シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#36 私はМ-1グランプリを見た!!

 

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 スーパーマラドーナが好きである。初めて見たのは2012年のThe Manzai 。それまでも深夜の番組で見たことはあったけれどコンテストのための漫才は初めてだった。

 伯父とホームセンターに行った帰りだった。記憶が正しければ、コーナンで買い物をして、二人で焼き鳥を食べて帰るところ。カーナビでテレビを見ようということになってたまたまつけたのがThe Manzaiだった。ちょうど彼らの出番で、小さい画面の中で芸人人生についての漫才をしていた。それがすごい面白くて。お笑いを言葉でそう表現すればいいのかわからないけれどとにかくすごい面白かった。メガネの田中と元ヤンキーの武智。二人のキャラクターが好きだった。武智が丁寧にすすめる展開の中で田中が暴走するのが面白かった。ファンになった。

 同じ組のアルコ&ピースが意外性のあるストーリー漫才をしてそれが会場に受けた。審査員たちは——なぜそこに座っているのかわからない秋元康テリー伊藤も含めて——アルピーに票を入れてスーパーマラドーナは敗退した。私にとっては面白くなかったけれどまあ笑いというのはそういうものなのだと知った。

 

 

 漫才を見るのは年末年始だけ、という家だった。そもそもテレビを見せてもらえなかった。なんとなくテレビは悪、教育によくない、という風潮が家にあって、NHKやニュース番組しか見れなかった。小学校高学年の頃はお笑いブームで、毎週イロモネアとかレッドカーペットとかやっていたのだけど、私は中学受験の勉強で忙しかった。2008年のM-1グランプリ 、オードリーとNON STYLEが一夜にしてスターになった。次の日の学校ではみんな春日のギャグ「オニガワラ!」をやっていたけど私には全く意味が分からなかった。

 全くテレビを見れなかったわけではない。小学校三年生の時、私は神戸の山の中にある病院に一年間入院することになった。そこでは毎日決まった時間、テレビを見ることが出来た。同室の友達とテレビを選ぶのだ。私は木曜日のアンビリバボーが好きだった。今はもうチープな番組としてしか見れなくなってしまったが、感動の実話を再現するシーンで私は毎回泣いていた。そんな9歳児だった。その頃から頭がおかしかった。

 病院では毎日9時までしかテレビが見れないのだけど、週のおわりだけは別だった。みんなが外泊して家に帰る金曜日はテレビが10時まで見れた。その時の私にとって午後10時という時間は深夜で、そんな時間にテレビを見れるなんてぞくぞくした。           

 私の4号室は金曜の夕方には空になった。みんな家族が迎えに来て家に帰るのだ。看護師さんは私を5号室に移す。5号室にはやっぱり家に帰れないさとちゃんがいて、週末は彼と一緒に過ごした。さとちゃんは三つ子で、姉妹と共に同じ病棟に入院していた。両親が軽自動車に買い替えたせいで車いすを乗せることができなくなり、三兄弟で一人だけ家に帰れないという可哀想な子だった。生まれてずっと入院している子だった。私は一年で退院できたけど彼は生まれてからずっと入院しているみたいだった。その病院は私が退院した2年後に閉鎖された。思い出がいくつか残った。

 とにかく、毎週末さとちゃんと過ごした。同じ部屋でご飯を食べて(病院の給食で一番おいしいのは貝柱のフライだった)その後一緒に見るテレビが「笑いの金メダル」だった。あんまり覚えてないけどピン芸人のヒロシとか波田陽区が一世を風靡したのもこの番組がきっかけだったと思う。子供でまだお笑いのルールとかよくわかっていなかったけどテレビの前でガハガハ笑っていた。それがお笑いとの出会いだった。

 

 昔も今も水曜は母親の帰りが遅い。つまり毎週水曜日はテレビが見れた。ちょうどいい時間にテレビでやっていたのは、はねるのトびらだった。番組の中のコントが好きだった。私のお気に入りはロバートの馬場。彼のおしゃれな髪型と眼鏡がかっこよかった。インパルスのシュールなボケと突っ込み、いるだけで面白いドランクドラゴン塚地とニヒルな鈴木も好きだった。残念なことにはねるのトびら2012年で終わってしまった。最後の方はほとんどコントもしていなかった。ピカルの定理が始まって人気も下火になっていたと思う。

 

 

 TheManzai を見てからしばらくは、スーパーマラドーナのネットで動画を探してもなかなか見つけ出せなかった。彼らよりももっと有名なスーパーマリオのゲーム映像とかマラドーナの五人抜きの映像が出てきたりした。だんだんと知名度が上がるにつれてYouTubeにも動画が上がるようになったし漫才特番にも出てくるようになった。嬉しかった。大学に入ったら劇場に観に行こうと思っていた。(まだこれは果たせていない。ルミネは遠い)

 浪人の時スーパーマラドーナM-1 の決勝に出た。お笑い好きの友達が予備校で昼ご飯を食べながら彼らがどうだったか教えてくれた。それが2015年で、そこから彼らは今年の大会まで四年連続で決勝に出場した。

 面白いのだけど優勝するほどまでではなくて、毎回悔しそうだった。2016年から毎年和牛が活躍するようになった。ホームランを打てる彼らに対してスーパーマラドーナは突き抜ける部分がなかった。ツーベースやスリーベースしか打てなかった。ミキみたいに華があるわけでもなかった。それでも堅実に毎年決勝に出続けていた。

 

 

