シゲブログ ~避役的放浪記~

日々の些細な出来事、昔の思い出を書いていきます

#34 ポケット今昔物語

 

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 今は昔——というか去年の6月——2つ年下の女の子が私に言った。「人ってそんな簡単には変われないんですよ」

 その時、私は「そんなことはない」と返したし、今でもそう思っている。でもどうだろう。人間の根っこにある本質的な部分は案外変わらないのかもしれない。そんな風に最近感じ始めた。

 

 

 目薬がなくなりそうだ。小さなボトルにはあと数滴分しか残っていない。達成感が湧いてくる。何しろ目薬を最後まで使い切るのは初めてのことなのだ。

 私は目が細い。目つきが悪くて、祖母には何度も注意された。道を歩いているとガンを飛ばされたりすることもある。目を開けているのに寝ていると勘違いされたこともある。正直目の大きな人が羨ましい。彼らは笑っても目が線になることはない。クラス写真を撮る時、写真屋さんに「そこの男の子、目を開けてくださいよー」なんて言われることも絶対にない。

 そんなに細い目だから、目薬をさすのは大変である。恥ずかしい話、一滴で目薬をさせるようになったのは高校生の時である。中学生になっても私は目薬が苦手で何滴垂らしても上手く目に入れることができなかった。悪戦苦闘する私をみんなが笑っていたけれど私は必死だった。

 最近極端に目が疲れるようになった。大学の眼科検診で視力を測ると左目だけ視力が落ちていた。眼科に行くとおばあちゃんの先生が「きみ眼圧高いねー」と言って眼圧の検査をすることになった。まあ眼圧には異常がなかったのだけど点眼薬をもらった。

 私は面倒くさがりでもある。眼科で目薬をもらっても面倒で、いつも途中でさすのをやめてしまう。処方されて大体3日ぐらいは毎日使うのだけど1週間ほど経つと忘れてしまって、1ヶ月経てばどこに行ったのかもわからなくなる。

 そんな私だが今回はちゃんと毎日目薬を差そうとこころがけた。視力の低下が少し怖かったのだ。実際目が疲れるとぼやけて見えることが多くなっていた。私は毎日小さなボトルをポケットに入れて家を出た。バイト、大学、図書館、カフェ。いろんな場所を行き来しながらいつもポケットの中には目薬を忍ばせていたのだ。一か月半ほど経って目薬はもうほとんどなくなった。少し誇らしかった。目薬を最後まで使い切るというのは今までにない経験なのだ。「初めて」はいくつになっても良いものである。私は目薬を使い切るXデーを心待ちにしていた。

 

 

 ところがである。先週ついに恐れていた出来事が起きた。私は目薬をポケットに入れたまま洗濯に出してしまったのだ。次の朝、目薬がないことに気付くも時すでに遅し。「ああ」とむなしいため息が漏れる。私はまたやろうとしていたことを成し遂げられなかった。がっかりして悲しくなる。

 小学校に入った頃のことを思い出した。小学校に入ると祖母と母は決まって毎朝ハンカチとティッシュを持たせた。家を出る前に「ハンカチ鼻紙持った?」といつも私に確認するのだ。7歳の私は半ズボンの小さなポケットにそれらをねじ込んで家を出る。小学校低学年の子が履くようなズボンは小さい。ハンカチとティッシュを入れるとポケットはぱんぱんに膨らんで気持ちが悪い。動きにくいのでハンカチも鼻紙も持っていくのはいやだった。

 学校と学童保育が終わると家に帰る。帰宅した私は最初にお風呂に入ることになっていたと思う。一日中校庭で遊んで服を汚しているからだ。私はよくハンカチとティッシュをポケットに入れたまま洗濯機を回してしまった。洗濯かごを持った母があきれた顔で私を呼びつける。私は洗濯物にからみついた白い繊維たちを見て何とも言えない悲しい気持ちになるのだった。沈んだ気持ちでティッシュだった塊をセーターやシャツから取り除くのだ。「ティッシュを洗濯機に入れてはいけない」と母に何度も言われているのにまたやってしまった。自分が恥ずかしかった。いらいらした。

 奇妙なことだが、幼い私はそんなティッシュ達に対して申し訳ないと思っていた。最後まで使い切ることが出来なかったという自責の念にかられる。道半ばで洗濯機の藻屑となった彼らのことを考えるとやり切れない思いになった。

 目薬を洗濯してしまったのも今回が初めてではない。生まれてから今まで、かれこれ10回ぐらいやっている気がする。洗濯する度自分が成長していないことを知って悲しくなる。別にそんなに大げさなことではないのだけれどやっぱり悲しい。さすがにティッシュを洗濯することは少なくなったけれど、目薬やレシートなんてのをポケットに入れたまま洗濯してしまうことはまだある。秋が来て涼しくなったこの10月、私は今シーズン初めてのジーンズを履いたのだけれど、お尻のポケットから出てきたのは出場を済ませていない阪急電車の切符だった。もう笑ってしまった。

 

 

 自分より若い人が「人間はそんな簡単に変わらない」と言うのを聞いた時、私は悲しくなった。自分自身これから大きく変わりたかったし、変われると信じていた。なのにそんな風に言われるなんて。

 極悪人が改心して善人になる話や、問題児が更生してヒーローになる話は世の中にごまんとある。例えばほら、刑務所で腐っていたジャンバルジャンも善人になろうと苦悩する。ジャベール警部だって最後は改心したじゃないか。「クリスマス・キャロル」のスクルージだって最後は善人になろうとするだろ?

 「でも、」と私の頭の中で声がする。それってお話の中だけだろ? 実際の世界を見ろよ。お前の祖母は恨み言を言いながら死んだし、彼女の死があってもお前の家族はほとんど変わっていない。

 

 

 私はロマンチストで肥大妄想の癖がある。だからこそその言葉を聞いて耳が痛かった。「こんな人間になりたい」という自分の妄想も、「変わりたい」という思いも、無計画で非現実的なものだ。第一努力していると本当に言えるのかよ? その現実をどこかで自覚していたから彼女の言葉が心に刺さったのだ。

 

 

 思えば今年の9月、親友Jも同じことを言っていた。「毎年新しい夏が来ても、結局人は最初の夏休みを繰り返す」

 自分自身を振り返ってみて、これは真実だと思う。