シゲブログ ~避役的放浪記~

些細な出来事、思い出、映画や音楽、フィクションと詩

#64 全部

 

f:id:shige_taro:20190702070322j:plain

 〈詩のコーナー〉

全部

私、頭の中ではなんだって言える

空想も妄想も発想は自由

そう誰かも言ってたわ

 

私の中でふくらんだあなたは

やっぱり本当のあなたとは違うんだよね?

 

でも本当のあなたって?

なんて面倒なことまた考えてる

底なしの沼がここにもあそこにも

 

「あなたあの子の何を知ってるの?」

昨日言われて気がついた

私、あなたのことなにも知らない

 

私がみているあなたも

一枚めくればどんな顔?

帰り道のあなた

食事する時のあなた

 

知って幸せになるなんて

そんなこともう思いもしないけど

もっともっともっともっと

全部つかまえるまで心は乾いたまま

教えてよあなたのこと

あなたのこと全部知りたいよ

 

 

【ひとこと】

 全部。強いことばですね。「百人一首全部暗記した!」とか「宿題全部やった!」とかそういうこと言えてた時代が懐かしいです。

「はい、言われていた仕事全部やりました」なんて上司に言える機会がこの先の人生にあるとは思えないです。せいぜい「はい、全部食べました」とか「荻上直子の映画なら全部観ました」とかでしょう。その荻上作品だって映画なら8本しかないけど、ドラマもいれると結構な量があるし、コアなファンしか知らない書籍とか流通が異常に少ない映像とかもあるかもしれない。学生時代に撮っていたものとか。

 自分のことでさえ全部を知らないのに、日々発見の連続なのに、他人のことを知るなんて到底無理なことのように思えます。でも知りたいっていう好奇心はそれこそ底なしで、「その人の全部」なんて空しい響きしか持たないのに全部知りたいなんて考えてしまいます。その知識欲はちょっと征服欲にも似ています。謙虚さが足りない人はすぐに「あなた、こういうこと考えているんでしょう。お見通しよ」とか「言わなくてもあなたの意見はわかっていますよ」といったマウンティングを始めてしまいます。 

「知りたい」と思うなら、勘違いしないように知ったかぶりしないように気をつけないといけません。でもこれはとても難しい。何も考えずに「ふつうに」話すのが正解なんですけどもうその「ふつう」がどんな状態なのかもわからなくなって、結局何も言わないのが正解なんじゃないかって。むしろもう「知りたい」とか軽はずみに思わない方がいいんじゃないか、そっちの方が幸せなんじゃないかとも思います。でも『1984』とか『華氏451』の世界を考えると「知りたい」っていう感情を捨てるのは危険だなあとも思うし、もうよくわかりません。

 ちなみに荻上直子の映画で一番好きなのは『レンタネコ』です。日本家屋で市川実日子がだらだらしているのがめちゃくちゃいいです。田中圭も出ています。

 

 

f:id:shige_taro:20190702065925j:plain

 

 

〈付録『地下室の手記』〉

 1月に40ページだけ読んでやめてしまった本です。パラパラめくるだけでも難しい内容が目について、なかなか読むことができませんでした。ただなんとなく書き写すと意味がある気がするし、主人公を反面教師にしないといけない気もしますし、とにかくこれを機に読み進めたいと思います。

 いくつか訳はあるみたいですが、手元にあるものは新潮社から昭和四十四年に出た江川卓の訳の五十七刷です。あ、プロ野球選手と関係はないです。

 

p8 第一部《地下室》1

ぼくは意地悪どころか、結局、何物にもなれなかった——意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにも。かくていま、ぼくは自分の片隅に引きこもって、残された人生を生きながら、およそ愚にもつかないひねくれた気休めに、わずかに刺戟を見出している、——賢い人間が本気で何者かになれることなどできはしない、何かになれるのは馬鹿だけだ、などと。さよう、十九世紀の賢い人間は、どちらかといえば無性格な存在であるべきで、道義的にもその義務を負っているし、一方、性格を持った人間、つまり活動家は、どちらかといえば愚鈍な性格であるべきなのだ。これは四十年来のぼくの持論である。ぼくはいま四十歳だが、四十年といえば、これは人間の全生涯だ。老齢もいいところだ四十年以上も生きのびるなんて、みっともないことだし、俗悪で、不道徳だ! だれが四十歳以上まで生きているか、ひとつ正直に、うそいつわりなく答えてみるがいい。ぼくに言わせれば、生きのびているのは、馬鹿と、ならず者だけである。