シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#21 ワインズバーグ発ミスド行き

 

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 今日はなんとか学校に行けた。でも明日の教科のテスト勉強はどうも終わりそうになくて、昨日から困っている。

単位を落とすわけにもいかないから、ダメもとでいいから勉強をしようと思っていた。早く終わらないかなーと思いながら2限を受けて、まったく授業に集中できないままにチャイムが鳴って、それからキャンパスの解放教室で勉強することにした。しかしリュックの中身を出して私は愕然する。明日の教科のファイルがない。どうも家に置き忘れてしまったらしい。焦る。せっかく一時間半もかけて学校に来たのに家に帰らないといけない。大学で勉強をしようと思ってたくさんノートと本を持ってきたのに肝心のファイルだけがないのだ。あんまりだ。「ああ、自分のばかばかばか」心の中で叫ぶ私。ボールペンを壁に投げて机をひっくり返し、悪態をつきたくなるけれどしかしここは解放教室。私は落ち着いた風を装いながら部屋を出てバス停に向かう。入室してすぐに部屋を去る私を何人かがいぶかしんだ目で振り返る、そんな気がする。まあくよくよしていても仕方がない。帰ろう。

 

 

 キャンパス間を移動するバスは混んでいて息苦しかった。いつもキャンパス間を無料で移動するバスに乗り、別のキャンパスを経由して家に帰る。クーラーが効いていて涼しいはずなのに居心地が悪い。他人がすぐそこにいることに緊張する。息が浅くなっているのがわかる。窓を破って外に飛び出したくなる。私は空想の中でアスファルトの灼熱と混雑したバスとを天秤にかける。そうして自分の匂いと汗とオーラを消してただひたすら目の前にある小説に没入しようと努力する。シャーウッド・アンダーソン『ワインズバーグ、オハイオ』。

 

 

 家に帰って勉強する前にご飯を食べよう、そう思って食堂に入った。「腹が減っては戦が出来ぬ」そうおばあちゃんも言っていた。さっきまでいたキャンパスとは違ってこっちのキャンパスは和気あいあいとしている気がする。きらきらした若さが眩しい。そうたいして年の差がないはずなのに12歳下の彼らを見ると自分が年を取ってしまった気がする。幼稚な部分を抱えたまま老成してしまった自分のいびつさが痛々しいと少しだけ思う。きらきらして眩しいと思う反面、私は彼らのことを心のどこかで見下している。そんな無駄なプライドもどこかにぶん投げてしまいたいと思うけども捨てきることが出来ない。もどかしい。プライドも幼稚さも自分では自覚できなかった頃は楽だっただろうなと思う。でもその頃の私が日々をどう過ごしていたのかは思い出せない。

 

 

 食堂の看板メニューである麻婆丼を食べながら小説の続きを読む。ラストの数編を一気に読み切った。主人公のジョージ・ウィラードを乗せた汽車は、彼が育った田舎町を出て新たな冒険へと彼を連れて行った。それがラストシーンなのだが、その冒険には何の保証もないようであった。ジョージはまだ18歳だった。小説の舞台となった19世紀の終わりのオハイオ州のスモールタウンでは、大人になる年齢が私の周囲の世界より数年早いようだ。

 左手に文庫本、右手にスプーンと言ったスタイルで30分過ごした後、大学の坂を下りた私は主人公のように駅に出た。ジョージとは逆に私は家に帰る。故郷を去った彼とは違って私は22歳になってもいまだに育った町から出ることが出来ない。少し歯がゆい。もしかしたら2018年の関西圏に生きる私には故郷を去るということなどは必要ではないのかもしれない。もしかしたら大人になることさえも。

 

 

 ようやく最寄り駅について自転車に乗って家路を急ぐ。とここで気づく。頭が真っ白になる。

「あ、家の鍵わすれたわ」

 ポカーンとした。もう最悪だった。いつもなら歌いながら下る坂道も何も歌えずに終わって家に着いた。そこにあるのはマイスィートホームなんかではなくてただのコンクリートの塊だった。二階のテーブルのあるあたりを見上げて「あそこらへんに鍵があるんだけどなあ」と恨めしく思った。結局ミスドに行くことにした。蝉ばっかりうるさかった。

 

 

