シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#35 偶然/必然

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 自転車がパンクした。ここ一か月でもう3回目である。誰かにいたずらされているのではないかと勘繰りたくなるような頻度である。はじめに後輪が2回パンクしてチューブを新しくした。大学が午前中で終わった日の午後、自力でチューブ交換をしてみたのだ。これが案外簡単にできた。昔、ことあるごとに「おれは一人でパンク修理ができるんやぞ」と豪語するクラスメイトがいて、そんな彼をすごいなと思っていた。でもなんだ、やってみれば簡単じゃないか。

 3回目の昨日は前輪だった。たまたまパンクした場所が自転車屋の近くだったのでそこで直してもらった。自転車屋の隣にはドン・キホーテがあった。ふと気付いた。1回目のパンクもこのドン・キホーテの近くだった。大学に行く途中でパンクに気付き、ドン・キホーテの駐輪場に自転車を止めてひとまずバスで学校に行ったのだ。よくよく考えると2回目のパンクも別のドン・キホーテの近くであった。私はその奇妙な偶然に驚いた。3回のパンクが全てドン・キホーテの近くで起こっているのだ。少し怖くなった。21世紀になってもやはり説明のできない出来事は怖い。

 

 

 大学に入って一度だけおばあちゃんに手紙を出した。1週間後に返信が届いた。病気が進行するに連れて祖母はますます読書を楽しみとするようになっていて、その頃は私が貸した沢木耕太郎の「深夜特急」を読んでいた。手紙にも「深夜特急」のことが書いてあった。沢木耕太郎は「デリーからロンドンまでバスで行ってやる」といって一人旅をした人なのだけど、おばあちゃんの若いころにも小田実という人がいて、彼も「何でも見てやろう」という本に世界旅行の経験を書いたらしい。おばあちゃんはそういう諸々を手紙の中で教えてくれた。

 朝日新聞の一面には「折々のことば」というコーナーがあって、鷲田清一古今東西のステキな言葉を紹介している。毎日、過去の名言とそれにまつわる彼の文章が載っている。私はよくもまあネタが尽きないなと思う。もう1200回以上連載しているはずだ。

 おばあちゃんの手紙を読んだその日、鷲田清一が紹介していたのは「人間古今東西みなチョボチョボや」という小田実の言葉だった。びっくりした。その日まで「小田実」という名前を聞いたことも読んだこともなかったのにたった一日で2回も目にしたのだ。不思議である。ここから遠くない芦屋に彼の記念碑があって、その言葉が刻まれているということも新聞には書かれていた。

 それだけではなかった。「小田実」の名前はその午後読み始めた本の中にも出てきたのだ。新潮文庫「ニ十歳の原点」。その本にも彼の名前が紹介されていた。何か目に見えない力が働いているような気がして鳥肌が立った。「ニ十歳の原点」は学生運動全盛期の京都で大学生だった高野悦子という人が書いた日記である。「何でも見てやろう」が出版されたのが1961年で、高野悦子の日記が書かれた時期は60年代の終わり。小田実ベ平連といった平和運動に参加していた人だから当時の学生には広く知られていたのだろうと思う。

 同じ人の名前が別々の場所から3つも出てくるとやっぱり怖かった。ただの偶然とはいえその偶然が何か意味を持つのではないかと考え込んでしまった。私の思考は「運命」とか「啓示」といったスピリチュアルな方向に向かってしまい、その日は何をしていても頭の片隅でそのことを考えていた。

 

 

 1カ月前、連続して「ヘンな」ものが見えた。

 ある朝駅に向かう途中で犬を散歩させている人影を見た。確かに見た。しかしその一人と一匹は、私が地面に目を落としまた顔を上げるまでの数秒足らずの間に影も形もなくなった。急いでいたのでちゃんと確認しなかったけれどどう考えてもおかしな出来事だった。

 その次の月曜日にもまた「ヘンな」ものがみえた、祖父の家の手前50メートルほどのところを自転車で走っている時のことだった。時刻は夜10時で暗かった。坂道なので立ち漕ぎをしていた。祖父の家の門灯を見ていると人影がスーッと移動して門のところに入っていくのが見えた。初め、祖父だと思ったので「ただいまー」と呼びかけた。けれども返事はないし、門が閉まる音もしない。センサーで点く防犯ライトも反応はなかった。玄関の扉を開けて祖父に訊くと、彼はずっと書斎にいたと言う。自分の見間違いとも思ったけど、何かを見たという確信があった。泥棒かとも思ったが、生身の人間なら防犯ライトが反応したはずである。謎だった。怖かったので家中の電気を点けて風呂に入った。

 シャワーを浴びながらいろいろ考えていた。どこかで誰かが死んだのかもしれないとぼんやり思った。誰かが私にメッセージを送ってきたのかもしれない。いつか聞いた怖い話を思い出してぞっとした。

 突然お風呂のドアの向こうから電子音が聴こえた。ピピピピピピピピ……。体をふいて急いで出ると、誰も設定していないのにリビングでアラームが鳴っていた。時計を見ると日付が替わって10月2日になっていた。そこでようやく気付いた。そうか、2日は祖母の月命日じゃないか。そう気づくと、少しうれしくなった。丁度1年半だった。

 

 ドライヤーで髪を乾かした後で、祖母の写真の前に正座し、線香に火をつけた。煙の筋を見ていると少し気持ちが落ち着いた。もちろん私が勝手に盛り上がり、自分の都合のいいように物事を解釈しているだけとも言えよう。こういうものを全く信じない人の目には、私の思考も行動もひどく馬鹿げたものに映るに違いない。

 それでも私はその夜の不思議な出来事に理由を見つけることが出来てほっとした。

 

 その話は祖父にはしなかった。ただ彼の部屋までは行った。

 彼はパソコンの前に座っていた。もう寝ようとするところだった。見ると彼は画面の上にあるタブを一つ一つ消していたのだけど、最後にデスクトップに残ったのが谷町にある風俗店のホームページだった。私はニヤニヤがとまらなかった。そして少し安心した。自分の心配がちっぽけなものだと気づけたし、この人は恐怖をみじんも感じていないに違いない。

 一方で、それは悲しいことだとも思った。この人とは今の感情を共有できないと感じたからだ。私の恐怖も感動も、彼にとっては隣の星雲の出来事と大差ないのだろう。