シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#45 死人にくちなし

f:id:shige_taro:20190205041913j:plain

 

 1114日の夜勤。前々から読みたいと思っていた本を読み切った。読むと夢中で、ほとんど一晩で読んだ。

 高野悦子『ニ十歳の原点』。おばあちゃんからもらった本。亡くなる数か月前のある日、おばあちゃんは本棚の中身を捨てる本と捨てない本に分けていた。ごみ処理場行きが決定された紙袋の中から私が救いだした中に高野悦子の本もあった。

 おばあちゃんは本にカバーをかけることなんかしない人で、それに本棚は日が差す場所にあったから、ページはもうすっかり茶色くなって、鼻を近づけると古書特有のにおいがした。

 数日前に『ライ麦畑でつかまえて』を読み終わっていた。サリンジャーが描いた主人公は純粋でありたいと思うあまりに、世の中の欺瞞や矛盾に敏感な少年だった。彼は自分が「汚れる」ことを禁じ、社会と折り合いをつけることを拒否していた。それはつまり、大人になるのを拒否したということとほとんどイコールだった。彼は他人とうまく関係を作りたいと思っている一方、高いプライドのせいで、相手も自分をも許すことが出来ず孤独を抱えている、そんな悲しい話だった。私はまるで自分を見ているような気がした。

 おばあちゃんに教えてもらったり、あるいはネットで調べたりして『ニ十歳の原点』がどんな本かというのはある程度知っていた。立命館大学に在学していた筆者が1969年の1月から6月までに書いていた日記。その日記を残して20歳の彼女は鉄道に飛び込んだ。読みながら私は、彼女が誰の意見にも影響されない自分の意見を、確固たる自己を確立しようともがいているように思えた。その内面の格闘の末、彼女はだんだんと孤独を深めていくのだった。

 私たちのような人間は、自分だけの思想、誰にも影響を受けていない自分だけの信念を持ちたいと心のどこかで思っている。でもそれは本来不可能である。どれだけ鍛錬を積んでも、どれだけ頑張っても、我々は物事を、全くの純粋な目線で物事を見ることはできない。育った環境や教育、読んだ本によって我々の精神は形成されるからだ。「100%の純度」を求め続けても答えはでない。頭でっかちのまま周りを見下すようになってしまう。ありのままを受け入れて行かないと破滅してしまう。精神病棟に入ったホールデン少年や高野悦子のように。

 1969年の高野悦子は当時の世の中——沖縄の問題、安全保障の問題、ベトナム戦争自衛隊の墜落事故——に漠然とした怒りを持っている。学生運動の大論争の中で、自分が何もしない傍観者であることに彼女は我慢できない。やがて彼女は体制に反抗しようと行動を起こし、やがて機動隊と対峙する。

 活動に加わる中で彼女はたくさんの本を読み、たくさんの知識を得ようと格闘する。たくさんの人と意見を交えることも大切にしないといけないとも思う。ただ彼女はそんな同志との間に距離を感じることもある。もちろん書いたことが全てではない。思っていて書かなかったこともあると思うし、まだ頭の中で漠然としていたために書けなかったこともあると思う。

 反体制という立場に立つことにした彼女は、自分が体制の中で育ったことをはっきりと自覚している。彼女の父親は公務員であるし、通っていたのも県内の進学校である。そもそも四年生大学に通っていること自体彼女が「体制」の中で育ったことを表しているのではないか*。そうした自己矛盾を彼女は論理化せねばならないと感じる。しかし結局論理化は最後まで書かれないままで終わる。恋愛のことを綴ったり、自傷行為を繰り返すうちに段々とニヒリズムに走って行く日記。傲慢でともとれる記述も散見されるようになる。

*彼女が大学に入学した1967年、四年生大学への進学率は12.9%で、女子だけだと4.9%である。

 沖縄、安全保障、戦争、自衛隊状況は似ている。今の日本は1969年の日本からそう遠くないところにあると思えるほどだ。違うのは現代の学生が政治的主張をしないようになったことぐらいだと思う。『ニ十歳の原点』は日記だから、その日その日の出来事で内容やテーマがころころ変わる。毎日のエピソードや記述を自分と結びつけて考えると、私の中にあるものは50年前に生きた大学生の中にもあったのだと思う。高校数学でやったベン図と同じように、その逆もあるのだと思う。

 けれどもまあ、それらは全部あとから推測したことでしかない。私は彼女の遺した日記のいくつかの箇所が好きだけど、共感もするけれど、それは全部一方的なのだ。読んだ後「会って話してみたかった」と思ったし、「自分の持っているのと同じ怒りや無力感を持っているのかもしれない」なんて思ったりもしたけれど、全部一方的なものだ。ほとんど「崇拝」みたいなもので、「学生闘争の中で悩み死んだ女子大学生」を自分と結び付けてみようと都合のいい解釈をしている醜悪なものなのかもしれない。どんな時にも死んだ人と会話することはできない。

 

 

 

〈付録~50年前のきょう~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、このブログでも書きましたが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。

 

二月二日(日) 曇のち時々雨

 一歩、自分の部屋から足を踏みだすや否や私はみじめになる。電車の中で、繁華街で、デパートの中で、センスのない安ものの洋服を着た不格好な弱々しい姿をしているのに耐えられなくなる。美しく着飾った婦人に対する嫉妬、若い男に対しての恥ずかしさ、それらが次から次へと果てしなく広がり、みじめさはドンドン拡大する。