シゲブログ ~避役的放浪記~

些細な出来事、思い出、映画や音楽、フィクションと詩

#47 芥川龍之介がわからない。(前編)

 

 最近読んだ本。

蜘蛛の糸杜子春新潮文庫

芥川龍之介の「羅生門」「河童」ほか6編』角川ソフィア文庫

羅生門・鼻』新潮文庫

地獄変・偸盗』新潮文庫

  

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 貸してもらったままの本の中に4冊も芥川があったので、先月末にようやく読み始めた。本棚にもう何年も居座るなかなかの古株である。左右の並びには私の買ったアメリカ文学やらロシア文学やらがあるけれども、芥川ゾーンの4冊もすまし顔でおさまっている。

 

 初めに読んだのは『蜘蛛の糸杜子春』という短編集。芥川は基本的に短編しか書かなかったので本屋で見るのは短編集が多いと思う。収録されているのは「蜘蛛の糸」「犬と笛」「蜜柑」「魔術」「杜子春」「アグニの神」「トロッコ」「仙人」「猿蟹合戦」「白」の10編。私のお気に入りは「蜜柑」と「トロッコ」。

 

「蜜柑」は横須賀線の二等客車に乗って故郷を去る少女の話である。少女の前に座る「私」の写実的な語りのおかげで少女の顔立ちや服装、駅や車両の様子が映画のようにモノクロ映画のように頭の中に浮かぶのだった。少女に対する語り手の感情の変化が丹念に描かれていた。

 

「トロッコ」はだれしもにあるような幼年の思い出である。私たちは、生まれてから死ぬまで、段々と世界を知っていく。大人になった今、未知が既知になる過程はもうずいぶんゆっくりになったけれど、子供のころはそうじゃなかった。毎日に発見があった。突然に世界の無情さと出会うことが時々あった。10歳、11歳になる頃には、そういう出会いも無くなってしまったが、小学校の低学年の私はごくたま「世界の本質」みたいなものを垣間見て、一日中考え込んでしまうほどの衝撃を受けていた。芥川の「トロッコ」もそんな幼い日の衝撃を書いた話だと思う。

 

 『蜘蛛の糸杜子春』は10編で120ページちょいのなので読み切るのに半日もかからなかった。ただ前知識なく読んだので少々面食らった。「蜘蛛の糸」は小学校の図書室で絵の入ったものを読んで知っていたのだけど、次の「犬と笛」は木こりが冒険してお姫様を救うという童話みたいなお話だった。芥川龍之介といえばもっと堅苦しくて強面な文章なのだと思ったのでちょっと拍子抜けした。巻末に「この本では年少者向けのものをえらんでみた」みたいな記載があってそこでようやく理解した。

 脱線するけれど、私が初めて地獄を知ったのはこの「蜘蛛の糸」と『かいけつゾロリのじごくりょこう』である。どちらも小学校の図書室で読んだと思う。「蜘蛛の糸」は絵本だった。なにしろ文体が古風で——世に出たのは大正77月の『赤い鳥』創刊号——小学校の難しいものを読んでいる気がしたし、なんだか少し頭がよくなった気もした。御釈迦様が垂らした蜘蛛の糸を上る犍陀多(カンダタ)があとから上がってきた罪人を蹴落とす絵と血の池地獄の絵が私の頭の中にずっと残った。原ゆたかも『かいけつゾロリ』シリーズの一冊で地獄の様子を書いていて、私はその本で地獄のいろいろを知った。地獄の入り口で待ち構えているエンマ大王がやってきた悪人の舌を引っこ抜くこともそこで知った。かいけつゾロリはチューインガムを下に載せ、エンマ大王にガムを引っ張らせることでまんまと逃げだしていた。全然関係ないけど、かなり長い間かいけつゾロリの「かいけつ」は「解決」だと思っていた。

 

 一冊読んでも芥川龍之介という作家の実像がつかめなかった。好都合なことに借りている4冊の中には、角川ソフィア文庫のビギナーズ・クラシックス近代文学編、『芥川龍之介の「羅生門」「河童」ほか6編』という本もあって芥川の作家としての人生や幼少期のこと、他の文豪との関係などが書かれてあった。伝記が好きな私はわくわくして読んだ。面白かった。どうも芥川の小説には『今昔物語』や『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多いみたいである。芥川が初期に書いた有名な「羅生門」も「鼻」も『今昔物語』を下敷きにしている。

芥川龍之介の「羅生門」「河童」ほか6編』には芥川の人生と共に作品も時代ごとの作品も紹介されていた。「羅生門」と「河童」の他に収録されていたのは「鼻」「地獄変」「舞踏会」「トロッコ」「将軍」「藪の中」だった。

羅生門」は無駄がない。「ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。」という冒頭といい、「下人の行方は、誰も知らない。」という最後の一文といい、よく練られている。短編で大事なのは文章を必要最低限までにそぎ落とすことだと思う。たしかサンテグジュペリも同じようなことを言っていた。

 

