シゲブログ ~避役的放浪記~

些細な出来事、思い出、映画や音楽、フィクションと詩

#54 一日目/『みかんの丘』

 

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 4月8日(月)

 目が覚めて思ったのは「筋肉痛がひどい」ということだった。ふくらはぎは大したことがないけれど、太ももの前、——大腿四頭筋というのだろうか?——そこがとても痛い。昨日はフットサルをした。新大阪まで行って先輩と会い、知らない人に交じって人工的な緑の上を走り回った。日曜日の午後、そこで初めて会った人たちと一つのボールをめぐって遊ぶのは奇妙な経験で高校の部活とは違うぎこちない楽しさがあった。意外と体力は続いたけれど、肺がダメだった。金曜日にオールをしたバーではみんな煙草を吸っていて、私も知らないうちに煙を吸ってしまっていたみたいだった。ちょっと走ると咳が出た。同じチームになった人が話しかけてくれて、学生時代のサッカー部の話をしたりした。初対面のすっきりしない感じはあったけれど、話すことは意外に多かった。

 筋肉痛は疲労とともにすぐやってきたくせに、ゆうべは眠れなかった。明日からの学校が怖かった。まだ初日も始まっていないのにやる気がなくなったらどうしようとか、落ち込んでしまったらどうしようとか、順調に進級した友達と出くわした時にどうしようとか考えていた。笑われたらどうしようとか、教室に入った時先生は、上がってきた新しいクラスメイトはどんな反応するだろうとか。本当にしょうもないことを考えていた。怖かった。笑われたくなかった。

 Twitterを見たら今日のアーセナルエバートンに負けたみたいで、ますます気持ちが滅入った。タイムラインをスクロールしたらこんどはアサド軍の化学兵器で殺された家族の写真が出てきて余計眠れなくなった。明日起きれないのは本当に洒落にもならないのでYouTubeにあるオードリーのラジオを聴きながら目を閉じることにした。それでもやっぱり眠れなくてYouTubeにあるフットボールの乱闘の動画を見ていた。さっき読み終わったリディア・デイヴィスの『話の終わり』のことも頭の隅で考えていた。「彼」に関する小説を書いている「私」が過去の出来事を思い出し、小説や自分を取り巻く環境を見つめたりする話で、日常の些細な考え事や記憶、思い出が積み重なり、物語というより「私」の思考がそのまま本になったようなものだった。

 

 8時に出て原付バイクで箕面の山奥まで向かう。今日はジーンズの上にオーバーズボンをはいた。暖かかった。昨日部屋の隅っこから出て来たコンバースのベージュ色は擦れるとシャカシャカという音が出る素材だった。バイクの上に座っていると体重でおしりが少しずつずれ落ちるのだった。この前白バイにつかまってしまったので今日は速度を抑えて走った。それでも1時間ちょっとで大学に着いた。これなら去年からバイクで通えばよかった。わざわざ自転車で走っていたのが馬鹿みたいだ。

 コンピューター室で履修登録をして、2時間目ギリギリに滑り込む。例年と同じ年度始まりの授業。同じ文法を習い、同じ練習問題を解いた。3回目ともなると授業はらくちんだった。3回も同じ年を繰り返している事実が突然ナイフのように心をえぐりつける瞬間が何回かあって泣きそうになった。今年で定年となる先生は今年もまた丁寧に説明してくれた。練習問題を解く机を回りながら、私の新しい髪型のことを言ってくれた。両隣りも3年目に突入していて、それはそれで楽しくて、もちろん楽しいだけじゃだめなんだけど少し安心した。「精神的に向上心がないものは馬鹿だ」っていうのは確かにそうだけれど、無理にしんどい思いをしなくてもいいのだ。もう開き直って肩肘張らずにやろうと思っていた。いつもと同じように教室を出た。授業終わり、ちょっとだけ先生と話した。またパソコンの部屋で履修を最後まで済ませて、ご飯を食べることにした。

  グランドを見下ろす階段に座ってお弁当を食べようと思ったけど、人がいたのでやめた。場所を変えて桜の木の見えるコンクリートの段に座って食べた。寮からキャンパスへ向かう学生が二人、自転車ですいと前の道を下って行った。

