シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#184 初めて時間を意識した時

 80歳まで生きられるとして、人間が一生に生きる時間は4000週間しかないらしい。昨日読んだ本の冒頭にそんなことが書いていた。そう考えると一生はとても短い。私は今26歳で既に人生の3分の1を生きたことになる。残りの時間は2600週余り。これから1日に1円ずつ貯金しても1万5千円も貯まらない。そんなことを真剣に考えているとパニックになる。もっと時間を大切に使うべきなのではないのか。目の前にあるこの仕事は本当にやるべきことなのか。この仕事の意味とは? いやそもそも人生に意味はあるのか? 私がここにいる意味とは? 母と父、結婚と離婚、そして祖父母。偶然と偶然が掛け合わさり私がたまたまここにいる。そしてどういうわけか箱根のゲストハウスで働いている。秋の空は高く軒先の百日紅の葉が黄色く染まって散る。明日も玄関先の掃除が必要かもしれない。窓の向こうに見える明神ヶ岳の雑木も色づいてきた。巡る季節の中で私も老いていき、いつかは風の中の塵になる。さっき交わした会話、5時のチャイム。山の中で聞いた鹿の鳴き声も、この前嗅いだ金木犀の香りも、全て無かったも同然になる。実家の机の中に忘れ去られたガラケーもその中に閉じ込められた高校時代のたわいないやり取りも、いずれ誰の記憶からもなくなり、あったかどうかさえ確かでなくなる。残りの人生について考えるとどうしても感傷的になってしまう。もう。嫌になるなあ。

ゲストハウスのバルコニーから眺める秋の空
 死んだ人は生き返らないということに思い至り、伯母の家のトイレで泣き出したのは4歳の時だった。当時の私は、ある理由で突然父親と会えない状況になり、父親の顔を忘れまいと毎晩父親の顔を思い浮かべてから寝ているような時期だった。ある日、保育所のカレンダーを見て、1990年代が終わって2000年になっていることに気づいた。父親がいた時代は90年代だったのに時間はとうに過ぎてもう2000年だった。2000という数はとてもキリが良くて、記念すべき数字であるように思えるのに、誰も2000年になったことを私に教えてくれなかった。「誰か、2000年になったことを私に言ってくれたらよかったのに!」そういうことを保育所の先生に言い、先生は困ったように笑った。その日は今日と同じような秋の日で、肌寒さを感じる頃だった。

この前行った小田原の御幸の浜
 その次に思い至ったのは「私はもう父親と過ごした90年代に戻れない」ということだった。怖くなった。「それって帰りたいあの頃にもう戻れないってこと?」父親のことも父親の家も、父方のおばあちゃんのことも、もうぼんやりとしか思い出せなくなっていた。庭に面したガラス戸から光が差し込む廊下。またがって遊んだ掃除機、小さなボールプール。朧げな景色は浮かぶけれど、それをどのようにして記憶に留めておけばいいのかわからなかった。ただただ忘れないようにしたいと強く思い、そしてあの頃に戻りたいといつも思っていた。

 
「○年の○月の○日の○時○分○秒というのは、一度しか来ないの?」周りの大人に訊いて回った。
そんなの当たり前だよという顔で、大人たちは笑った。誰に聞いても笑っててあたりまえだということが不思議でたまらなかった。「今」は一度しかないのに、どうしてみんな「普通」の顔でいられるのか?
 
 ひいばあちゃんのお葬式を思い出した。みんなが黒い服を着て、退屈だった。初めて見る「コンペイトウ」という名前のトゲトゲしたお菓子を食べた。親戚の知らない子がいて少しだけ一緒に遊んだ。
 
「死ぬ」ということがどういうことか、お葬式ではわからなかった。でもトイレで泣き出す直前、「死ぬ」ということがどういうことかわかった気がした。時間が戻らないように、死んだ人も帰っては来ないのだ。
そして恐ろしいことに、1999年が終わって2000年になっても、あるいは誰かが死んでも、時間は止まらないのだ。昨日までと同じように地球は太陽の周りを回り続け、月は地球の周りを回る。誰も待ってはくれない。死んだ人は時間の流れから切り離されて、ずっと死んだままそこに留まるというのに。

 宇宙の広大さを思った。その中で自分は一人ぼっちだと思った。この広い宇宙の中で、この悠久の時間の流れの中で、自分というのは何て小さくて取るに足らない存在なのだろう。大人と一緒にいて可愛がられていても、友達とお遊戯しても、結局私たちは皆ちっぽけな存在なのだ。そんなのあんまりだと思った。もし明日自分が死んだとしても、みんなは私のことを置いて先に進んでいく。私が死んだ後も、死ぬ前と同じように日常は続く。太陽も月も風も、私の死など気にも留めないだろう。耐えられなかった。でも大人たちは私がどうして泣いているのかわからないようだった。

古くからある山道。この道はいつからあるのだろう?
 
