〈詩のコーナー〉
夜の国道
走る
黒いカーテンはとうにおり
向うの山影も闇の中
うっとりしている原付の上
走る
世界を抱きしめながら
世界に抱きしめられながら
全てが洗い流されてゆく
走る
うどん牛丼ファストフード
マンガ喫茶とラブホテルも
色つきの光が過ぎていく
走る
世界の一部になった気がする
過去を許し明日だけ見て
駆け抜けていくやさしいイメージ
走る
許し許される一日の最後
宗教なんて知らないけど
全て許されるこの時だけ
私は信仰を持っている
走る
日常にぽっかりと空いた穴
思い出はいつも甘くて美しくて
この夜がずっと続けばいいのに
【ひとこと】
帰りの電車を待つプラットホームとか、草むらの虫に耳を澄ませる夜とか、別に夜の国道でなくともそんな瞬間は誰にでもあるのかなと思います。バイクを運転しながら楽しかった時間を思い出しながら幸福感に浸ることがよくあって、自分でも大丈夫かなと心配になります。誰かが歌った歌とか笑う顔とか弾んだ会話とかそういうのが回転ずしのネタみたいに延々頭の中を巡って止まりません。頭の中だけで過去に戻れること、どこにでもいけることが幸せなのかはよくわかりません。
〈付録『地下室の手記』〉
1月に40ページだけ読んでやめてしまった本です。パラパラめくるだけでも難しい内容が目について、なかなか読むことができませんでした。ただなんとなく書き写すと意味がある気がするし、私は主人公を反面教師にしないといけない気がします。とにかくこれを機に読み進めたいと思います。
いくつか訳はあるみたいですが、手元にあるものは新潮社から昭和四十四年に出ている江川卓の訳の五十七刷です。あ、プロ野球選手と関係はないです。
p58
第一部《地下室》11
結局のところ、諸君、何もしないのがいちばんいいのだ! 意識的な惰性がいちばん! だから、地下室万歳! というわけである。ぼくは正常な人間を見ると、腸が煮えくり返るような羨望を感ずると言ったけれど、現にぼくが目にしているような状態のままでは、正常な人間になりたいとはつゆ思わない(そのくせ、ぼくは彼らを羨むことをやめるわけではない。いや、いや、地下室のほうがすくなくとも有利なのだ!)。そこでなら、すくなくとも………えい! ここまできて、まだ嘘をつこうというのか! 嘘というのは、いちばんよいのはけっして地下室ではなくて、ぼくが渇望していながら、けっして見出せない何か別のものだということを二二が四ほどにはっきり知っているからだ! 地下室なんぞ糞くらえ!
いまの場合でいえば、せめてこんなことでもまだましだと思う、——つまり、それは、ぼくがいま書いたことのなかで、何かひとつでもいい、自分で信ずることができたら、ということである。諸君、誓っていうが、ぼくはいま書きなぐったことを、一言も、ほんとうに一言も信じていないのだ! つまり、信じることは信じているのかもしれないが、それと同時に、どうしたわけか、自分がなんともぶざまな嘘をついているような気持をふっきれないのだ。