シゲブログ ~避役的放浪記~

日々の些細な出来事、昔の思い出を書いていきます

#31 台中小旅行 その2~日月潭~

 

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(#29のつづき)

 

 811日土曜日。

 寝てたら台中についた。駅前のバスターミナルで降ろされた。寝起きで頭がぼんやりしていて、どこに向かえばいいのかわからなかった。最初の目的地は南投県にある日月潭という湖で、台湾のど真ん中にある。南投客運というバス会社が台中駅前から湖までバスを出しているということだった。寝ぼけなまこのままやっとこさ南投客運の事務所にたどり着き、バスの乗り方を教えてもらう。バスでは悠遊卡が使えるということだった。

(※悠遊卡:発音はヨウヨウカーeasy cardともいう。台湾におけるICカードで、これ一枚で鉄道もバスも乗ることができ、さらにはコンビニやスーパーでも使える便利なカード)

 あそこの乗り場からバスは出発するよ、とバス会社の人に言われた場所でバスを待つ。台湾人のソフィーから教えてもらったサイトをもう一度見て時刻表をチェックする。先週みんなで台南市内を回った日に、彼女を含めた何人かのが日月潭をおすすめしてくれた。前から気になっていた場所だったので私は今日日月潭に行ってみる。日月潭は観光名所らしく、バスにはたくさんの人が乗っていた。私は何とか席を見つけて座った。スマホ日月潭の見所を調べたり今日明日の予定をたてようとしたけど、眠くなったのでまた寝た。

 バスが着いたのは日月潭における観光案内センターのような場所で、ボートやレンタルバイクの客引きがいた。また寝起きで寝ぼけていたし、お腹の調子が悪かった。たくさんの観光客とたくさんの客引きがいて見ているだけで疲れた。時刻は1010分を過ぎたところで私はまずトイレに行った。自転車を借りて湖の周りを一周できるのは知っていたが、それは疲れるのでやめようと思っていた。暑い日だった。

 

 客引きの人がいて声をかけてきた。彼の話を聞いてボートの一日乗船券を買うことにした。今いるのは水社という場所のようである。ボートに乗れば湖岸の、玄光寺と伊達邵という2地点に行って帰ってこれるみたいだ。水社から玄光寺へ、玄光寺から伊達邵へ、伊達邵から水社へのボートは定期的に出ていてそんなに待つこともないようだった。客引きの人にボートの乗り場に連れて行ってもらう。私はサマースクールで習った中国語を試してみた。「わーたしは、にーほんからたいわんにきまーーした」「わーたしはことーし22さいになります」みたいな感じ。それでもちょっとは伝わって嬉しかった。

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 お金を払って腕にスタンプを押してもらった。このスタンプを見せれば今日一日、何度でもその会社のボートに乗れるらしい。汗をかいてもこすらないようにしよう。ボート乗り場まで歩いて気付いたのは、台北や台南のような都会と違う人々の顔だった。なんというか顔の濃い人が多い。台湾には2%ぐらい原住民の人がいる。彼らは大陸から漢人が来る前から台湾に住んでいた人々でオーストロネシア語族に属するそうだ。日月潭周辺にはサオ族と呼ばれる人々がいて日月潭の中心にある拉魯島(ラル島)が彼らの聖地だという。さっき話した客引きの人も漢人とは少し違う顔つきをしていた。 

 ボートに乗るとたくさんの人がいた。土曜日の晴れた午前中。観光船には子供連れやカップルがたくさんいた。みんなわいわい楽しそうだった。サングラスかけたりセルフィーを撮ったりしている。ボートは走り出し桟橋がどんどん遠ざかる。緑色の不思議な色の水がきらきら光る。ボートの周りには波が立ち湖面がうねる。拉魯島が見えて遠ざかった。思ったより小さな島で木が2本しか生えていなかった。あとで知ったけれど1934年のダムの建設で水位が上がり、島の一部が水没してしまったみたいである。日本統治時代のことだ。