 その日、私は完全に時間の流れに取り込まれた。時間を意識しなくても生きることができた幼年期は、さよならもなしに、既に遠くに行ってしまっていた。
 
 
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#183 サッカー好きの関西人。神奈川にいる。

 箱根の旅館で働いている。6月中旬に来て、今日でちょうど2ヶ月。今日は休みをもらった。最初の登山鉄道の列車に乗って山を降り、小田原に出ている。今日は小田原でのんびりするつもり。といっても、整形外科に行く用事ができてしまったので午前中は駅前の整形外科にいるだけで時間が潰れてしまった。

キッチンかぶらの朝食。バイキングで食べ放題なのだ

キッチンかぶらに初めて行った時、七夕の時期だったので短冊を書いた
 朝ご飯はキッチンかぶらという小田原城の近くにある場所で食べた。朝7時から9時の間なら、バイキング形式の朝ごはんが食べ放題なのだ。料金はなんと550円。安い。そして美味しい。加えて店主の人が気さくで優しい。まだ2回目なのに顔を覚えてくれていて、嬉しかった。常連さんはこの街の人が多くて、愛されているお店という感じがする。店主の女性はいつもお客さんと話している。この前行った小田原おでんの店も、店員さんが1人で来た私に話しかけてくれたし、小田原はオープンな人が多い土地なのかもしれない。観光地って、外からの人が多い分、逆に閉鎖的というか、人間関係がサバサバしているイメージだったけど、ここはそうじゃないのかも知れない。

小田原駅
 よく使うネットカフェのある鴨宮や小田原を歩いていて、湘南ベルマーレのロゴをよく見る。Jリーグでもそんなに強くない湘南ベルマーレ。そんなチームを応援している人達がここにはいる。関西にいる時はベルマーレサポーターに会ったこともなかったし、そのクラブに付随する文化についてなど考えたこともなかった。不思議だ。

鴨宮のネットカフェ
 関西出身で、兵庫県民だからという理由だけで、ヴィッセル神戸をなんとなく応援している自分は、今まで湘南ベルマーレというチームをちゃんと意識したことがなかったことに気づく。少し前のヴィッセルがそうだったように、湘南ベルマーレは一部と二部を行き来するエレベータークラブである。神奈川に本拠地があって、でも横浜に拠点を置くマリノス横浜FCとは違う。薄い緑色がチームカラーで、エンブレムに波のデザインが入っていて、でもどんな選手がベルマーレにいるのかなんていうことは知らない。今シュトゥットガルトや代表で活躍する遠藤航が、湘南ベルマーレでキャリアを始めたということだけはなぜか知っている。
 
 今住んでいる地域はサッカーが盛んな気がする。小田急に乗っていると町田ゼルビアの広告もよく出ているし、神奈川から県を跨いで静岡に行けばそれこそサッカー王国だ。ちびまる子ちゃんでも「静岡は日本のブラジル」みたいなことをさくらももこは書いていたと思う。来週、静岡サッカーミュージアムという場所に行く。入場料は無料で、エントランスではゴン中山が音声で挨拶をしてくれるらしい。楽しみだ。エスパルスジュビロ、それに日本代表の展示があるらしい。近くに美術館が2つあるから、はしごして行ってみようと思う。 

静岡サッカーミュージアム
 受験して入った中学は大阪市北部にあった。サッカー部にはガンバを応援している友達が何人かいて、一緒に万博記念スタジアムまで試合を観に行った。二川や藤ヶ谷、梶といった選手がいた頃。もう10年以上も昔だ。アジアチャンピオンズリーグの試合で、対戦相手は中国のチームで、試合前はガンバが圧倒するとみんな予想したけれど、スコアレスドローだった。蒸し暑い大阪の夜と満員のモノレール。友達と夜一緒に過ごせるだけで楽しかったあの頃。
 同じ英語塾に通っている女の子でOさんというサッカーに詳しい子がいた。眼鏡のテンプル(つる)が黒とコバルトブルーのツートンカラーになったプラスチックで、プーマのロゴが入っていた。彼女は服や靴もプーマで揃えていて、クールでスポーティーな感じだった。塾の授業が始まる前、女の子達はジャニーズや芸能人について話していたのだけど、Oさんはガンバの中澤聡太のかっこよさを、NEWSの手越や嵐の松潤と並列して語るのだった。ウォークマンを聴いているふりをして、あるいは単語帳を覚えているふりをして、聞き耳を立てていたのは内緒だ。
 
