シゲブログ ~避役的放浪記~

些細な出来事、思い出、映画や音楽、フィクションと詩

#58 時代の切れ目に その1

 

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 4月30日

 ゆっくり家でおかんとご飯を食べればよかったなと思った。

 さっきからずっと山道。おまけにぽつぽつと雨も降っている。国道とは言え道幅の狭い道が続く。もう夜だから黄色い線ははっきりとは見えない。どこまでが道路でどこまでが路肩なのか。どこまでが生でどこからが死なのか。そんなことを考えながらやっとたどり着いたコンビニで、暖かいコーヒーを飲んだ。ほっとした。

 テレビもラジオも平成と令和の話題で持ち切り。馬鹿みたいだ。人間が勝手に時間を区切って、それに名前をつけて遊んでいるだけである。なんて思ったりして、テレビを冷笑したりするけれど、どこかうきうきしている自分もいた。雑誌もネット記事もブログもみんな「平成」とか「令和」とか、そういうことを書いていて、「もういいよ聞き飽きたよ」なんて思うけど、自分だってこうやって書いている。バイクで旅行をしたのも元号の変わり目に何か面白いことをしたいと思ったからだ。ああなんという矛盾!

 

 雨が通り過ぎるのを待っていたら夕方になってしまった。朝、また母親と言い争いをしてしまって、だらしない自分にも言い争いをしたことにも嫌気がさしてふて寝した。雨が降っていた。お昼に目が覚めても雨はまだ降っていておまけに風もびゅうびゅう吹いた。じっと目をつむったまま、窓枠からしずくがぽたぽたと落ちる音を聴いていた。いい加減何か食べないといけなかった。適当に冷凍ご飯を温めてケチャップをかけて食べた。

 最近知ったのだけど、ケチャップとご飯の組み合わせっていうのは見る人によっては眉をひそめるような食べ方らしい。鍵っ子の私が家で一人でご飯を食べる時、冷蔵庫には漬物も佃煮もめったになくてケチャップしかなかったから、よくケチャップをかけて食べた。ご飯にチーズとケチャップをかけてレンジに入れるととっても美味しいのだ。納豆をトッピングするのもなかなかいい。レースのカーテンの向こうは雨の日の白っぽい午後。道路向かいの駐車場もその向こうのラーメン屋も黒い雲の下、平等に濡れている。ぼんやりとした光は食卓に座る私を照らす。台所の方から見ると、大きな窓の前に座ってご飯を食べているのはもしかしたら寂しい光景なのだろうかもしれないと思う。白い光のこちら側ではきっとシルエットでしかない私の体。表情も見えず、ただ黙々とケチャップライスを食べる22歳。朗らかさから一番遠い存在。

 別にカメラがこっちを向いているわけではない。私の両目はおでこの下、頬の上にちゃんと収まっている。それでも、自分を俯瞰してしまうことがよくある。誰に聞かせるでもない独り言を発したり、スープを味見して、誰もいないのに「んんっすっごくおいしい!」なんて叫んでいる。そこにいない誰かを想定して喋ったりしている。中学生の頃は人と喋るのが今よりずっと苦手だったから、独りでそうやって会話の練習をしていたのだけど、22歳でそんなことをしているのはちょっとまずい。

 

 そういえば去年の自転車旅行も雨で出発が遅くなったな、なんて考えていた。その時は午後3時に家を出てひたすら走り続けた。バイクと違って寒くないから走り続けても平気だった。誰もいない須磨の砂浜で食パンを食べた。夜ご飯は明石焼きを食べようと思っていたけれど、案外すぐに明石を過ぎてしまったので加古川あたりの定食屋でご飯を食べた。おかわりを何杯でもできるところだったのでモリモリ食べた。たくさん食べても走るとすぐにおなかが空いて、自転車旅行は食費がとてもかかることがわかった。