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 玄光寺という寺は桟橋から少し歩いた小高い場所に合った。寺の前からは湖が見えた。向こうにはさっきまでいた水社が見える。ビルや大きな建物やらが建っていて、向こうには山が見えた。玄光寺とその近くにある玄奘寺は有名なお寺だそうで、なんでも玄奘の骨が安置されているということだった。長い年月のあとようやくこの場所に落ち着くことになった骨である。日中戦争時に日本軍が持ち去り、1952年よりこの地に来たという。

 ただ私は少し寝不足で玄奘の骨にはあまり惹かれなかった。山道を歩いてすこしハイキングをしてみようかと思ったけれどなんせ人が多くてちょっとだけ歩いて引き返した。山道では法輪功の信者の人たちが黄色い服を着て立っていて、勧誘をしていた。急にめちゃくちゃ帰りたくなった。帰るといってもゲーマーのルームメイトがいる大学寮の8階ではなく、日本に住む友達のところに行きたかった。でも今日はまだ8月の11日で私は31日まで台湾にいなくちゃならない。桟橋の方に向かうと、広場みたいなところでサオ族の男女がパフォーマンスをしていた。歌がすごくうまかった。広場にはサオ族の2人だけが歌っていて、周りはみんな中国人ばかりだった。彼らの歌声を聴いているとなんだか苦しくなって私はボートに乗って次の場所に行くことにした。

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  何をしているのかわからなくなってきた。とりあえずボートに乗って名所みたいなところを回っているけど、別に何をするというのでもない。ただただ単純な好奇心だけで目的もなく動いている。能動的に動いているように見えて、実は受動的なのだった。「これがしたい」「あれがみたい」という強いモチベーションを持って動いているわけじゃないから何を見てもあまり感動しないし、新しいもの、変わったものが見たいという野次馬精神だけで行動している。そして条件反射的に写真を撮っている。時々、自分は写真を撮るだけのために旅行をしているのではないかと思う。

 伊達邵と言う場所にはいくつかのレストランやお土産屋さんがあった。どれも高かった。げんなりした。とはいえ安いからといってコンビニでご飯を食べるのは違うと思った。。いろいろ見るためにちょろちょろ歩いた。中心から少し歩くと、工事中の場所があり、坂道に立ついい感じのホテルがあり、その向こうには湖を一周する幹線道路があってバスが走っていた。また戻って日月潭の名物料理などが売られているところを歩く。サオ族の血を引いた人が多いのか、顔が濃い人が多かった。帰りたいという思いがさっきよりも強くなっていて、段々しんどくなっていた。私は少し休憩することにした。ボート乗り場近くにある日陰に座ってぼうっとしてみる。日陰を求めてみんながそこに座っていて、にぎやかだった。

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 旅に出ているというのに私はツイッターを開いてしまった。ツイッターでは日本の日常が垣間見ることができた。無意識にスクロールするとHeather Heyerという人の写真がタイムラインに出てきた。調べると彼女は去年の812日に亡くなったアメリカの人で、Charlottesvilleという街でデモしていた時、暴走してきた車にはねられたという。私はその事件を覚えていた。人で埋め尽くされた車道に急に暴走した車が突っ込んでくるショッキングな映像を去年の夏、確かに見た。彼女のことを忘れないようにしようという呼びかけがSNS上であるようだった。そんなことが降り積もり、私の感情はぐちゃぐちゃになりつつあった。

 

 

 帰ることにした。水社に行くボートに乗り込む。同じペースで回っていたのか、先ほどのボートでも見かけたような人が何組かいた。不思議な巡り合わせだと思う。別にしゃべりかけるほどではないなと思う。子供を2人つれた夫婦が子供をあやしながら湖を観ていた。

 本当に不思議なミステリアスな水の色だった。何か人を惹きつける力がある。雨が降っているのか山のむこうの空は暗くなっていた。風が急に吹いて湖も急に表情を変える。波が少し高くなった気がした。

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 お腹が空いていた。よく考えると4時半にコンビニで豚まんを食べてから何も食べていない。水社の街を歩いてようやく普通の値段のお店を見つけた。魯肉飯が60元だった。本当はカフェに入ってゆっくり日記を書きたかったのだけれど高いのでやめた。テーブルの向かいにはオーストリアから来た女の人たちが座っていて少しだけ話した。魯肉飯はやはりもれなくおいしい。ただ量が少ない気がした。