 サッカー部に入ったものの、Jリーグのことも海外サッカーも全然知らない私は、彼女の話を盗み聞きしたり、メールで教えてもらったりしながらサッカーの知識を深めた。14歳の時に海外サッカーの面白さに目覚めた私は、イタリアリーグのACミランのファンとなり、最終的にロンドンに拠点を置くアーセナルというチームのファンになるのだが、その頃はよくJリーグを観ていた。友達とヴィッセルの試合を観に行ったり、天皇杯の決勝を観ながらOさんとメールを送ったりした。
 
 昨日、夕食出しを担当したカップルはスマホでJリーグの試合を観ていた。コンサドーレ札幌ヴィッセルの試合。カップルの男性の方が関西出身でヴィッセル神戸のサポーターらしい。毎試合チェックするくらいの「ちゃんとした」サポーターなので、俄かファンの私とは話が合わないところもあったけれど、それでも地元兵庫の話や、昔北本久仁衛や石櫃、ポポといったヴィッセルの昔の選手について話せた。嬉しかった。関西弁が懐かしくて、少しだけ家に帰リたくなった。
 彼は昔摂津本山の鳥貴族でバイトをしていたことがあるらしい。私は大学に入った頃にMと一緒にそこに行ったことがあるので、もしかしたら会ったことがあるかもしれない。一瞬だけ人生が交差して、また離れていく。もっと長く時間を過ごせば交わせたかもしれない会話について思う。空想はちょっぴり悲しくて、ちょっぴり甘い。

湘南の海
 湘南ベルマーレはフットサルのチームも持っていること、TBS系列はリモコンのチャンネルが関西とは違ういうこと。一人称が「ぼくっち」の沼津弁話者が本当にいるということ。相模湾に面した小田原は蒲鉾などの練り物が有名であること。そういうことを知っていくこと。誰かに教えてもらうこと。知ろうとする姿勢を持ち続けること。
 関西では知るはずもなかったことを、ゆっくりと知る。いくつかは大脳皮質からじっくりと浸透し、記憶に定着するだろう。そして忘れた頃に、ふとした拍子に記憶の底から甦り、私をニヤリとさせるのだ。もうそれだけで生きる意味があるなと思う。

小田原おでん。この前は一人で行ったけれどいつか友達と行きたい
 
 
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#182 引き算の人間関係について。角田光代『対岸の彼女』を読みながら


 結局人間は分かり合えないのだと思う。そして最後は傷つけ合って終わるのだと思う。楽しいのは最初だけ。大学に入ったあの頃。可能性の青い扉が開けて、誰とでも友達になれそうだったあの数週間。あるいは高校、中学、小学校。
 誰かと仲良くなる。一緒に時間を過ごす。その人のことがわかったような気になる。それなのに時々その人は全然知らない顔をする。「ああ、知っていると思っていたのに、全然知らない人なんだ」
 当たり前のことを確認。また再確認。そのうちに人間関係ができる。仕事ぶり、家族構成、趣味。部活でスタメンかそうでないか。最初はふとした歪みから。
 チューブから出た歯磨き粉が元には戻らないように、人と人の関係も、一度進み始めるともう元には戻らない。穴が一度開いたら船はもう沈むだけ。見切りをつけて救命ボートに乗る。まだ生きている人を探して、呼び集めて、そして次のステージへ。
 
 人間関係は出会った頃からの引き算だと思う。あるいは長い間そう思っていた。そういう風にして生きている。私のこの告白を、あなたはどういう風に受け取るだろう? ロシア語専攻の先生たち。ちゃんと仲良くなれた一握りの大学の友達。もうほとんど会わないけれどこの世界のどこかに確かにいる高校の友達。今いるバイト先の同僚、先輩。よく行くカフェの人。
 
 スキーヤー新雪を探して歩き回るように、私は新しいものを探している。新しい人、新しい場所、新しい勉強。驚くほど簡単に何かを好きになり、知ろうとする。近づけば近づくほど、知れば知るほど、その人からは遠ざかる。知らない顔が出てくる。度量の大きな人なら、その知らない顔さえ愛せるのだろう。でも私は知っている人の顔の知らない表情を直視できない。正面から太刀打ちできない。昨日まで「同じ」国にいたのに今日から「違う」国にいる私たち。「なんだ、今まであなたは、私と「同じ」であるかのように偽装してたのね」勝手に裏切られたような気持ちになって、また引き算。最後にゼロになって、私はその人の元を去る。苦言の一つも言わずに。もちろん喧嘩なんてしたりしない。無言のままでフェードアウト。

 大人だと思っていた友達の子供っぽい愚痴にうんざり。友達の異性に対する態度に幻滅。酔った勢いで罵倒してきた先輩。お金があるからって、成金が好んで乗るようなそんなつまらない車に乗らなくてよくない? なんでそんな人と付き合ってるの? へー、そんな映画が面白いと思うんだ? さっきの態度、誠実じゃないんじゃない? あんた、さっきから口を開けばお金の話ばかりしてるね。昔からそうだったっけ?
 
