シゲブログ ~避役的放浪記~

些細な出来事、思い出、映画や音楽、フィクションと詩

#52 夕日に向かって歌う歌

 〈詩のコーナー〉

夕日に向かって 

あなたのお母さんのことを聞きました

あなたがいつもより饒舌だから私はうれしくて

あなたがいつもより笑うから私もいつもより笑いました

それが先週のことでした

 

あなたのお母さんのことを聞きました

あなたが饒舌だった理由がいまわかりました

もしかしたら不用意な言葉であなたを傷つけたかもしれません

ちょっと反省しています

 

あなたのお母さんのことを聞きました

「ご冥福を」とか「ご愁傷様」とかそういう言葉はなんだか他人行儀で

それにいつもそんなにしゃべるわけじゃないから

私はなにも言えないでいます

 

あなたのお母さんのことを聞きました

伝えたいことがたくさんあるのに、言葉が見つからなくて途方に暮れています

仕方ないから誰かの言葉を口ずさんでいます

結局なにも言えないままです

 

夕日に向かって歌う声があなたに届けばいいのに

  

f:id:shige_taro:20190304061929j:plain

【ひとこと】

言葉がなかった時代は、今よりも相手の気持ちに簡単に寄り添えたのでしょうか。それとももっと難しかったのでしょうか。

誰かこの歌に合わせて作曲してください

 

 

 

 

〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。

 

三月八日 曇天の寒い日

 お久しぶりです。ごぶさたしました。

 二月の最後の一週間は、それこそ何もせずにコタツに入ったきりの自慰的生活でした。そしてこの一週間、三月一日から夜のアルバイトや本を読む気が起りまして、ただ今、小田実「現代史Ⅰ」を読んでいます。高橋和巳にひかれましたので、「堕落——内なる荒野」を読みました。

 下宿の人たちも帰省して数少なくなってまいりました。牧野さんも、二月下旬に東京に帰り、時々思いだして寂しく感じております。人間はしょせん独りであると、こんな状況だから(あるいはそれとも無関係に?)身にしみて感じております。

 二、三日前、太宰を二、三頁読んだ後でポットのコードを首に巻いて左右に引張ったりしましたが、別に死のうと思ったわけでなく、ノドを圧迫したときの感触を楽しんだだけでして、しめあげられたノドは息をするにもゼイゼイと音をたてまして、妙に動物的に感じました。

 私はアフリカ的なジャズとか土人の叫び声が好きです。ミリアムマケバ(注 黒人歌手)とかゴリラ、そしてコヨーテなどが好きです。彼らには強烈な「生」がある。私は今生きているらしいのです。刃物で肉をえぐれば血がでるらしいのです。「生きてる 生きてる 生きてるよ バリケードという腹の中で」という詩がありましたが、悲しいかな私には、その「生きてる」実感がない。そしてまた「死」の実感もない。もっとも「死」が実感となれば生も死も存在しなくなるのですが。

 アルバイトをして、ウェイトレスに投げかけられた優雅な微笑に、恥ずかしげに嬉しげに微笑んで、生きる勇気が得られたと思っているチッポケな私であるのですが。