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 バスの前には行列ができていた。乗れないかもしれないと思ったけれど何とか乗り込むことが出来た。いろんな顔がそれぞれの席に座っていた。私はそういう顔を見るのが好きだ。イタリア人に見えるカップル、地元の友人同士で来たと思われる台湾人の老人たち。たくさんの顔の中を日本人の私が歩く。私はどのように見えているのだろう。

 バスの中で私は今日泊まるエアビのホストに連絡をした。「今日バスで月潭を出ました。3時半から4時ぐらいに着きます」 返信ははすぐに帰ってきて少し安心した。ホストの人は「〇子」さんという日本人風の名前なのだけど、アコモデーションの説明は全部中国語で日本語の箇所はない。どうやら日本人ではなさそうである。どんな人なのだろうとちょっとだけどきどきしながらバスに乗っていた。バスは高速道路を走っていて、遠くの山の崖に顔を出している断層や、畑で農作業している人が見えた。

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 台中の駅前で下りて、チャットでホストの人に教えてもらった番号の市バスに乗る。なぜかバスは目的地の2つ手前で止まり、私は運転手におろされた。私はそこから3ブロックほど歩くはめになった。ちょうど旧暦の7月に入ったばかりで多くの店先や家の前に先祖を祀るための台があって、果物が置かれたりや線香が立てられていた。ドラム缶には火が焚かれていて、先祖達があの世で使えるようにと紙でできたお金を燃やす姿もあった。私はこういった光景を映画でしか観たことがなかったので少し胸が高鳴った。同時に、こういった儀式を「よそもの」である私が直視してもよいのだろうか、とか、見るならどのような気持ちでいたらよいのだろうかと考えていた。

 とっても大きな金色の像が目に入った。お寺だった。そのお寺の裏に今日の宿があるということだった。雨が降ってきて私は足を速めた。細い路地で何回か迷った後でようやく伝えられた住所にたどりつく。よくあるアパートだった。チャットで彼女に連絡をするとすぐにガチャリとアパートに入る鉄扉が開いた。上から声がして、見るとベランダから50代ぐらいの人が私の名前を叫んでいた。階段を上がりホストと対面した私は、少し面食らった。不思議な雰囲気の女性だった。ゆっくりと歌うように話す人だった。英語だけでなく中国語もゆっくり話していたから多分それが彼女の個性なのだと思う。私の部屋を案内してもらい、そこでも私は面食らった。私の部屋はアパートの屋上に立ったプレハブを改造したような場所だった。明らかに最近まで物置として使っていた形跡があった。家族のものと思われる古い人形や旅行カバンがあった。壁の下からは隙間風が吹き込むような場所でクーラーはなく扇風機しかなかった。それでも十分すぎるスペースがあったし、ベッドも広くて寝るには困らないなと思った。シャワーとトイレは彼女たちが住む階下の部屋にあるということだった。私は三つの鍵を受け取った。アパートに入る鍵、彼女の部屋の鍵、それから私の部屋の鍵だ。

 少し彼女と話をした。彼女は3歳の孫と暮らしていた。ちっちゃい子と遊ぶのが大好きなので一緒に遊んだ。ホストは学生時代に習った日本語も話してくれた。私も習った中国語を頑張って話した。台南で2週間サマースクールに参加していること、大阪から来たこと、サマースクールの後は台湾を旅行する予定であるということ、いろいろ話した。彼女も小さいころ台南の祖母の家に住んでいたことを話してくれた。その祖母はなんとまだご健在で、彼女には5世代もの家族がいるのだという。びっくりした。彼女のLINEのアカウントには、Sunnyという彼女の英語名と共に家のアイコンが5つあるのだけど、それは家族のことを表しているのだという。彼女が冷蔵庫から出してくれた紙パックのジュースはおいしかった。なんでも台湾で一番ポピュラーなジュースということだった。

 

 喋っていると楽しくてついついリビングに長居してしまった。しかし私には今日のうちに行きたい場所がもう一つあった。日没は午後635分。それまで次の目的地に着かないといけない。私は夜9時には帰ると彼女に告げてアパートを出た。そしてレンタサイクルにまたがって、曇り空の台中を走りだした。

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