 減点減点減点。チェックボックスにマークが付けられていく。お前らなんて大嫌いじゃ。元から好きやなかったんや。そもそも住む世界が違ったんか。言い訳言い訳言い訳。でも心の中ではわかっている。そうやって突き放すのではなく、歩み寄る方が大事なのだと。そうした歩み寄りが人間としての大きさであり、世界を良くしていくために必要なのだ。漠然とではあるが、平和な世の中であって欲しいとずっと思っている。
 
 角田光代の『対岸の彼女』を読む。寮の洗濯機と乾燥機を待ちながら。面白い。面白すぎる。ページをめくる手が止まらない。今朝起きたのは遅かったし、明日も早くないから少しくらい夜ふかししてもいいだろう。そう思ってまたページをめくる。次の章。また次の章。
 
 2人の主人公が出てくる。結婚して出産し、仕事を辞めた専業主婦の田村小夜子と、旅行会社を運営している楢橋葵。同じ大学出身であるということ以外に特に共通点を持たない2人の人生が交差して、そしてまた別れていく。そんな話。
 
 現代の小夜子の話と、高校時代の葵の話が交互になって物語が進んでいく。肩書きや家族構成、職業だけ見れば大きく異なるように見える彼女たちだけど、実際にはそんなに単純なものではないことが次第にわかる。ある場所を見ればとてもよく似ているし、また違うところに目をやれば、全然違う。人間というものはそうそう単純なものではなくて、モザイク壁画のように色とりどりのタイルが積み重なって全体像が出来上がっているのだ。でも私たちは時間がない。その人の背景にも家族構成にも思いを馳せるだけの余裕がない。その人のことを手早く理解しようと思えば、履歴書やゴシップ、誰かの噂話がなかなかに便利で、ついついそれに頼ってしまう。そして、たった数回の事象を見ただけでルールを見出し、その人のことを決めつけてしまう。悲しい。
 
 生まれてから現在まで、その人の人生を追体験できればいいけれど、でもそれは不可能。そもそも、そんなことが可能だったとして、それでその人を全部理解できるとも思わない。むしろ全部理解し尽くせないことに、世の中の面白さがあるとも思う。でもそれはまた別の機会で。長くなりそうだから。もうすでにかなりとっ散らかった文章だし。
 
 小夜子の視点で語られる現代では、葵は、女社長であるという肩書きだけが一人歩きして、色々と勘違いされている。それは彼女の自由でフランクな言動のせいでもあるのだけれど、高校時代の葵のことも並行して知っている読者は不思議に思う。高校時代の葵にはいじめのために横浜から群馬へ転校をした経験があり、クラスでの序列や人間関係について気にしている。そこには現代の葵に見られるような「浮ついた」姿はなく、むしろ引っ込み思案で周りの目を気にしてしまう物語冒頭の小夜子に似てさえいる。当然、高校時代の葵も現代の葵も同じ人物ではないから、それは普通のことだ。でも読者は不思議に思う。大方の予想通り葵の高校時代には何かしらの事件が起こり、彼女も変化していく。
 
 一度分かり合えたかのように思えた小夜子と葵も、やはり結局は分かり合えず、彼女の人生は束の間交差しただけで、再び別方向へと向かう。そういう話だと最後の最後まで思っていた。だからこの本のタイトルは『対岸の彼女』なのだと。川を挟んで別々の国にいる人たちの物語なのだと。でも角田光代が用意した物語のエンディングは予想と違っていて、生きる上で勇気をもらえるようなものだった。
 他人を理解するために臆病さに打ち勝つこと。そして自分の人生を切り開くために人間関係の中に居続けようとすること。そういうことを考えながらあとがきを読んでいた。乾燥機はとっくの昔に止まっていた。

 そうそう、角田光代は神奈川県出身らしい。前の記事でも書いたけれど、私は現在箱根の旅館で働いていて、休みの日には小田原や湘南、そして横浜へと繰り出している。『対岸の彼女』の中では高校時代の葵が同級生の魚子(ななこ)と横浜を歩き回るシーンがある。そして静岡の海沿いの民泊でバイトをする場面もある。最近の私は熱海や三島、伊豆にも行っているので、何となく土地勘のようなものができていて、その分楽しめた。人生の中で、たくさんの場所や物を知っていけば、文学をもっと楽しめるようになるのかもしれない。それだけでもこの世の中は生きる価値があると思う。
 
