シゲブログ ~避役的放浪記~

ありゃりゃ、みつかっちゃったぜ。全部フィクションです

#38 29+1

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 中国南方航空モスクワ発武漢行きCZ356便。長いフライトで10時間ぐらい座席に座っていた。お尻が蒸れてもう少しで餃子になるかと思った。ディスプレイがあったから映画を観た。悩んだ末 『291』(邦題:『29歳問題』)という映画を選んだ。舞台は20053月の香港で、キャリアウーマンのクリスティが主人公。あと一か月で30歳を迎えようとしている。

 クリスティは大家の勝手な都合で自分のフラットを追い出される。仮住まいとして紹介されたのはティンロという女性の部屋である。ティンロがパリにいる間、クリスティはそこに住むことになる。棚は古いレコードや映画のビデオテープが並べられ、水槽には2匹の亀がいて、壁は沢山の写真に覆われている。見るだけでウキウキするような部屋。素敵な部屋が出てくる映画はたいてい良い映画だと思う。『ゴーストワールド 』や『アメリ』、『勝手にふるえてろ』の部屋と同様、ティンロの部屋も雑多なようで整っていて、小道具たちが持ち主の内面を雄弁に語る。

 

 物語の本筋とはあまり関係ないけれど、クリスティのボーイフレンドが訪ねてくるシーンが印象に残った。出会って10年以上経つ彼らの中は冷え切って、すれ違いばかりである。

 だから訪ねてきても彼は彼女のことなど御構い無し。大量のレコードに夢中である。「上海への出張はどうだった? 」と聞いても大したことはなかったとか、いつもの出張だったとしか言わない。酒が飲めないからパーティーではただ座って上司が喋るのをただ聞いていたとか、退屈だからホテルでずっとテレビを見ていたとか、そういうのばかりで気の利いた返事が1つもない。男の人ってみんなこんな感じなのだろうか。

 私の祖父もこんな感じで、必要以上のことは何も言わない人だ。感情を見せない彼に対して、祖母は何度も怒りをぶつけたけれど、変わることはついぞなかった。一度「どうしておじいちゃんと結婚したの?」と聞いたことがある。祖母は「昔は、無口な人がかっこいいのだと思っていたのよ」と答えた。祖父が「喋らない」のではなく「喋れない」のだと気付いたのはだいぶ後だと言っていた。私が知る限り祖父と祖母は1日以上口論せずにいたことは無い。笑える話だ。お正月もお盆も家族で穏やかに過ごせた試しがなかった。しかし祖母が死んだ今、それすらも懐かしい。

 微かな記憶を集めてみると、私の父もそんな感じだった。祖父よりももっと悪くて、母を運転手や家政婦のようにしか思っていなかったと思う。私の脳内には彼らが愛し合っていた映像は1つも無い。彼に抱きしめられた記憶も、それどころか手を繋いだことも覚えていない。大きくなって何人かの人に父のことを聞いたけどどれもいい話じゃなかった。彼の顔はもう思い出せなくて、でも本棚の奥にはプレゼントでもらったウルトラマンの本がたしかにある。クソ食らえだ。

 

 画面の中では倦怠期もとうに過ぎたカップルがきまずい時間を過ごしている。キッチンの魚はとっくに冷めて匂いだけが漂っている。ボーイフレンドは嘘をついていたのだ。本当は上海出張などなかった。

 彼女は1994年のカウントダウンを思い出す。18歳のクリスティは大学を出てすぐ、できれば23歳までに、当時の彼と結婚したいと思っていて、でもニューイヤーイブの直前に失恋した。1994年を迎えた彼女の横にいたのが今のボーイフレンドで、彼はトニーレオンのモノマネで彼女を笑わせ、なぐさめた。

 ボーイフレンドがいなかった3週間、クリスティの周りでは色々なことが変わった。昇進したものの初めての大仕事で失敗し、クライアントに怒鳴られた。同じタイミングで父親が入院し、程なくして死んだ。仕事に意味を見出せなくなった主人公は会社を辞めた。そしてティンロの部屋でティンロの日記を読んでいた。

 ティンロは思い出ばかりを日記に書いている。一種の自伝のようなものだ。初恋の記憶や6年生に起こった出来事、初めて行ったコンサートのこと。日記は一つ一つの思い出を丁寧に取り出し、汚れを拭き取って並べていく。記憶はとても甘美である。でも一方で、現代に生きる私たちは常に前だけを向くように求められている。香港は都会だから毎日たくさんの人が忙しく過ごしていることだろう。ほとんどの人は過去を振り返る余裕がないし、必要以上に思い出に浸るということは現代社会では死を意味する。毎年同窓会ができるわけではないし、実家にも帰るのも忙しくて難しい。卒業アルバムなんて何年も開いてないしどこにあるかもわからなくなってしまった。

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 何年か前まで、昔話を語る人を「ダサい」と思っていた。今この瞬間にもどこかのバーでは呑んだくれた男が昔の武勇伝を語っているだろうし、またどこかの楽屋では落ち目の芸人が過去の絶頂期を語るだろう。毎日が楽しくて仕方なかった私にとって、そうした「昔話ばかり語る人」というのは過去の遺物のように思えた。「今」という現実に向き合うことができずに過去にすがりついている気がした。

 ティンロの日記もある意味では過去にすがりついている。ただ彼女の日記には人生を楽しもうとする態度があふれているとも思う。自分の好きな人や音楽、レコードに囲まれて生きるティンロの人生にクリスティはひかれる。そんな幸せな時間を忙しい彼女にはもう何年も過ごしてこなかった。記憶や思い出を大切にしようという態度は、ともすれば逃避に見えるけれど、一方では人生に対して真摯に向き合おうとするものなのかも知れない。私たちは昨日今日でできた存在ではない。生まれてから今日までに至る一つ一つの出来事が積み重なって私が作られた。だから過去を振り返る行為も自分に向き合う作業なのかも知れない。

 

 その後、まだ時間があったので『今夜、ロマンス劇場で』という邦画を観た。さっき観た香港映画に比べると残念だった。邦画のコメディってどうしてこうも似た演出ばかりなのだろう。大げさで不自然なセリフも、ノスタルジーを押し付けるような古き良き日本の風景も、既視感ばかりだ。ほとんど観客を馬鹿にしているようなものだ。三谷幸喜の作品の焼直しのような映画に思えた。『ザ・マジックアワー』と『不思議な金縛り』を足して2で割ったような感じだ。「こういうのがうけるんだろう?」という作り手の慢心みたいなのが見えた。私にとって斬新のものが少なかったからだと思う。がっかりしたのでもう1本映画を観ることにした。そうして長いフライトは終わった。