シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#76 同窓会に行くには

 

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 同窓会が開かれるらしい。クラスだけの同窓会だと思っていたらどうやら学年の同窓会らしい。行くのか行かないのか迷っていたけど、結局私は行く。なんだかんだでこういうのは絶対に行く。そういう性格である。コミュニケーションを取るのは上手じゃないけれど、それでも人がたくさん集まるパーティーみたいな場所は大好きだ。「シゲもこいよ」って言ってくれる人がいて、私は嬉しかった。
 場所は十中八九梅田で、成人式の時みたいに会場を貸し切ってやるんだろうと思う。となるといつもよりはちゃんとした格好をしないといけなくて、さすがにスーツではないと思うけれど、襟はあった方がいいのだろう。間違っても
Tシャツ一枚で行ってはいけないのだと思う。サンダルもダメ。髪もしっかりしないと。いや、冬だからTシャツにサンダルで行くことはほとんどないな。でもどちらにせよ服はちゃんとしたの着ないといけない。爪もヒゲも伸びすぎに気をつけないと。

 

 ああでも面倒くさい。考え出すととても面倒くさい。

 みんなと話が合うのだろうか。社会人の道を踏み出している人もいて、大学院に進んでいる人もいて、留学に行った人も内定取った人も医者になる人もいる。そう考えると自分が見劣りするというか、取るに足らないと存在である風に思えてきてしまう。そんな場所にいてもいいんだろうか。妄想妄想妄想妄想。全部被害妄想。現実は違う。でもわかっていても気にしてしまう。自意識過剰なのだ。自分が陰で笑われているんじゃないかとか、話していても腹の底ではこいつ見下しているんだろうなとか。だいたい、この文章だって誰かは笑っているかもしれない。というか笑っているだろう。もう書くのやめようか。いやでも書くことだけが救いであり、癒しなのだ。書くのをやめたら死んでしまうな。どうか私のことを好きな人だけがこの文章を読んでくれますように。いや嘘。私の文章と私自身は基本的に別物だから、私について知っている人も知らない人も、好きな人も嫌いな人も、みんな等しくこの文章を楽しんでほしい。いやそれもなんかちょっと違う。まあいいや、とにかくみんな読みたかったら読んでよ。面白いと思ったら周りにおすすめしてよ。共感とかあったらコメントとかSNSとかで感想送ってよ。批判もしたかったらしてよ。

 ところで「みんな」っていうのは一体誰なんだ???

 

 自分が「同窓会に行きたくない」となぜ自分が思うのかよくわからない。どうせ行くのに。会いたい人は10人ぐらいはいるし、それって結構多い方だと思う。ただ全体としてその空間にまき散らされてあるであろうキラキラした雰囲気、上流の感じが苦手だ。汚い居酒屋なら居場所がある分まだいいけれど、だだっ広い会場に私の居場所はない気がする。どう振舞えばいいのかわからなくなるだろう。とはいえ当日の私はきっと好き勝手に振舞うのだ。

 

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 進学校で、ある程度裕福な生徒が多い学校だったというのもあると思う。
 私の高校は公立なのだけれど附属の小学校、中学校があるようなちょっと特殊なところだった。私は中学受験をして入ったのだけれど、「上流階級」に見える人が多くて初めはびっくりした。小学校から上がってきた人が作る雰囲気になじめなかった。遠足にしても運動会にしてもクラスの中で発言力があるのは彼らだった。最初の
3年間ぐらい、全然楽しくなかった。段々卑屈になって、独善的な考えに至るようになっていた。彼らは私より幼稚なのかもしれない、なんて考えたりしていた。彼らより私の方が大人なのだと思っていた。ある部分では私は思春期を終えていたし、ある部分では思春期以前、小学校高学年のレベルにも達していなかった。