 
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#181 緊張とお風呂と本

 あと数時間で誕生日を迎えるというのに私は浴槽に浸かりながら芥川について考えている。箱根の旅館。働いているスタッフはお客様と時間をずらした深夜帯に入浴できることになっている。私はお風呂が好き。でもここでは、一度建物を出て、大浴場のある姉妹館まで行かないといけない。炊事場とバックヤードを通りエレベーターに乗り込み、4階まで。いささか不便。お風呂にたどり着くまでに頭を下げないといけない回数が多すぎる。私は仕事を終えているけれど、炊事場ではまだ食器を洗っている人がいて、そういう人を無視するわけには行かない。けれど元気よく「お疲れ様です」なんて声を掛けるのは、空虚さをわざわざ増幅してしまう気もする。でも何も言わないのもおかしいと思う。だから遠慮がちに「お疲れ様です」と消え入りそうな声で言う。そうなのだ。私はずるい人間なのだ。

7月になったけれどまだ紫陽花は咲いている
 大きなお風呂というのはいつでも最高。なのだけれど、少し飽きてきた。良い風呂だとしても毎日入るには遠すぎる。仕事が終わってすぐにお風呂に入れないのは夏場はきつい。ネクタイとワイシャツをして お皿を運んで、仕事中はずっと汗だく。なのに、仕事を終えてから入浴まで1時間弱待たないといけない。寮の最上階にある自分の部屋に行って着替え、浴衣を着て外へ出る。暗い道、蛙の声。「失礼します」と言って網戸を開けて厨房へ。エレベーターはすぐ来ない。後ろからは食器を洗うカチャカチャという音が聞こえる。まだ働いている人がいることに後ろめたさを感じる。感じなくてもいいのに。生きにくいなあと思う。そういう「感じやすさ」みたいなのは文章を書くときには武器になるかもしれないけれど、社会で生きるのには不向きだ。今までの25年でわかったのは、自意識過剰が高じた時、私は失敗する傾向があるということ。周囲の視線を気にするがあまり、すべきことをできなかったり、言うべきことを言えなかったりする。勿体無い。そこまで緊張することはないのに。中学校でも高校でも予備校でもずっと緊張していた。今もリゾートバイトまで来てずっと緊張している。失敗するのが怖い。
 
 今のところお風呂が唯一リラックスできる場所だ。10時から12時なんて時間は誰も使わないから、好きに使える。歌うこともできるし、泳ぐこともできる。走っていって飛び込むこともできる。絶対しないけれど。仕事の場所と寮が同じ建物ということは、割とストレスで、しかもお客様と鉢合わせしないように仕事以外の時間も割と気を遣わないといけない。来週には慣れるのかもしれないけれど、未だに緊張する。部屋も狭いし、匂いにまだ慣れない。最上階だから暑い。そろそろエアコンを入れないとしんどい季節になる。昨日は仕事が終わって寮に帰ったら29℃もあった。

台湾旅行時に行った南東部、知本の温泉
 エアコンを入れないといけないなあと思いながら、エアコンから吐き出される風がかび臭かったら嫌だなあと思っている。実際部屋を開けたところの廊下にはカビが生えている。ダイキンのエアコンも何年も掃除されていないように思える。憂鬱だ。でもそろそろエアコンなしでは寝られないような季節になる。アレルギー体質だったり、喘息持ちだったりするのは、結構生きてて辛い。
 
 わざわざ違う建物まで歩いて行ってお風呂に入るというのは、面倒だけど気分転換にもなる。お風呂場は明るいから、脱衣所にある椅子に腰掛けて本を読んだりしている。この2週間で読んだ本は、大体脱衣所と洗濯機の前で読んだ。谷崎、西加奈子、そして芥川。
 大浴場やお風呂のシーンが出てくる小説が好きだ。『乳と卵』で姉妹が湯船に浸かりながら人々の体について品評するシーンも好きだし、最近読んだ西加奈子の「炎上する君」も物語の最後に起きる事件は高円寺の銭湯でだった。西加奈子は『窓の魚』でも温泉付きの旅館について書いている。もしかしたら西加奈子はお風呂が好きなのかもしれない。他の作品も読んでみよう。あと三浦しをんの『君はポラリス』の中にある「森を歩く」も、冒頭はアパートの狭いお風呂にカップルで入るシーンだった。映画なら『バーバー吉野』でお父さんと息子が家の風呂で狩人の「あずさ2号」を歌うシーンが好きだ。銭湯じゃないけど、『百万円と苦虫女』の蒼井優森山未來を好きになってコインランドリーでぼおっとするシーンも好きだ。