「鼻」もよかったけれど圧巻だったのは「地獄変」だった。大殿様に地獄変の屏風を描くように命令された絵師の話でなんだけど、かなり引きずる話で、読み終えてからちょっとの間気分が悪くなった。納得のいく絵を描くことに執着し、実際の生活を顧みない主人公の絵師良秀が、生活と文学を切り離して考えていた芥川と少しダブって見えた。

 芸術の追究と実際の生活。どんな人にもそのふたつを天秤にかける瞬間はあると思う。別に芸術だけに限った話ではない。好きなことや趣味、スポーツとか料理とかもそうだ。映画「ララランド」でも主人公の2人は恋愛と夢のどちらかを選ばないといけなかった。一時 流行ったYouTubeのコマーシャルみたいに、好きなことばかりして生きるわけにはいかないのだと思う。誰でもご飯を食べないといけないし、汗もかくし糞もする。病気やケガも避けられない。でも「地獄変」はフィクションで主人公の良秀は生活ではなく芸術に生きる人である。彼がご飯を食べる姿や厠に行く姿などは当然描かれない。彼は絵を描くことにほとんどすべてを捧げているので、地獄のイメージを写生するためだけに弟子を鉄の鎖で縛り上げもすれば、みみずくに弟子を襲わせたりする。社会性のようなものは感じられず、当世一の絵師であることに鼻にかけ、ただひたすらに美を追究する。彼の見せる人間らしさといえば、写生の時に迷い込んできた蛇をみてぎょっとしたことと、娘を溺愛していることぐらいだろう。地獄の絵を描くことに心血を注ぐ彼は、眠っている間でさえも地獄の風景を見ているのだ。そんな風に生活を捨てて芸術にのめりこんだ男の結末は悲しかった。芥川が結局自殺したことと「地獄変」の主題は無関係ではないと思う。

 

「舞踏会」と「将軍」はあまり面白さがわからなかった。「舞踏会」はピエール・ロティ、「将軍」は乃木希典、どちらも実在の人物を扱っているのだけれど、実在の人物を扱っているにしては「舞踏会」の内容は事実と少し食い違う部分が多いようだし(ピエール・ロティが日本を訪れたのは舞台となる明治19年ではなく、前年の明治18年)、乃木希典に対する明治時代、大正時代の国民の感情というのは平成時代の私は全く想像できないので、よくわからなくて難しかった。

 

「藪の中」は名作だと思う。一つの事件を複数の視点から見る、という構造を大正時代にすでに始めているのがすごいと思う。

 例えば、三浦しをんの「私が語り始めた彼は」は、複数の人間の視点で描かれる短編の集合なのだけど、村川教授という女にもてて仕方ない男の人生や人間模様が、読み進めていくうちにどんどん浮き上がっていく構造になっている。高校の時に何度も読んだ朝井リョウの「桐島、部活やめるってよ」も同様に物語が複数の視点で展開される。成績優秀でバレーの県選抜にも選ばれるような学園のヒーローである桐島が退部し、学校にも来なくなるという事件を、親友やチームメイト、スクールカースト下層の映画部員、といった登場人物たちがそれぞれのやり方で受け止めるのだ。今読んでも斬新に思えるそうした構造が大正時代に芥川はすでに成立させていたことにびっくりした。加えて「藪の中」は謎解き小説のようにもなっていたから、食い違う登場人物たちの主張から真相を推理するのも楽しかった。

 

「河童」はひょんなことから河童の世界に入ってしまった男の見聞録である。人間界に対する風刺になっていて読んでいて面白かったのだけど、『芥川龍之介の「羅生門」「河童」ほか6編』の中ではページの都合上何か所か端折ってあったのでがっかりした。読むなら全部読みたいのに、カットするなんてあんまりだ。金曜ロードショーも歌番組もコマーシャルとか諸々の制約のせいで全部やってくれなかったりするけどそういうのは大嫌いである。余裕を持っていろいろ楽しんでみたい。ちゃんと全編をまたどこかで読んでみようと思う。

 

 とりあえずはこんなところである。ここまで読んでもやっぱり芥川のことはよくわからなかった。「地獄変」は気持ち悪いけれど同時に美しいと思うし、「藪の中」も構成が絶妙で面白い。「蜜柑」や「トロッコ」では作者の性格みたいなものが伺えそうな気もするけれど、でも「将軍」や「舞踏会」、その他の年少者向けの短編は面白さがわからないものもあった。

 次に読んだ『羅生門・鼻』と『地獄変・偸盗』はまた明日にでも書こうと思う。

 

 

〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。

 

二月八日(土) 晴

 煙草を七、八本すってお手洗いに行ってもおちつかなかった。どこにも行くところはなかった。しかしコンパに行こうとサ店を出た。寒くてブルブルふるえながら歩いた。電車に乗ってもふるえがとまらなかった。窓に映る景色は見知らぬ町のようだった。四条でおり五条までかけていった。

 酒は絶対飲むまいと思っていたが三杯のんでしまった。たわいのないことを話して、酔ってもいないのに大声で歌をうたい。煙草を吸って男の子にとり囲まれて、チヤホヤされていい気になり愉快な気分になって、帰りの電車で太宰を読みながら帰ってきた——んヨ!