 

 月曜日は2限で終わりなので図書館で映画を観ることにした。これから予習復習が厳しくなるとわからないけど、できる限り映画を観ようと思う。今日DVDコーナーで見つけたのは『みかんの丘』というグルジアエストニアの共同製作の映画だった。紛争の続くアブハジア共和国に残り続けるエストニア人の老人イヴォが主人公で、みかんを収穫している同じくエストニア人の隣人マルゴス、そして彼らが助けたチェチェン人の傭兵アハメドジョージア人のニカが主な登場人物だった。なぜエストニア人がカフカスにいるのか、私は詳しい歴史は知らないけれど、コーカサス地方はアジアとヨーロッパの境にあって複雑な歴史を持った場所だからあり得る事だなと思いながら観ていた。紛争が起きて、アブハジアに住むエストニア人は故郷に帰ってゆくのだけれど、イヴォはその土地を去ろうとしないのだった。

 アフマドとニカは同じ衝突で負傷し、同胞を失った者敵味方として、お互いに憎しみ合っている。殺しあうことも辞さない彼らに、家主のイヴォは言う。「この家にいる限り私の許可なく殺しあうことは許さない」

 敵同士、憎しみを隠そうともしなかったアハメドとニカが、同じ家で暮らし同じ食事をする中で、感情を通じ合わせていく過程は映画が映画となる上で当然必要で、それは頭ではわかっているのだけど、やはり感動してしまった。ただの兵士だった者が民族や人種から離れ、1人の「個人」として振舞うようになるのはいつでもドラマチックで、セルゲイ・ボドロフ監督の『コーカサスの虜』でも、スパイク・リーの『セントアンナの奇跡』でもそうだった。

 チェチェン人、ジョージア人の同胞意識の強さや、土地をめぐる出口の見えない論争は、日本で私が目にすることはほとんどなくて、「韓国人は××‼」なんて言う人は確かにいるけれど、まだ映画の中で繰り広げられた景色ほど血なまぐさいものではない。(もちろん、そうした言葉が殺戮につながることはルワンダでもボスニアでも、なんなら関東大震災の時の日本でも証明されているでそうしたヘイトにははっきり対峙しないといけない)

 イヴォにとっては戦争はもうすでに日常になってしまっている。人が殺し合い、死ぬというそのドラマも老人にとってはもう慣れっこのようである。それは長引く戦争のせいだけでなく、年齢を重ね物事に動じないイヴォの性格にもあると思う。彼の物語は映画が始まる前からずっとそこにあって、エンドロールの後も続く。彼がその土地に留まり続けるその理由も明らかにされないままに映画は終わった。エンディングのジョージアの歌がとても良かった。

 

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 映画の余韻に浸りながら誰もいないグランドを横切って駐輪場まで歩いた。茶色い土は昨日の雨で少しぬかるんでいた。でこぼこのアスファルトに散った桜はきれいだった。

 

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〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。

 

四月六日

 何ごともなく一日が過ぎてゆく。本だけが私のたより。

 今日もバイト。仕事が忙しく非常に疲れた。帰りに思いきりソナチネをひいて大声で歌をうたって着替え、いつものように歩く。歩道の靴音をきき、車のライトをみながら鼻歌をうたって帰る。どこかでウイスキーをのみたかったが帰りが遅くなるのでやめる。

 なぜ生きているのかって?

 そりゃおめえ、働いてメシをくって、くそを放って、生活してるんじゃねえか。働いてりゃよォ、おまんまには困らねエし、仕事の帰りにしょうちゅうでもあおりゃ、それで最高よ。それが生活よ。

 自殺をしたら、バイト先では、ヘエあの娘がねエと、ちょっぴり驚かれ、それで二、三日たてば終りさ。かあちゃんやとうちゃんは悲しむ(悲しむ?)じかもしれねエな。牧野、彼女はどうだろうな。哲学的にいろいろ考えるかな。

 ヒトリデ サビシインダヨ

 コノハタチノ タバコヲスイ オサケヲノム ミエッパリノ アマエンボーノ オンナノコハ