 それでも毎日使っていると大浴場にもだんだん飽きてきている。人間は勝手だ。大きな湯船に自分だけ。時々虚しくなる。初めは物珍しくて毎日行っていた露天風呂も、何日も行っていない。暑くなってきたから虫がたくさんいるだろう。そう思うと行かなくていいやと思う。いつでも行けるし。
 今日もお風呂に行く。別館まで歩いて、炊事場を通る。いつ行っても人がいる。飯炊きの人、皿洗いの人。何も変わらない毎日。適当に「お疲れ様です」とか言ってエレベーターに乗って、誰もいない廊下をお風呂まで歩く。もうかなりマンネリ化している。昨日は備えつきのボディーソープではなく、家から持ってきた石鹸を使った。匂いが変わるかなと思ったけれどあまり変わらなかった。今日は自分のシャンプーを使う。温泉の質のせいか、シャンプーのせいか、髪がバサバサになっている気がする。乾いた感じ。明日は昨日バイトを辞めたS子さんに頂いたボディーソープを使ってみよう。シトラス系の香りだから、気分が変わるかも。
 
 箱根の温泉なんてみんなが入りたいだろうに、毎日入っているとマンネリ化してくる。何か面白いことが起こらないかと思う。もし私の毎日が西加奈子の短編だったら、今日のお風呂には大きな赤いダルマが浮かんでいると思う。ダルマはお湯の中では浮いていて、ゆらゆら揺れて軽そうなのに、いざお湯から引き上げようとすると重たくて引き上げられない。

箱根の霧
 もし書き手が芥川なら、お風呂の中に幻覚が見えるのだろう。自殺した私の友人の顔がお風呂の湯気に浮かんで消える。あるいは脱衣所には私以外の誰の服もないのに露天風呂から誰かが上がってくるとか。西加奈子が湯船に残した達磨と格闘しているうちにダルマの国へと引き摺り込まれて、そこで人間の世界と鏡写しのダルマの社会を私目にするかもしれない。
 早く河童の続きを読みたいなあと思って湯船に浸かっている。湯船の中と、フィクションの世界の中でのみ、私の緊張は少し弱まる。箱根に来て2週間、毎日本を読んでいるけれど、これは現実逃避なのだろう。忙しい仕事から離れて束の間だけでも別の世界に行くことが必要なのだ。でもそれに熱中することでリラックスできる。不思議だ。現実世界からは離れられないのに、フィクションに心奪われるなんて。

孤独
 今読んでいるのは新潮文庫から出ている『河童・或阿呆の一生』だ。死ぬ前に、精神的に疲弊して薬物中毒になっていた彼の作品は、それまでの文章にあった気楽さや余裕が消えて、焦燥感に駆られて書いているような気がする。何かしらに焦っていて、自分を認められないまま、格闘している感がある。もう少し長く生きて、色々経験したら、彼はもっと違う文章を書けただろうと思う。50代になった芥川の文章など読みたかったなと思う。勿体無い。
 
 
 
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#180 幸せってなんだろう

 ラッキーオールドサンの曲「フューチュラマ」の歌詞にこんな箇所がある。
「幸せって何だろう? 青梅行きのホームで」
関西出身の私はわざわざ東京に行って、中央線のどこかの駅に降りて、歌詞の通りに青梅行きの電車を待ってみたけれど、別に幸せは見えなかった。見えるものではないと知っていても、なんだかがっかりした。そんな私に頭の中の金子みすゞが「見えぬものでもあるんだよ 見えぬけれどもあるんだよ」と呟き、私は来た電車に乗った。
 今、リゾートバイトで箱根の旅館で働いている。一泊25000円以上する旅館。私はまだ新人だから、午後のシフトしか入らせてもらっていない。基本的に夕食の準備と配膳がメインの仕事。その他に仕事は山のようにあるのだが、基本的には夕食しかやらせてもらえてない。最初は、お部屋に配膳する夕食について覚えていく。メニュー、お皿の並べ方、料理を紹介する口上。それが今週の主な仕事だった。献立には知らない日本語がたくさん出てくる。迎腕、絹かつぎ、道明寺蒸し、香物。

「今日はどうされたんですか?」とお客さんに聞くとよく話題に上がる大涌谷
 四半世紀以上、日本語を母語として生きてきたのに、まだ知らない言葉がある。それってすごいことだ。私は覚えたての言葉を嬉々として使う。お客様はそれをフンフンと聞いている。「説明なんていいから早く食べたいなあ」と何人かは内心で思っているだろうけれど一応一通り話す。何層にも重ねて作られたサーモンの花造りに使われている食材は何か。絹かつぎとはどういった料理なのか。十割蕎麦の一口目は風味を楽しむために水に潜らせた方がいいとか。説明に次ぐ説明。
 説明を聞いたからといって料理が美味しくなるわけではないけれど、味わい方やエピソードを知った方が料理は楽しくなる。食べ方もわかる。正直、食べ方に正解なんてないと思うのだけど、そういうことを言うのが今の仕事だ。そうした「説明」がサービスであり、付加価値である。お客様が楽しんでいるのがわかる時、リアクションがあった時は嬉しい。
 
