シゲブログ ~避役的放浪記~

些細な出来事、思い出、映画や音楽、フィクションと詩

#44 「せつない」のありか

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『せつない話』という本を読んだ。私の好きな作家、山田詠美が集めた「せつない」短編たちを光文社が1993年に出版したものだ。国内外の作家が書いた14の短編たち。私はそれを先々週の金曜日に天神橋筋商店街で買ってついこないだ読みおわった。吉行淳之介の「手品師」という話で始まり最後はボールドウィンの「サニーのブルース」という話で終わる。どれもせつなかった。もちろん、一口に「せつない」と言っても様々で、失恋もあれば孤独もあり、家族の死もあった。複雑で言葉にできない感情の揺れもあれば、私には全く理解できない話もあった。

 山田詠美を知ったのは高校3年の時だ。秋が深まりセンター試験が近づいてくると、現代文の授業ではもっぱら先生が作ったセンター試験の模擬問題が配られるようになった。そのプリントを早く終わらせれば自習時間になるからみんなさっさと片づけようとするのだった。職員室でも長老の部類に入る現代文の先生は優しくて、「みんな受験で忙しいだろうから、聞きたい人だけ授業を聞いたらいいよ」というスタンスだった。だから私たちは罪悪感を感じることなく国語以外の教科を内職することができた。

 冬に入る前、「実力考査」という名の、成績にはあまり関係ない、入試前の腕試しのようなテストがあった。現代文の先生が出したのは山田詠美で、問題はその文章だった。彼女の短編がその時の私の精神状態にぴったりとはまってしまったのだ。テストなんてどうでもよくなって私の手は止まってしまった。もしかしたら感動で泣いたかもしれない。こんなふうに書ける人がいること、それから山田詠美の名を知らなかったことに驚き、また少なからず嫉妬した。

 次の週、私はブックオフに行って山田詠美の『ぼくは勉強ができない』を買った。一息に読んだ。私と同じ高校生の主人公が考え悩み、答えをみつけようとする様子が短編集の形で描かれる。大きなストーリーがあるわけではなく、それぞれの章ごとにテーマがあって、主人公が思案する、そんな構成だったと思う。自分の頭で考えることの重要性や、生きていく事に正解も不正解もないんだぜということが書かれていたと思う——と、書きながらけっこう忘れていることに気づく。また読もう。

 

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 大学生になって初めての旅行は神奈川と東京だった。新幹線でまず横浜に行き高校時代の友達と集まった。その後一人で江ノ電に乗って相対性理論を聴きながら由比ヶ浜を歩いた。東京では小学校時代の友人を訪ねて一緒に神保町を歩いた。カレーと古本の町で、私も例にもれずカレーライスをほおばったのち、目を皿にして掘り出し物を探した。買ったのは確か4冊。『KAZOKU』という名前のはがきくらいの大きさの写真集、それからダイアナ・ウィン・ジョーンズのファンタジー、あとガレージみたいな場所で段ボール箱に並べられていた鷺沢萠の『海の鳥・空の魚』と山田詠美の『色彩の息子』という二つの短編集。『海の鳥・空の魚』は初めての鷺沢作品でとても新鮮だった。大人が書く短編だと思った。読後、いつもの風景が違って見えた私は、いろいろなことに気を配るようにしようと思った。もっといろんな見方で世の中を見てみたい。すぐさま友人Jに連絡した。Jは「シゲの好きそうな作家だな」と返した。次に手をつけた『色彩の息子』はもっとすごくて、熱を持った人間の生々しいパワーに溢れていた。爪で引っ掻くとそこから血が噴き出してくるような気がした。一つ一つの話が強烈でページをめくるたびに息継ぎが必要なほどだった。しばらく放心状態になった私にはJLINEする気力も残っていなかった。

 どうしたらこんな文章を書けるのだろう? 読み終わってずっと考えていた。単なる文章の巧さや比喩の引き出しの多さとだけではなくて、大きく強い人間の力を山田詠美は持っているのだろうと思った。それは育った環境や読んできた本、人生の出会いや別れ、日々の習慣、触れた音楽や映画といったすべてのものに由来するのだろうと思う。人生経験を積み上げていけば、私も少しは彼女に近づくことができるのだろうか。

 