 M-1 に出場できるのは結成15年以内に限られるみたいで、ジャルジャルギャロップスーパーマラドーナは今大会がラストだった。

 ラストだったからか、ひいき目なのかスーパーマラドーナのネタはいつもよりぶっ飛んでいるように見えた。吹っ切れて漫才をしているように見えて潔かった。覚悟のようなものが見えて漫才の最中からぽろぽろ泣いてしまっていた。この人たちは結成してから15年もこの大会のことを考えているのだ。

 まあ点数はあんまり入らなかった。ぶっ飛びすぎていて漫才としてはあんまりよくなかったのかもしれない。あるいは松本人志が言ったように「ネタが暗すぎる」のかもしれない。まあ仕方ないかなあと思った。サイコ過ぎたし、確かに笑えない人もいるかもしれない。技術的なことはよくわからないけど「後半と前半のバランスが悪い」みたいなことを審査員の誰かが言っていた。なるほどとは思ったがファンである私には終始面白かった。いいネタだと思うんだけどな。

 

 

 もう一つのお気に入りのコンビ、ゆにばーすもあんまりよくなかった。序盤で噛んで上がってしまったらしい。噛んだのは気付かなかった。録画を見返してはじめて気づいたが、そこまで致命的なミスとは思えなかった。でも硬さとかはあったし、受けてもいなかったし、空回りしていた。もしかしたら大声でツッコむ漫才はあまり受けなくなっているのかもしれない。彼らは漫才を終えてから終始落ち込んでいたけど来年も頑張ってほしい。オール巨人が言ったようにスタイルを変えたゆにばーすが見てみたいと少し思う。

 あとギャロップが自身のハゲた頭をネタにしているのも受けなかった。「そもそもこういう賞レースで自虐ネタはダメです」って上沼恵美子が言っていた。正しいと思う。自虐は時と場所を選ばないといけない。自虐で笑いを取るたび、何かが一つ失われる。まあ素人である私の自虐とギャロップの職人芸的自虐は全く別物なのだが。

 

 

 そもそもが異常な番組である。

 一言で言うとお笑いに点数をつけるっていうのがナンセンスだ。あと人を笑わせることにあそこまで真剣になるのも日常ではありえない。笑わせるはずの出演者たち自身がまず緊張している。漫才を審査する人たちも大変そうだ。

 

 お笑いに限らず評価するのは難しい。

 たとえば映画。毎回アカデミー賞では物議がある。黒人の俳優が少ないのではないかとか、反トランプを掲げる風潮が反映されてるじゃないかとか。「純粋にいい映画を決めよう!」という雰囲気はあんまりない。もちろんそういう気概を持った人もいると思うけど少なくとも大阪まで届いてこない。

 たとえばフィギュアスケート。フィギュアはスポーツでありながらもうほとんど芸術にもなっている。音楽を身体で表現するスケーターをどうやって評価するべきなのか? 音楽との調和や技と技の繋ぎをどう点数つけるのか? これは難しい。それだけではない。決められた時間に要素を一つ一つこなさす必要がある。本当に忙しい競技だ。ただ、要素一つひとつ、ジャンプの種類に点数があってだからこそ競技として成り立っていると思う。スピンやステップのレベルも厳格に基準が決まっていて——姿勢を何回変えたとか同じ姿勢を維持して何回回ったとか、どれだけ体重移動を行っているかとか——それなりに納得できるシステムになっている、と思う。

 

 オリンピック種目と違ってお笑いにははっきりとした基準が無い。最終的には個人の基準にゆだねられてしまう。「観客がどれだけ笑っていたか」とか「噛まなかった」とか色々基準はあると思うけれど、極論は「審査員の好き嫌い」になると思う。「好き嫌い」といっても審査員の中に哲学があると思う。ただそれを伝えるにはM-1 の中で審査員の7人に与えられている時間は少ない。

 だから審査員に対して不満がでるのは仕方ないと思う。「おれはこうやって点数つける」とか「○○のつけた点数はおかしい、来年から審査しないで」みたいなことを言う人がいる。「おれはこう見た!!」みたいなのをSNSにあげる。悪口はいかんと思うけど、それでも見ていたら面白い。「ふーん、この人にはこうやって見えたんや」みたいな気付きがたくさんある。M-1 を見ながら、傍らではスマホを開いてTwitterを見ていたけど、いろんな人が思い思いのことを呟いて面白かった。

 個人的には上沼恵美子立川志らくの講評が面白かった。上沼さんは厳しいことを言うこともあったけれどそれは基本的に優しさから来ているように思えた。それから志らくは本当に興味深い人だと思った。二人とも気になるのでちょっと調べてみようと思う。

 

 

 優勝は霜降り明星だった。ツッコミの粗品がフリップネタをしているのを見たことがあってそれで名前は知っていた。てか「粗品」って芸名、かなり秀逸で面白いと思う。

 25歳と26歳。4学年上の人が天下を取ったのを見て私は興奮した。

 自分も何かしないといけないと思った。でも何を?

  霜降り明星の漫才についてナイツの塙が講評で言っていたのは「圧倒的に強い人間がやっている」漫才だということだった。講評を聞く姿勢とか会見を見ているととてもしっかりしている人たちという印象だった。

粗品は優勝後の会見で「世代交代」という言葉を使っていた。強いなあと思う。

 さあ、私は何をできるだろう? まずは引きこもりを脱しないと。

 

 世代交代が起こって来年のM-1 はどうなるのだろう。楽しみである。