 自分の旅行について考える。自分がどこかにいく時、泊まるのはゲストハウスであって、旅館ではない。お風呂に入りたければ銭湯に行く。ご飯を食べたければコンビニや中華料理屋に行く。ゲストハウスはオーナーや旅人と語らう場所で、時々バーが併設されていて、たまに可愛い猫がいて、DIYで作り直した古民家であることもある。それが私が優先する価値である。「高級料理」は私の中で順位は高くない。むしろ低い。だから私がお客としてこの旅館に来ることはないと思う。料理の説明をされてもむず痒くなるだけだ。自分のテーブルマナーの酷さに恥ずかしくなるだろう。

山形にある大好きなゲストハウス「ミンタロハット」
 歯の浮くようなセリフを毎日言っている。自分がそんなセリフを言うようになるなんて。「かしこまりました」「ただいまお持ちいたします」「のちほどお部屋に伺います」「こちらにご記入お願いいたします」
 今まで接客のバイトをほとんどしてこなかったことを実感する。接客の経験が少しでもあれば、これほどまでに違和感を感じなかっただろう。大学生以降経験した接客のバイトは2つ。イベントスタッフと新入生向けのアパートの紹介しかない。障がい者向けのショートステイはある意味では接客だけれど特殊すぎる。「接客バイト」というより「介護のバイト」と言うべきだろう。

 箱根に来て、食事からお風呂から何から何までやってもらって寝て帰る。それが幸せの形なのだろうか。その感覚があまりわからない。ただ、働いていると、自分のしていることがお客様に喜んでもらえていることを感じる瞬間があって、そうした時は感動する。関西にずっと住んでいた人間が箱根の旅館で泊まりこみのバイトをしている。そして日本全国から来た人をもてなす。料理の配膳や紹介。小さなコミュニケーションを通じて束の間だけ心を通じ合わせる。夕食を出す人、出される人。少しだけ人生が重なって、また離れていく。その繰り返し。理解し合うほどまでに近づくことは決してない。それでも通い合わせた何かに毎日のように感動する。前のバイトでもそうだった。多分次の仕事でもそうだ。

梅雨の時期だからか箱根では毎日のように霧が出る
 もしお客様が源泉掛け流しのお風呂が各部屋にあるような旅館に泊まることを、料理が数回に分けて部屋に出されるような旅館に泊まることを「ステータス」だと思っているならそれは理解できる。男女で来て、一緒に数時間過ごし、思い出を作る。思い出を作るのに厳選掛け流しのお風呂も、大涌谷の名物である黒たまごも必要ないように思うけれど、でもそうして目に見える形にしないと幸せは共有できない。自分が文章を書くのもきっと同じようなことだ。相手が大事だから。大事な人と過ごす旅館なら「いいもの」にしたいから。思い出に残るから。高いステータスが選ばれ、今日も私は夕食の説明をする。来週からは朝食の説明もするだろう。起きられるか不安だ。

京都三条大橋のスタバ
 ある人が、1週間に一度スターバックスでフラペチーノを飲み、その写真をインスタグラムに投稿することで自分を保っていると言っていた。その気持ち、私はよくわかる気がする。
 中学時代、自分の尊厳を守るために勉強していた時期があった。高校になってから半ば信仰のように映画を観ていた。中学受験した進学校で周囲との間に貧富の差や文化の差を感じた私にとって、勉強こそが周りに勝つ手段だった。高校では、大学進学に向けて勉強ばかりしている同級生が馬鹿みたいに思えていた。芸術系の仕事をしたいと思っていたから、感性が若い時期になるべく沢山のものに触れようとしていた。結果的に私は25歳でいまだに何者にもなれていないけれど、勉強熱心で感受性の豊かな人間にはなった。これから先、腰が曲がり、顔がどれだけしわくちゃになろうとも、目だけはキラキラしていると思う。死ぬ間際になってきっと後悔する。何者にもなれていないだろうから。

鳩も何かになりたいと思っているのかなあ
 他人から舐められないために、また自分を信じるために、インスタにスタバの写真を投稿することは必要なのだ。学校の成績という揺るぎない物差しも同じ。学校をサボって映画の感想を書いたノートでさえ、自分を保つために必要だった。
 社会から祭り囃されるもの。学歴、収入、家庭の有無。学歴以外、そういうのに無縁なので、代わりとなるものを探さないといけない。メインストリームを歩かないから、歩けないから。他の道を探して、その道に沿って進む自分を信じないといけない。舐められないためにも大丈夫なように振る舞わないといけない。久しぶりに会った別に仲良くもない友達。「シゲ、そんなので大丈夫なの?」「うちの親が心配してたで」「フリーターとかやばいやん」
 正直、もう同窓会にも野球大会にも行かなくてもいいかなあと思っている。会いたい人は連絡してくるだろうし、会いたい人には連絡するし。気難しくてごめん。

