シゲブログ ~避役的放浪記~

些細な出来事、思い出、映画や音楽、フィクションと詩

#61 ボールが記憶を

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 軟球を拾った。野球ボール。Aという文字が書かれているからこれがA球という種類なんだろうと思った。私の小学校は校区内に少年野球のチームが2つもあるようなところで回りの友達も毎日野球をしている環境だった。よく寄せてもらって放課後に野球をして遊んでいた。大学のグラウンドで拾ったボールで一人で遊んでいたらそんな昔の記憶がサイダーの泡みたいに出て来た。ダイビングキャッチをするプロ野球選手にあこがれて、普通に獲れるフライにわざと飛び込んだりしていた。友達が野球をやっている公園を探して校区内を自転車で巡っていた。休み時間に手打ち野球する友達を見るのが楽しかった。誰もいない午後の大学。グラウンドで独りボールを投げてはキャッチして、それを繰り返していた。6月になるともう暑い。

 

 その日から何となくボールを持つようになった。原付のドリンクホルダーに入れて毎日一緒に学校に行くようになった。駐輪場でバイクを停めてボールを手に持って、教室へと歩く。授業の後で友達とキャッチボールをしたり、カーブの握りを教えてもらったりする。一人の時はコンクリートにボールを投げ続けている。 もうすぐ23歳になる私はカベ当てをしながら考えている。尼崎の公営住宅。誰もいない申し訳程度の公園でも独りでカベ当てをしていたっけ。トイザらスで買った300円ちょっとのグローブを左手にはめてボールを延々と壁に向かって投げていた。本当に誰もいない公園で、コンクリートの白と誰もいないすべり台のプラスチックの赤がやけに記憶に残っている。その時に使っていたペコペコのボールは西宮に越した時にも持ってきたけど、段々ゴムが劣化してついに弾まないようになって捨てられてしまった。

 

 週末、おじいちゃん家に来た。昔おじいちゃんとキャッチボールした庭ももうずいぶんと小さくなってしまった。しゃがんだおじいちゃんをキャッチャーに見立てて投げ込んでいた距離も、今歩くと15歩しかなかった。びっくりした。昨日の雨ですこし水のたまった庭で昔と同じようにボールを宙に投げてはキャッチするのを繰り返していた。たまにボールを投げるのに失敗して梅の葉や実を落としてしまったりした。茂みに入ってしまったボールを探して草むらの中に目を凝らすのもあの頃の私と同じだった。何度も繰り返した動きを、10年ぶりくらいにやった。恐る恐る草の中に手を入れる時のドキドキする瞬間も、ボールを見つけ出した時のほっとした気持ちも、覚えがあった。どうってことない記憶ばかりだけれど、白いボールがあったというだけでいろんなことを思い出した。

 

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 中学の友達とやる野球はテニスボールだった。小学校高学年からずっと軟球だったから正直退屈だった。テニスボールだとバットに当たった時の感触が薄いし、ボールも早く投げられないのだ。それでもみんなでやる野球はまあ面白くて、次第に軟球は私の手から離れて行った。

 高校の時久しぶりにグローブをはめてびっくりした。小学校の時にはぶかぶかだったグローブがすっかり小さくなっていた。手入れもしていなかったからボロボロになっていた。部活でサッカーをしている間、手入れしていなかったから、傷んでしまっていた。それでもまだまだ使えたから、文化祭準備や受験勉強の合間、昼休みに友達とキャッチボールをしたりしていた。

 そんなことを思い出しながら私は今日もコンクリートにボールを投げ続けている。ボールを1球投げる度に思い出がまた蘇る。それがとても面白い。あの時の放課後のヒットも甲子園のスターもキャンプ場でのキャッチボールも、予想もしていない記憶を白いボールが持ってきてくれる。ボールを触るまでまるで思い出せないのに。

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〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。 

 

六月二十日 快晴

 きのう床についたのが朝の四時。九時ぐらいに目がさめたが、ラジオをきいたり、「時には母のない子のように」や「愛の讃歌」……を口ずさみながら、ぼんやりと三時ごろまで過し、バイトに行く。バイト先や「ティファニー」で人間はだれでも疲れているんだなあって、しみじみと思う。

 

 このノートを書くことの意味——

 これまでは、このノートこそ唯一の私であると思っていたから、誰かにこれをみせ、すべてをみてもらって安楽を得ようかと、何度か思った。しかし、今日ぼんやりとしていたとき、このノートを燃やそうという考えが浮んだ。すべてを忘却の彼方へ追いやろうとした。以前には、燃してしまったら私の存在が一切なくなってしまうようで恐ろしくて、こんな考えは思いつかなかった。

 現在を生きているものにとって、過去は現在に関わっているという点で、はじめて意味を持つものである。燃やしたところで私が無くなるのではない。記述という過去がなくなるだけだ。燃やしてしまってなくなるような言葉はあっても何も意味もなさない。

 このノートが私であるということは一面真実である。このノートがもつ真実は、真白な横線の上に私がなげかけたことばが集約的に私を語っているからである。それは真の自己に近いものとなっているにちがいない。言葉は書いた瞬間に過去のものとなっている。それがそれとして意味をもつのは、現在に連なっているからであるが、「現在の私」は絶えず変化しつつ現在の中、未来の中にあるのだ。

 

 私は人間どもをだましながら、己れを生きさせているのだ 

 だまされているバカなヤツラヨ

 バカも愛を知っているものに対しては

 お互いに だましあいつつ生きてゆくのだ。

「独りである」とあらためて書くまでもなく、私は独りである。