シゲブログ ~避役的放浪記~

日々の些細な出来事、昔の思い出を書いていきます

#27 再び台北。

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 827日。

 困った状況にある。まずお金がない。今日の朝の時点で手持ちには300元しかなかった。おじいちゃんが餞別でくれたアメリカドルを数えると96ドルあってそれを銀行で両替した。ただ、私が50ドル紙幣だと思っていたものは50ミャンマーチャットで、銀行の人に替えられないと言われた。50ドルと50チャットは全然違う。損した気分だ。結局その46ドルだけ両替した。

 

 それからスマホの充電がない。なんとか1120分の電車に乗ることが出来て、今日の夜会う人に連絡したりしたのだけど、なぜか電池の量が少ない。昨日の夜中充電してつもりが、どうもコンセントが抜けていたみたいだ。台北まで4時間ほどあったのだけれど極力スマホを使わないことにした。私はずっと本を読んでいた。

 

 さらにサンダルがとても臭い。一昨日から実は気にはなっていたが、もう知らんぷりが出来ないほどに臭い。電車で座っていても時折匂いが鼻まで届く。恥ずかしい。墾丁で海に入り、南の端まで歩き、花蓮でも太魯閣と街中を歩きに歩いたサンダル。お疲れ様である。昨日匂いに耐えかねてお風呂で洗ってみたのだけれど結局あまり効果はなかった。なにしろこの一か月ほぼ毎日履いているのである。一度洗っただけではだめなのだろう。

 ちなみにこのサンダルはインド製である。ヤンゴンダウンタウンで買ったものだ。ミャンマーに行った時、毎日ビーチサンダルで歩いていたのだけど、そうしていると親指と人差し指の間の皮がむけてしまった。痛さに耐えかねた私はマジックテープのついたサンダルを買ったのだ。私はこのサンダルと共にヤンゴンの街を歩き、バガンでバイクに乗ったりした。そんな思い出のあるサンダルである。

 

 花蓮を出た列車は次から次へと田舎町を過ぎていく。花蓮から宜蘭まで2時間ほど。そこから台北までまた2時間。台湾で初めて電車に乗った時は1駅ごとに駅の写真を撮ってみたものだけれど、もうそんなことはしない。私は椅子に座ってずっと林芙美子の放浪記を読んでいた。大正時代の女の生活が鮮やかに描かれている。作家になる前の芙美子が、書いた詩を出版社に持っていっては突き返されるというのを繰り返していた。時々、列車は海沿いを走った。読書に疲れると、私は顔を挙げて海を見ていた。

 

 花蓮で乗った時、空いている席は優先席しかなかった。前にはお母さんと4歳ぐらいの女の子が座っていた。二人ともずっとスマホをみていた。時々女の子のスマホから音が漏れて、気が散った。宜蘭でたくさん人が下りたので私は席を移った。

 台東から花蓮まで移動した時とは違って車両にたくさん人がいた。バスケットボール部の少年たち、ヨーロッパからきたカップル、登山を終えた中年の集団、宜蘭から台北に帰る女の子三人組、なぜか猫を二匹連れて移動している夫婦。いろんな人がいて、観察していると面白かった。スマホを見ている人が多いのは日本と同じだった。海が見えても川が見えても窓を見ているのは私だけだった。

 

 今日は10時に起きて、急いで準備をした。4日間過ごしたホステルを後にして銀行へ急いだ。後ろ髪を引かれる思いだった。とても居心地のいいホステルだったのだ。カウンターでケビンとマレーシアの女の子、台湾人の夫婦にサヨナラを言ってホステルを出た。本来であればゆっくりお別れの時間を過ごしたかった。でも今朝の私にはお金も時間もなくて、感傷的になる余裕がなかった。写真だけ撮った。また来ようと思う。本当に来るかどうかはわからないけれど、思うのは自由だ。

 