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須磨海岸

 出発したのはなんと午後5時になろうとする頃だった。もう開き直っていた。でもやっぱり怖かった。道を間違えたらどうしようとかガソリンが切れたらどうしようとか、事故を起こしたらどうしようとか。そんなことを考えるといつまでたっても出発できない気がした。それでも好奇心が恐怖に負けるはずがなくて、出発しないわけにはいかなかった。国道を走っていたら気が晴れてきてすぐにラクになった。

 

 国道163号線を走る。門真、枚方と抜けて、トンネルを抜けると京都府だった。伊賀まで50キロという表示が出て、すこし雨が降ってきた。それでも時間がないから走り続けた。明日になるまでに名古屋に着きたかった。別に名古屋で何をする予定もなかったけれどただ行ってみたかった。

 急に今は走っている市内に親戚が住んでいることを思い出した。色々あったせいで関係が希薄になっているけれど、血のつながっている人たちがこの土地に住んでいるのだった。一度しか会ったことのない従妹は来年大学受験だったはず。吹奏楽は大学でも続けるのかな。伯父の家族は今度一年ぶりに祖父に会いに来るらしい。どうして家族なのにこんななのだろうと思う。

 

 京都と奈良の境を走るとどんどん山の中に入ってしまった。原付の後ろには車がつっかえるけど、道幅は狭いし黄色の線だしなかなか追い越してもらえない。すっかり車列ができてしまって、たまにトラックなんかに追い抜かされる。暗闇の中を走るのによく抜かせるなと思う。こっちは生きた気がしないのにそんなのお構いなしにみんな抜かしていく。対向車のライトが目に入って次のカーブが右なのか左なのかわからない。たまに「動物注意!」の鹿が跳んでいる標識があってビクビクする。心臓に良くないのでたまらずコンビニに入った。一息ついてコーヒーとチョコレート、それに即席めんを買うと、緊張と恐怖と寒さでコチコチになっていた身体と心がほぐれて行った。結局、イートインで食べたそれらが平成最後の食事になった。なんだか寂しかった。家で母親と食事をすればよかった。

 さっきまで京都府で、右手に木津川が流れていてたのに、スマホで地図を見るともう三重県だった。コンビニのレシートにも三重の住所が印字されていた。

ツイッターでは去っていく時代について各々何かを言っていた。タイムラインを眺めながら担々麺をすすっていた。みんな知っていると思うしわざわざここで書く必要もないと思うがマルちゃん製麺はめちゃくちゃうまい。

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 この前見た『ゆかちゃんの愛した時代』という映画を思い出した。カフェで迎えた平成最後の夜に主人公が平成という時代を振り返るという30分ぐらいの映画。平成の「あるある」が、ふんだんに盛り込まれていて何度も「わかるわー」って心の中で呟いていた。ちょっとしたアハ体験だった。知り合いの人が監督をしていたからという理由で観に行った映画だけど、贔屓目なしで楽しかった。女優の主人公は平成に愛着があって去りゆく時代を惜しんでいるのだけど、机の向かいに座るマネージャーは平成が終わることにあまり関心がない。平成の思い出に浸る主人公とは対照的に、マネージャーは淡々と仕事の話を進めていく。それを見ながら客席で「そうだよなあ」って思っていた。テレビもツイッターもみんな平成のことを言っているけれど、元号に興味がない人も存在するもんな。「元号になんか関係ないぜ」とクールぶる自分もいるけれど、一方で令和を派手に祝いたい自分もいるし、平成をじっくり振り返りたい自分もいる。たくさんの自分を抱えながら時代の切れ間をバイクで走っている。

 三重の山を越えた。対向車は全くなかった。1台の車に抜かされたのと、レインコートを着るために停車している大型バイクを抜いた以外は誰もいなかった。心細くてこの道が合ってるのか不安だったけど、スマートフォンはこのルートが正しいのだと私に言った。この細い山道が国道で、しかも名古屋まで続いているとはにわかには信じがたかった。しかし進むしかなかった。

