シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#28 パフパフホーンとドライアイス

 

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 小学校の友達と二人で飲んだ。成人式にLINEを交換してまた会うようになった友達である。その夜、酔った私の脳内にはたくさんの懐かしい映像が浮かんで、宇宙の果てアルコール星雲のかなたへ消えていった。

 

 大方の自転車のベルは「チリンチリン!!」と鳴るのけれど、彼の自転車は「パフパフ!!」と音の鳴るタイプだった。「パフパフ!」その音で彼がやって来たことがすぐに分かるのだった。そんな小さなことばかりいくつも思い出していた。

 

 ラーメンを食べて、それから居酒屋に行って合計4時間ぐらい話したのだけれど、昔の友達やクラスメイトのことを話すだけで時間が過ぎた。居酒屋ではたまたま他の同級生も飲んでいてみんなで昔話をした。

   彼と同じクラスだったのは小学校の4年と6年の時だった。小学生って気まぐれだし、別に彼とずっといたわけではないけど、話すといろいろ盛り上がった。

 4年生の時、自分の好きなことについて調べる「自主勉強」という、いかにもゆとり世代的な宿題が導入された。自分の興味のある事柄について調べたりしてそれを先生に提出するのだ。テーマはなんでもよかった。私は新聞記事やニュースをまとめたりしていた。他の子は魚の図鑑に載っている知識を書き写したり、ダジャレを思いつけるだけ書きなぐったりしていた。だいたいみんな手を抜くときはいろいろな国旗を色鉛筆で写していた。私も面倒な時は絵を描いてごまかしていた。その宿題が好きだった。

 ゆとり教育で、楽勝な宿題だったけれど、興味の幅が広がったし、友達のノートにはそれぞれの興味がある事柄が三者三様に書かれていて、面白かった。「そんな宿題あったなあ!」と彼は言った。

 私は当時好きだった女の子のことを話すと、彼も好きだった女の子のことを教えてくれた。意外な名前が出てきてびっくりした。

 

 4年生で今の家に引っ越した私は転校生だった。おまけに1年間病院に入院した後で松葉杖をついていて友達ができるか不安だった。歩けない時間がかなり長く続いて、すっかり自信を無くしていた。彼はそんな時に友達になった一人である。彼とは神社や公園で毎日のように遊んだ。池でブルーギルを釣ったり公園でケイドロをしたりした。私が歩けるようになってから、春休みにみんなで甲山に上ったこともあった。懐かしい思い出である。

 4年生の時、母がチャップリンの映画にはまってよく家族で映画を観たりしていたのだけれど、同級生で彼だけがチャップリンのことを知っていた。「担え銃」でチャップリンが敵兵から逃げ回るシーンをコミカルに演じる彼に感心したものだった。

 

 

 4年生のある日、いつもの公園に集まった私たちのグループはなぜかスーパーに行くことになって、その中に彼もいた。道を挟んだところにあるマックスバリューでアイスか何かを買おうということになったのだと思う。レジが終わったところで急に仲間の一人がドライアイスを袋に詰め始めた。みんなも真似をして、ぱんぱんにドライアイスを詰めた袋をいくつも公園に持って帰った。最初は白い霧を見て楽しんだりしていたのだけど、誰かが袋に水を入れ始めた。猛烈な勢いでぷくぷくと泡が出てきた。それを眺めながら私たちは騒ぎに騒ぎ、ふざけあっていた。興奮していた私たちは、R君がドライアイスと水をあたりにまき散らし始めたのを皮切りにドライアイスの袋をお互いに投げつけ始めた。ただただ楽しくて楽しくて仕方なかった。

 

 「あの時どうしてあんなに楽しかったのか今では説明できない」みたいなことを彼が言って、私も全く同意だった。多分あの時の感情は今よりももっと原始的で素直だったのだろうと思う。「楽しい」と「楽しくない」という感情が今よりも大きくはっきりとあって、「危ない」とか「怒られる」といった感情はまだ小さかったのかもしれない。

 いずれにせよ、私たちの行動を見て「危ない」と思った大人が警察だったか学校だったかに電話して、翌日私たちは担任に怒られた。「なんでこれぐらいで電話するんだよ」とその時は不服だったし、怒られてもドライアイスが「危ない」とは到底思えなかったのだ。やがて、マックスバリューのドライアイスは勝手に持ち帰れないようになった。至極残念だった。

 

 

 成人式の後、私は高校の同窓会に行ったのだけど、地元では中学の同級生で集まっていたらしい。何人かの友達について聞くと、彼らの現在について教えてくれた。いろんな人がいて、結婚した人もいた。警察学校に通っている人もいたし、病んで引きこもっている人もいた。私たちのような大学生もいたし、高卒でばりばり働いている人もいた。何年も会ってないから、私の中で彼らはまだ小学生のままなのだけれど、現実世界の彼らはもう21歳になっている。悪かった性格がよくなった人もいるみたいだし、だいぶ変わってしまった人もいるみたいだ。私は今もこの街に住んでいるけれど、もう全員と会うことは無いのだろうと思う。道ですれ違ってもわからないかもしれない。そう思うと少し悲しい。

 

 私は中学受験をして以降、地元の友達とは疎遠になってしまった。月日が経って成人式で再会した私たちはLINEを交換した。ただの「友達」としてLINEのアプリの中に居続ける存在になる可能性もあったわけだけど、どちらからともなく連絡してまた会うことになった。これからも彼とは定期的に会うと思う。不思議だなあとも思う。

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