 台北に着く。メトロに乗って中正紀念堂駅に向かう。友達との約束までまだ時間があるので中正紀念堂を歩いてみる。とてつもなく大きな蒋介石の像があって、衛兵が立っていた。日本人観光客がたくさんいた。大きな広場と建物というだけで、そんなにすごいものではないような気がした。「こんなに大きなものを作れるお金があるのなら、困ってる人を助けるべきなのでは?」  私の中の天邪鬼が呟く。天邪鬼は観光地に行くとよく出てくる。

 写真を撮っているとスマホの電池がなくなってきた。慌ててカフェを探して入る。充電できるカフェは一つしか見つからず、そのおしゃれでお高いカフェに入る。お金がないのに170元もする抹茶ラテを飲むはめになる。本当はコーヒーがいいのだけれど、おなかを壊しているので、暖かい抹茶ラテを飲んだ。抹茶ラテなんて日本でも飲んだことがない。けっこうおいしかった。あったかくて落ち着く味がした。

 

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 7時になって待ち合わせに行く。金峰魯肉飯というお店でご飯を食べる約束である。KCはちょっと遅れてきた。彼女の会社から中正紀念堂駅は少し遠い。彼女の会社や家に近い場所でご飯を食べることにすればよかったなと後悔した。地下鉄の改札近くで会って地上へと上がると雨が降っていた。トランクもあるのとで困った。どうにか店に入って注文する。KCが注文を全部してくれた。ご飯はめちゃくちゃおいしかった。「台湾、どこに行ったの?」とか「中国語話せるようになった?」とか聞かれた。花蓮、台東、墾丁、台南にいたことを話した。台南のご飯はおいしかったこと、ちょっと甘すぎたこともあったこと、花蓮の街が心地よく感じられたこと。KCは台南で勉強していたこともあったし、昔は花蓮にも住んでいたから、話が弾んだ。

 「中国語話してよ」と言われて私は中国語で自己紹介をした。なぜか同じテーブルの向かいに座っている男の人にも自己紹介をした。発音が悪いから彼らの耳には「わーたしはにーほんじーんです」という風に聞こえているのだろう。恥ずかしくて仕方がない。それでも習った中国語を何とか思い出して話した。

 その後KCと男の人は台北で私の行くべき場所を探してくれた。私は淡水の紅毛城と十三行遺跡に行きたかった。結構遠くて自転車では厳しいかもしれなかった。代わりに龍山寺というところをKCはおすすめしてくれた。男の人は30代の人で生まれてこのかたずっと台北にいる人だった。彼も十三行の博物館を調べてくれた。彼とKCは今日初めて会って話した訳なのだけど、台湾ではどうも知らない人同士で話したりすることはよくあることのようである。いい文化だと思う。

 晩御飯に満足した私とKCは帰ることにした。雨がひどくなっていた。去年の11月に北海道で会って15分ほど話して別れただけなのにそれから私は2回も台北に行き、その都度KCと会ってご飯を食べた。SNSがなければこんな風に何回も会えるということはなかったと思う。地下鉄の座席で不思議だねえと二人で話した。写真を撮って別れた。

 

 今日は江さんの家に泊めてもらうことになっていた。最寄り駅まで行くと江さんは車で来た。整ったフラットに彼はお姉さんと住んでいた。江さんもお姉さんも日本語がかなりできる。言語のことや日本のいろいろ話すと楽しかった。猫が二匹いて彼らと遊ぶのも楽しかった。江さんがギターを弾いてくれて私も歌った。レミオロメン39日を歌った。私も尾崎豊の卒業を下手くそながら弾いて歌った。最近弾いてないからますます下手になっていた。音楽のことでかなり盛り上がって「夏に流れる音楽」は何かという話になった。お互いに中国語の曲と日本の曲を紹介してYouTubeでその曲を聴いた。

 

 

 81日に台北から始まった旅ももう終盤に差し掛かりとうとう手持ちのお金もなくなってきた。台南、墾丁、台東、花蓮に滞在した後、今日ようやく台北についた。お金や充電がないことに焦って必死になっていた私には感慨に浸る余裕は無かった。電気を消してソファーに横になった私は、その時になって少しだけ感慨にふけった。ソファーで寝れるのも江さんのおかげだった。この旅を通じていろんな人の優しさに触れた。ありがたいなと寝る前に思った。

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