 さっきまで後続車両に追い立てられていた時は独りで走りたいと思っていたのに、今は孤独だった。誰もいない山道を一人で走るのは勇気がいる。暗い森から何かがこっちを見ている気がした。神様っているのかもなと思った。「動物注意!」の鹿がたくさんあって、ぶつかったら怖いなと思っていたらタヌキを引きそうになった。よく見えなかったけどイタチだったかもしれない。ハイビームにしても見通しが悪くて徐行した。下り坂なのにカーブがあって、スピードを出したまま対向車が来たら一発で御釈迦だろうなと思った。霧が出て来た。ハイビームに照らされた靄が私のバイクをかすめていく。不気味だった。山道はまだまだ続いていた。標高が上がったからか寒くなってきた。

 ふと、ネットで読んだ怪談を思い出した。エンストとかしたら嫌だなと思った。バイクの故障で山道で動けなくなった私は這う這うの体で一軒の家の明りにたどり着く。親切な老夫婦に一晩泊めてもらうことになるのだけど、彼らは実は元殺人鬼で、私は地下室で筆舌に尽くしがたい拷問を受けて山中に埋められる………あるいはこのまま山を下る道がアスファルトから砂利道へと変わり、道幅もどんどん狭くなる。妙だなと思いながらふもとに降りると家々は真っ暗である。走っても走っても山と田んぼばかりで明りがない。やっと見つけた光は派出所で、眠そうな夜番のお巡りさんに訊くと今は昭和30年だと言う。私は霧の中で64年前にタイムスリップしてしまっていたのだった………

 

 思えば去年の自転車旅行も夜に山道を走ったのだった。アップとダウンを繰り返して空を見上げると星がきれいだった。峠を越えると赤穂の街の夜景と夜の海ははきれいだった。その時も木々の間から誰がに見つめられている気がした。自分の存在が感じられないほどに真っ暗で、この道がずっと続いたら発狂するだろうなと思った。宇宙飛行士の人たちはすごいなと思った。真っ暗で何もない中を進んでいくのだから。『2001年宇宙の旅』の宇宙飛行士も最後は頭がおかしくなっていた気がするし、『インターステラー』のマットデイモンも孤独に耐えかねて理性を失っていた。

 山道を抜けると農村に出た。水を張って鏡のような夜の田んぼでカエルが大合唱していた。

 

 

 

〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。

 

 

四月三十日

 一一・四五AM

 再びガランドウな空間があらわれた。疲労がとれたあとに明るくもない暗くもない空間がノソットはい出してきた。非現実感がふっとあらわれる。

 明日はメーデー、どのように闘うべきか。闘うって? 何に対して、政府? 独占資本? ああ——。(ソノアト ポロリト ナミダヲナガストオモッタラ オオマチガイ)

 要するに理論家と組織的行動なのだ。私の欲しているものは。思い起せ、あの四・二八の御堂筋デモ!

 権力にはさまれての身動きとれぬデモ。あの屈辱感を忘れたのか。東京においては九七五名の逮捕者、自由とは闘いとるものなのだ。闘わぬものはますます圧しつぶされていくのだ。見よ、この部屋を、私は自由か。この社会は平和か。私のこの部屋に黒い帝国主義がおしよせ取りまいているのだ。権力は一枚の紙片で私のこの部屋を調べあげることもできるのだ。私のもっている自由とは、こんなものなのだ。自由とは闘いとるものである。

 機動隊員を殺すにはどうしたらよいか、そのためには民青を殺す必要があるのかを考えてみよう。「ろくよう」にいるとき隣りの学生がいっていた。バリケード、留置場にいるときが一番生きがいを感じると。法政大に機動隊が入り、日増しに弾圧は強まっている。恒心館にもいつ機動隊が入るやもしれぬという。文闘委の部屋に寝泊りしていると、敵との緊張感がビシビシとあり、彼のいったことが同感できる。

 

 一〇・五五PM バイトを終り部屋で

 学生と労働者との区別を拒否する。私は明日の労働者の団結を示すメーデーに参加する。「実践」こそが批判的思想を導くことができる。なぜならば、それは欺瞞を検出するのだから。