も何の意味もない。ただ毎日何となく楽しくて、意味があると思い込んでいる日々を何となく送るだけでいい。辛いことも悲しいこともいつかは無になる。そう考えると少し楽になれる。どうせなら馬鹿みたいに泣いて笑っていこうと思う。

 私は時々宗教が欲しいと心底思う。

 

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