〈詩のコーナー〉
夕日に向かって
あなたのお母さんのことを聞きました
あなたがいつもより饒舌だから私はうれしくて
あなたがいつもより笑うから私もいつもより笑いました
それが先週のことでした
あなたのお母さんのことを聞きました
あなたが饒舌だった理由がいまわかりました
もしかしたら不用意な言葉であなたを傷つけたかもしれません
ちょっと反省しています
あなたのお母さんのことを聞きました
「ご冥福を」とか「ご愁傷様」とかそういう言葉はなんだか他人行儀で
それにいつもそんなにしゃべるわけじゃないから
私はなにも言えないでいます
あなたのお母さんのことを聞きました
伝えたいことがたくさんあるのに、言葉が見つからなくて途方に暮れています
仕方ないから誰かの言葉を口ずさんでいます
結局なにも言えないままです
夕日に向かって歌う声があなたに届けばいいのに
【ひとこと】
言葉がなかった時代は、今よりも相手の気持ちに簡単に寄り添えたのでしょうか。それとももっと難しかったのでしょうか。
誰かこの歌に合わせて作曲してください
〈付録~50年前の高野悦子~〉
2019年6月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。
◎三月八日 曇天の寒い日
お久しぶりです。ごぶさたしました。
二月の最後の一週間は、それこそ何もせずにコタツに入ったきりの自慰的生活でした。そしてこの一週間、三月一日から夜のアルバイトや本を読む気が起りまして、ただ今、小田実「現代史Ⅰ」を読んでいます。高橋和巳にひかれましたので、「堕落——内なる荒野」を読みました。
下宿の人たちも帰省して数少なくなってまいりました。牧野さんも、二月下旬に東京に帰り、時々思いだして寂しく感じております。人間はしょせん独りであると、こんな状況だから(あるいはそれとも無関係に?)身にしみて感じております。
二、三日前、太宰を二、三頁読んだ後でポットのコードを首に巻いて左右に引張ったりしましたが、別に死のうと思ったわけでなく、ノドを圧迫したときの感触を楽しんだだけでして、しめあげられたノドは息をするにもゼイゼイと音をたてまして、妙に動物的に感じました。
私はアフリカ的なジャズとか土人の叫び声が好きです。ミリアムマケバ(注 黒人歌手)とかゴリラ、そしてコヨーテなどが好きです。彼らには強烈な「生」がある。私は今生きているらしいのです。刃物で肉をえぐれば血がでるらしいのです。「生きてる 生きてる 生きてるよ バリケードという腹の中で」という詩がありましたが、悲しいかな私には、その「生きてる」実感がない。そしてまた「死」の実感もない。もっとも「死」が実感となれば生も死も存在しなくなるのですが。
アルバイトをして、ウェイトレスに投げかけられた優雅な微笑に、恥ずかしげに嬉しげに微笑んで、生きる勇気が得られたと思っているチッポケな私であるのですが。