 話は戻るが、「せつない」という感情はどういうものなのだろう。「悲しい」とも「さびしい」とも違う。「せつない」の持つ実体はよくわからない。「切ない」と書くこともあるけど「切」という感じを使うようになったのはどういうことなのだろう。「せつ」が「ない」というのは一体どういうことなのか、とか考え始めるとよくわからなくなる。Jポップの歌詞でもtwitterでもよく見かけるし、「せつない」はけっこう使い勝手のいい言葉だと思う。だからこそ、本来の意味を失っているのではないかと疑ってしまう用例も散見される。そういう時、眉間には知らず知らずのうちにしわが寄ってしまう。「何が『Wi-Fiがつながらなくてせつない』だ! そんなことに「せつない」を使うんじゃない。正しい日本語を使えよ!」なんて叫びたくなる。でもそういう私だって「せつない」の正しい意味を知らないのだ。辞書を開くと「胸が締め付けられるような悲しみ云々」と書かれてある。「胸が締め付けられる」とは何なのか。いやそもそも「悲しみ」とは何なのだっけ。きりがない。

 「五粒の涙」と名付けられた巻末の文章の中で「せつない」という感情について編者はこんな風に説明している。

 

それでは「せつない」という感情はどうか。これは味わい難いものである。外側からの刺激を自分の内で屈折させるフィルターを持った人だけに許される感情のムーヴメントである。まったく味わえない人もいるし、ひんぱんに味わう人もいる。何故かというと「せつない」という気持ちに限っては、心の成長が必要だからである。つまり、それは、大人の味わう感情なのである。

その後でこんなことも書いてある。

 静かに湧いたせつない感情を自分の心に再現してみようとする。すると、自分では記憶力が良いと思っている筈なのに、具体的なものが何ひとつ浮かんで来ない。せつない感情というのは、その出所を明らかにしないたよりのないものだということがよく解る。切ない気分は刹那的なものであり、保存が、きかないのだということに気が付くのだ。せつない気持ちになり、その側から、その気持をなくしてしまうこと、これは本当にもったいないことだと口惜しい気持ちになる反面、だからこそ、「せつない」という感情は素敵なのだと思う。まさに、使い捨ての贅沢という感じである。

 なるほど、という感じである。「使い捨ての贅沢」とはうまい表現だ。たしかに「せつない」と感じた瞬間を呼び起こそうとしても、記憶の渦から掬い出されるのはあいまいであやふやな感情ばかりだ。一つ一つの記憶を薬品みたいに瓶に詰めて、棚に陳列できたらどんなにいいだろうとこんな時思う。「せつない」というラベル——おそらく黄色のラベルだろう。瓶の中身が琥珀色だともっといい——の貼られた瓶を選べばいつでも思い出がよみがえる。昔からそんな想像ばかりしている。

 

「せつない」と思う記憶は、いろいろある。悩んでるあいだ何日も部活を休んでいたのに放課後練習に行くとみんな受け入れてくれたこと、父親に会いに行ったのに結局会えなかったこと、12年ぶりに会った友達とカラオケに行き加藤登紀子を歌ったこと————その思い出が100%純粋の「せつない」感情なのかどうかはさておき、私には「せつない」思い出がたくさんある。それは幸せなことだと思う。

 

 

「せつない」という感情に一番しっくりくるのは免許合宿の最終日のバスだ。

 仲良くなった友達は私を入れて6人。みんな関東からの子だった。合宿最後の夜、米沢牛を食べて合宿での苦労をねぎらい、ちょっとした思い出を話し、過去や将来のことも少し話した。そうして別れることになる明日に備えたのだ。2週間はあっという間だった。運転について覚えることが多かったし(当たり前だ)街を歩くのにも忙しかった。おいしいラーメン屋がたくさんあった。「これぞ中華そば!」という感じの醤油ベースの店が多くて、あっさり派の私は、「今日はどの店に行こう」なんて考えながら授業を受けていた。

 その夜、流れで「夏にまた会おう」みたいな話をした。みんな日本酒を飲んでいた。下戸だけど私も飲んだ。山形に来て酒を飲まないわけにはいかないだろう。将来なんて未定だし、就職が決まった子もいたし、私は関西だし、会えるかどうかその時にはわからなかった。それでもそんな話をしないわけにはいかなかった。だって本当に楽しかったから。ずっとこの瞬間が続けばいいのに、なんて幾つになっても私は思ってしまう。

 むかえた合宿最終日、朝一番で試験である。市内を走り決められた所で停車する、というのが課題だった。大事なのは停まる際ウインカーを忘れないこと、それから交差点やバス停から十分に距離をとって停車することだった。白一色の米沢市内では道路脇の雪がせり出して車道が狭い。車線などあってないようなものだった。緊張していたけれど何回も走った街だし空き時間もせっせと歩き回っていたから案外簡単だった。待ち時間があって、アナウンスがあって、ロビーにある画面が合格者の番号を映し出す。私の番号も友達の番号もあった。