 途中のドン・キホーテで制汗シートを買った。来週からの台湾滞在に一役買うにちがいない。8月をまるまるひと月使って私は台湾に行く。少し緊張している。ドン・キホーテで売られているものは「安い」と刷り込まれているから無思考で買ってしまう。ここのドンキは昔から治安が悪くて、地域の悪ガキが地下駐車場で喧嘩を繰り広げていることで有名だったけど本当のところはどうだったのだろう。小学校6年生の時、同級生の何人かがドンキの駐車場で他校と喧嘩をしてきた、と自慢をしていたけれどかなりの割合の嘘があった気がする。

 レジを出たところで「うまい棒」を配っているお兄さんがいてその人に話しかけられた。よく見るとお兄さんは二人いてどちらも赤い服だった。何かの客引きなのだろうと思ったけど何の客引きかわからなかった。

「今質問に答えていただいた方にうまい棒をお配りしているんですよー」少し怖かったけれどし、悪徳商法だとしても最悪逃げたらいいやと思ってうまい棒をもらうことにした。牛タン味だった。

 

「それでは一つ目の質問行きますね? いま10代ですか? 20代ですか?」

 

 多分彼は私がマーケティング対象に入っているのかを聞き出したいのだと思うのだけれど、クイズ形式で質問をする彼のガッツに感心してしまった。「20代です」と言うと「なるほどーーー」とリアクションをしてくれる。そうしてまたうまい棒をくれる。今度は焼き鳥味。牛タン味とか焼き鳥味とかいろいろ種類があるんだなあとちょっと感心した。うまい棒を作る会社の人はすごいなあ。

 次に来た質問は、私が下宿生か自宅生かどうかを聞くもので、私は下宿生だと答えた。「なるほど、いいですね!」と笑顔で言う彼はようやく本題に入って格安スマホとポータブルWiFiのセールストークを始めた。ただ、私はあんまり必要とは思えないのには全く不要なので断った。最近別の格安スマホに契約をしたことと、YouTubeを視る時は家ではなくてWi-Fiのある大学へ行くと言った。「なるほど、そうですか。ありがとうございます」と言って彼はもう一本うまい棒をくれた。食べたことのあるコーンポタージュ味だった。

 実はうまい棒はあんまり食べたことがない。初めて食べたのは町内のクリスマス会に参加した時だった。たぶん12歳とか11歳とかそこらへんで、おいしいともまずいとも思わなかった。ただ脂っこいと思った。高校3年生の時、隣の席の女の子が誕生日に18本のうまい棒をもらっていた。そのうまい棒を近くの席の友達と一本ずつもらって食べた。平和だった。

 

 

 よくわからなかった。彼はおそらく私とそう年が変わらなくて、でもドン・キホーテのレジを出たところの暗い廊下でセールスをしている。あんなにさわやかな彼が脂っこいうまい棒を配っているのも、勉強をするために私がミスドに行ってコーヒーを飲みにいかないといけないのもよくわからなかった。大学を卒業しないといけないことはわかっているけれど、大学の勉強がどういう風に自分の人生に役立つのかさっぱりわからなかった。

 ただ自分のいるこの場所が自分のための場所ではないような気がした。自分にふさわしい場所はもっと他にあるはずだし、自分はこんなところに収まりきる人間ではないと思った。それはかなり傲慢な感覚だということも私にはわかっている。そしてそういう風な傲慢を抱えた人間——同級生の何人かや歴史上の人物、特に殺人犯や独裁者——がどういう風に評価されていて、どういう末路を送ったかを私は知っているつもりだった。しかしこのところの私はそんな肥大化したプライドに振り回されている。いい加減目を覚ませ。

 

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 『ワインズバーグ、オハイオ』には何かしらの欲求を持ちながら、その欲求を”正しい方法で”昇華させてうまく自己実現できない人々が描かれていた。彼らの何人かは自分の欲求が何なのかを探し当てることができず、何人かは探し当てることに疲れ果て、何人かは間違った方向に欲求をぶつけてしまう。

 そういった”いびつな”人間たちの悲しみや寂しさを読んで私はやり切れなくなった。私のいる場所は19世紀末のオハイオ州とは状況が随分違うようで結局は一緒なのかもしれない。”正しい方法で”自分を表現するにはどうしたらいいのだろう。わからないし、本当のところ正解なんてないのかもしれない。今ははとりあえず明日の勉強をしないといけない。