 会話の節々に出てくる彼らの「当たり前」が私の世界の「当たり前」とは大きく違っていた。自分の世界のスタンダードが全世界のスタンダードのように考えている人がいた。彼らは別になんとも思っていなくても、私には「当たり前」を押しつけられているように感じることがあった。幸せそうな生活や仲の良い家族が垣間見えて、嫉妬してしまう時があった。ますます卑屈になったし、目立たないでいようとちぢこまってしまった。自分に父親がいないことも、なかなかクレイジーな家庭で育っていることも、誰かに知られたらいじめられるかもしれないと本気で思っていた。馬鹿にされないために隠さないといけないと本気で思っていた。そんなのだから、なかなか人と仲良くなれなかったし、孤独だった。

 

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 同窓会について考えていたのに脱線して、段々混乱してきた。シンプルにしようと思って同窓会に行きたくない理由を箇条書きにしてみた。以下は私が日記帳に書いたメモの引用である。

 

〈行きたくない理由〉

・浪人、休学、留年でみんなより「遅れ」ているから

・将来やりたいことがなく勉強も真面目にやっていない怠惰な自分と、しっかり自分の道を踏み出している人を比べてしまうから

・お金持ちで、「上流」の人達が多くて引け目を感じてしまう

・ブログやツイッターで好き勝手なことを書いているので、ちょっと後ろめたい

・他人に嫉妬してしまう

・なにを話せばいいのかわからない

・デリカシーのない言葉や人に傷つけられるのが怖い

・当時喋っていた感覚や距離感を取り戻すのに時間がかかってしまい、ようやくエンジンがかかって来たころには同窓会は終わってしまいそう 

 

 なるほど。こうやって箇条書きにするとわかりやすい。傾向が見える。

 要するに私は「自信がない」のだ。「自信がある」人は自分が「遅れ」ているとは思わないだろう。自分のペースで物事を進めていくはずだ。下流も上流も関係なく「私は私だ」と言うのだろう。デリカシーのない人間の心ない言葉を聞いても、何とも思わない。

 でも自意識過剰な私は色々気にしてしまう。自分と他人の間には明確に線を引かないといけないのに、私はどうもそこがはっきりしていない。他人に求めすぎてしまうし、他人に求められないことを恨んだりする。かと思えば容赦なく突き放したりする。「自信」という確固たる枠がないから、固まった信念もない。毎回言っていることが違うし、ああでもないこうでもないと永遠に考えている。

 

 逆に行きたい理由を考えてみる。箇条書きにするまでもなくこちらはシンプルである。

 

〈行きたい理由〉

・話したい人が何人かいる

・この機会を逃すと会えない人もいるかもしれない

・何人かの近況を知りたいし自分の近況も知ってほしい

・とにかくおしゃべりしたい 

 

 書いて思う。全部本心だ。これ以上でもこれ以下でもない。行くしかないのだこれは。多分私が求めているのは「同窓会に行った」という事実だ。行きたくない理由はすべて精神的で漠然としている。でも「同窓会に参加した/する」という事実は、そういったモヤモヤした感情よりも強いと思う。(すいません。自分でも何を書いているかさっぱりです。なんとなく察してください)

 行っても行かなくてもどうせ色々考えてしまうのだ。それなら行った方がいい。

 

 とここまで思ってもやはり不安なものは不安である。不安な私は鳥貴族で親友Jにもらしてしまった。

「同窓会不安やわあ。いい会場やから服とか靴とか気にしなあかんのもほんま面倒やわあ」
「でもシゲはどうせ行くやろ。それで、『同窓会おもんない』みたいなことを後でまたラインしてくんねんやろ」

砂ずりを食べる彼はすべてを見透かしたような顔である。彼の言う通りだ。

「ほんで、同窓会のことを話す時、シゲは楽しそうな顔するんやろ」

 

 

【ひとこと】

 今回は楽しく書きました。太字を織り交ぜて村上龍の『69』みたいにしたのも、ギャグだと思って楽しく読んでもらえたらいいなと思ったからです。

 同窓会でみんなに会えるの楽しみです。ブログ読んでいる人がいたらこっそり教えてください。喜びます。ちなみにJは人気者なのに同窓会には来ません。

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