シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#71 血と無神経

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 その部屋には立派な本棚があって、おおよそ私に縁はないような本が並んでいた。日本史に関わるミステリーや旧日本軍の太平洋戦争の戦記などが乱雑に並べられていた。私はそれらのタイトルに心惹かれることはなく、ざっと眺めただけで部屋を出た。こういう時はたいてい一冊や二冊手に取って読んでみたりするのだけれど、今日ここに来れたという感動が、歴史のトンデモ本自己啓発本によってかすんでしまうのが怖かった。
20年ぶりに会いに来たのに彼はいなかった。私は賭けに負けた。代わりに彼の姉と盲いた母親が私の相手をしてくれた。私は泣いて、彼女も泣いて、でも結局最後は彼女にも裏切られたのだった。

 小説がほとんどない本棚が、この部屋の主の人間性を表していたのだと今は思う。想像力が無く、感性がまるで硬直した人物。知識量を鼻にかけて相手を見下し、対話をせず、人を愛することを知らない人。自分の育ってきた世界の外のものを認めようとせず、身勝手でわがままで自分の王宮に閉じこもっているかわいそうな王様。

 いやごめんなさい。本当はあなたのことは何一つ知らないのです。誕生日も血液型も好きな食べ物も私は何も知らない。それでも私がどんなに会いたかったか! 私の寂しさをあなたは決して知らないでしょう。大人のあなたは会おうと思えばいつでも会えたはず。けれども決して会おうとはしなかった。

 目を腫らしたままぼんやりと歩いていた。歩みを止めれば感情が爆発してしまいそうで、ずんずんずんずん足を動かし続けた。日が暮れると古い都は独特の雰囲気を見せ始め、仏塔も池も提灯も暗闇の中では意思を持っているように見えた。森の中の細い道を通って高台に上り街を見下ろすと、ひんやりとした風が頬をなでた。頭上の月も眼下の夜景も平和そのものなのに、私の心の中には嵐が吹きすさんでいた。なぜか頭のなかにはずっとジッタリンジンの「コスモス」が流れていた。何回も、何回も。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。

サヨナラはあなたから

コスモスを私から

 歩き疲れてミスタードーナツに入った。ミスタードーナツでしこしこと日記を書いて今日の気持ちを全部罫線の上に書ききろうと思った。悔しさもやるせなさもどうにもならない不条理もなるだけ真実に近く書いた。書いても書いても書きたいことはあとから山ほど出てきて困った。どうして人と人は仲良くできないのだろうと思った。酔っているのか老人が阪神タイガースの悲惨な出来について大声で愚痴を言っていた。

 

 従妹がレシピを調べてクッキーを作った。彼女は伯母のキッチンで生地を練り私の母が手伝った。焼きあがったクッキーはサクサクで美味しかった。母と祖母、それから伯母はみな料理が上手である。彼女らのおかげで私はある程度自炊できるようになったし、健康にも気を配れるようになったと思う。そういったことを踏まえたのか知らないが、伯父がクッキーを食べて言った言葉が「おばあちゃんの血だな」というものだった。楽しかった気分が一気にひっくり返り、心がずっしりと重くなった。眼の前の人間を軽視した無神経な言葉。「血」という言葉がこの文脈で使われるのを聴く度、胸が苦しくなる。

 

「同性愛者か異性愛者か、1人の相手で満足できるのか、2人以上いないと満足できないのか、そういうの全部遺伝子で決まっているみたいですよ」というようなことを向いの女の人が言った。遺伝を絶対的なもののように語るのは違うと思った。けれどもどう違うのかわからなかった。遺伝子に関する研究は進んできているし、遺伝子が及ぼす影響というのは馬鹿に出来ないらしいことは知っていた。アルコールへの耐性やアレルギーの有無といったことだけでなく、社会性や数学への理解度といったことまで遺伝子に左右されるらしい。そういったことを書いた記事をどこかで読んだ。でも私はやっぱり納得できない。もし遺伝子が全部を全部決めてしまうのなら、なぜ私たちはこうやって悩み、考えているのだろう。遺伝子が運命までも決めてしまうのだとしたら、一体私たちに何ができる? 

「大事なのはどういう道を選んだのかということじゃないんですかね? 不倫をしたとか、しなかったという事実の方が遺伝子よりも大事だと思うな」私は隣の人の言葉に救われた。

 

「シゲ君も本を読んだりするの?」と訊かれた。私が読むのは小説ばかりでこの本棚にあるようなものではないけれど、「うん」と答えた。返ってきたセリフは「やっぱり、血は争えないのね」だった。後になってめちゃくちゃ腹が立った。勝手に理想を投影するなよと、勝手に似ているところを無理やり見つけ出そうとするなよと思う。あの家で育っていたら、間違いなく今の自分はないだろう。こんなブログも書かないし、こんな風に考えたりもしないのだろう。しかしそれはそれで別の幸せもあったのだろうと思う。

 

 

〈付録『地下室の手記』〉

 ドストエフスキーの中編小説です。読んでいくと、主人公と私がとても似ているように思えます。感じやすいくせに頭でっかちで理屈をこねて自らを正当化し、世界を軽蔑し、また憎みながら日々を過ごしている主人公はグロテスクです。私はどうしても主人公と自分とが似ているように思えてならない。うまくやるために、どうにかして主人公を反面教師にする必要があると思いますが、それはとても難しいです。手元にあるものは新潮社から昭和四十四年に出ている江川卓の訳の五十七刷です。

 

P105 第二部《ぼた雪にちなんで》3

そのうちに、ぼくのほうが我慢しきれなくなった。年とともに人恋しさが、親友を求める心がつのっていった。ぼくは何人かの者に自分から近づいてみようとさえした。しかし、この接近はいつも不自然なものになって、自然消滅の道をたどるのがつねだった。一度、ぼくにも親友らしいものができたことがあった。ところがぼくはもう精神的な暴君になっていた。ぼくは彼の気持を無制限に自分の思うままにしようとした。ぼくは、彼を取巻く環境に対する軽蔑の念を彼に吹き込んでやりたかった。ぼくは、彼がこの環境とすっぱり、傲然として手を切るように要求した。ぼくの激烈な友情は相手を尻込みさせ、とうとう彼に涙させ、発作を起させるまでになってしまった。彼は純真で、人に影響されやすい性格だったが、彼が完全にぼくの影響下に入ると、ぼくはたちまち彼を憎みはじめ、彼を突き放すようになった。まるでぼくが彼を必要としたのは、彼に対して勝利をおさめ、彼を屈服させるためだけであったかのようだった。