 6人のうちの2人とはそこでお別れだった。彼女ら——姉妹だった——が取るのはマニュアル車の免許で、オートマよりも2泊長く残るのだ。毎日通ったロビーで「ありがとう」とか「元気でね」なんて言葉を交わした。「また会おうね」とも言い合ったけれど、酔っていた夕べの席から一夜経つと、その言葉は空虚なものへと変わりつつあった。でも仕方なくて、言わずにはいられなかった。私はノートにみんなのサインを書いてもらった。20年と少し生きても、私はこういう子供っぽいことが好きだ。思い出はできるだけ可視化できるものにしておきたい。そうすればいつだってあの日に戻ることが出来るからだ。

 合宿中、毎日バスに乗ってホテルとスクールを行き来した。それも今日で終わりだった。車内はいつも地元のFMがかかっていて、最終日も例外でなかった。関東から来たふたりは新幹線に乗ると言い、一人は山形から足を延ばして山形県北部の銀山温泉に行くと言った。私は福島県の郡山まで出て、そこから夜行バスで大阪に帰るのだった。もう慣れっこになったけど窓の外は雪ばっかりで、でも関西に帰れば雪なんて全くないんだろうなあ、と曇ったガラスを見ていた。

 4人の会話が少しとぎれてしんみりした時、ラジオから流れて来たのは”Top Of The World”だった。「この曲なんだっけ」と一人が言って「あれやん、カーペンターズやん!」と私は言った——どうでもいいことだが、アイデンティティを保つために、私は関東人の中にいても関西弁を使うことにしていた。そうしないと標準語に染まってしまいそうだったからだ——我々の雰囲気は少し明るくなって、みんなでメロディーを口ずさんだのだった。

 サビを歌いながら思った。これからの人生、私はこの曲を聴くたびにこの免許合宿のことを思い出すのだろう。そう考えるとせつない気持ちになった。

 

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 その時の感情はたしかに「使い捨ての贅沢」で、もう二度と味わうことが出来ない。どの「せつない」も「せつない」という言葉で表せるというだけで、毎回微妙に異なるのだ。記憶は出来事であり、その時の感情である。どれも同じということはあり得ない。ただ、たくさんの「せつない」を積み上げることが人生の豊かさにつながるのは間違いないように思える。

 

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 免許合宿が終わってもうすぐ1年経つ。なにはともあれ私に山田詠美を教えてくれた現代文のT先生には感謝である。一度高校の最寄り駅で会った時に謝意を伝えると「山田詠美、いいでしょう?」っとおっしゃられていた。

 

 

 

〈付録

今日から20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あります。響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。

 

◎二月一日(土)雨のち曇

(中略)

 明日はメガネを買いにいくんだヨ。人に聞かれたら、こう答えるんだ。まず第一番目に

「近頃、本の読みすぎで目を悪くしてネ!」そして次にいうの、「チョットこのメガネに会うでしょう。だから掛けたの」

 こんなこと誰も信じない。私がメガネかけたら小さなプチインテリでいやらしくなるんだから、誰も信用しないのがミソ。本当の私は、ユーモリストで小生意気で自分の顔を気にしているいやらしい女で、やっぱりメガネをかけている方が近い。そして誰にも言わずソット自分にだけ言う言葉

「私の目をガラスで防衛しているということ。相手はガラスを通してしか私のオメメを見られない。真実の私は、メガネをとったところにある」

 

 この箇所を読むと「本当の私」について考えてしまう。私は私だけど、どの瞬間を切り取っても私であることに間違いはないのだけど、それでもたまに、ある瞬間の私が、私でないように思えることがある。バイト先での私、授業に出る私、祖父と接する時の私。どれも同じ私なのに全然違う。ある条件下での「私」が大嫌いである。大嫌いなあまり、その時の「私」は本当の私と違うのだ、と思い込もうとすることがよくある。別人になるために自身の「キャラ」を変えたり、口調や一人称を変えたりする。それでもダメな時は服装や見た目を変える。髪を長く長くしたときもあったし、パーマをかけたこともあった。でも全部失敗だった。いつの時でも私は同じ頭と肉体を持っているのだ。矛盾をはらむ複数の自己を使い分けることは難しかった。

 高野悦子も同じように自己と戦っていたのだと思う。彼女は『ニ十歳の原点』の中で自己を見つけ出そうと幾度となく格闘するのだ。