去年の今頃、大学から高校まで歩いた
 来月、友達の結婚式に出席する。いわゆる「幸せ」を体現したかのようなビッグイベント。その友人が幸せであることを私は心の底から願うし、彼が悲しい時は私も悲しい。それでも家庭にコンプレックスがある私にとって、劣等感に苛まれるイベントになる気がする。悲しい。本来友人を祝福し、幸せを願うための行事なのに、私は自分のことばかり気にしてしまうような気がする。私は未熟で自分勝手な人間だ。申し訳なくなる。主役は彼と彼女なのに。

この写真は結婚式ではない。尾道のお祭りの写真である。
 この前、初めて母親の結婚式の写真を見た。古いアルバム。父親の写真はほとんど全て抜き取られていて、唯一彼の顔が写っているのが結婚式の写真だけだった。この書き方で察して欲しいけれど、私は母子家庭で育った。父親は遺伝子と養育費とウルトラマンの本以外、何も残してくれなかった。彼は脳出血の後遺症で医師として働けなくなり、引きこもった挙句、近畿地方のどこかのアパートで孤独死を遂げ、警察に発見された。結婚式に出席した友人の、誰とも連絡を取っていなかったらしい。私は「会いたい」というメッセージを送ったけれど、彼は拒否した。だから私は父と3歳以降会ってないし、写真以外の父をうっすらとしか覚えていない。この前、お骨になった父に手を合わせに行った。写真に写った人は、全然知らない人だった。みんなが色々な意味を込めて言うであろう「ご冥福をお祈りします」という言葉に、何の気持ちも込められなかった。いけしゃあしゃあと思ってもいないことを言う自分に、乾いた笑いが込み上げ、漏れそうになった。
 あるいは祖父母のこと。最後まで恨み言を言って死んだ祖母と、何もわからずに能天気な祖父。孫から見てもわかる。彼らの結婚は幸福だったとは言い難い。生まれてきてしまった私は一体なんなのだろう。私が生まれてきた意味とは? 私は誰のための何なのだろう?

いつかの年の暮れ。祖父、母、私
 きっと私は友人の結婚式に出席して彼を祝福しながら、頭の隅で自分の家族について考えるのだろう。今から考えてもそれは憂鬱で、友人に対して申し訳なく思う。私よりもふさわしい出席者がいるのではないだろうかとさえ思う。ただただ同じ部活にいたからという理由だけで呼ばれる自分よりも、より純粋に彼と彼女を祝福する誰かがいるに違いない。くだらないブログで幸せに水をさすようなことをしない誰かが。こんな文章、きっと書くべきではない。

結婚式をするならモエレ沼公園みたいなところでやりたい
 きっと同級生や部活のチームメイトと顔を合わせる。どうせ話題もないだろうし近況を確かめ合うのだろう。お互い別に興味もないだろうに。喫煙者であるフリをして「ちょっとタバコ吸ってくる」とか言って式中に散歩できたらいいのに。会場は大阪城が見える場所らしいから、京橋の近くを歩いてそのまま遊覧船にのってどこかに行ってしまいたい。あるいはお酒を飲みすぎたフリをするとか。
「結婚おめでとう」や「幸せな家庭を築いてね」を、私は心の底から言える気がしない。家庭にコンプレックスがある人間からしたらそんなのは全てチクチク言葉だ。
「たくさんいいことがあるといいね」なら心の底から言える。だからそう言う。ここに書いたことなど全て考えてないような顔をして。

高校のグラウンド
 幸せになるために結婚する人や、幸せになるために高級旅館に泊まる人がいるとしたら、それはお馬鹿で悲しい人だと思う。でもそんな人は世の中にたくさんいる。父の姉は「結婚ができて、こんなお嫁さんがいるなんて幸せだねえ」と父に言い聞かせていたらしい。馬鹿な人たちだと思う。でも、そういう風にして「見える」ようにしないと伝わらないこともある。共有できないこともある。なぜなら感情に対する解像度は皆それぞれ違うから。仕方ないことだともちろんわかっている。
 高級料理を出した後で、コンビニに行ってガリガリ君を食べる。何通りの幸せがあってもいいと思う。タバコが吸いたい。今の職場ではみんな吸ってる。

大学の建物。ここにくると何となくタバコが吸いたくなった。

 

 

 
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