シゲブログ ~避役的放浪記~

日々の些細な出来事、昔の思い出を書いていきます

#22 台南でプール

 

 

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 ハライチの漫才に出てきそうなタイトルである。「プール」の「プ」を強めに発音したらそれっぽくなると思う。もしハライチっぽくならなかったら電話をしてほしい。

 

 

 台北でめいちゃんに会ってそれから台南にきた。台南は飯がうまいと聞いていたけれど、環境の変化に体が緊張して、全く食欲がわかなかった。

 大阪よりは気温は高くなく、しかし湿度が高く日差しが強い。日中に歩くと汗があとからあとから吹き出て水ばっかり飲んでしまう。だんだん汗がべたついきて気持ちが悪い。ドン・キホーテで買った制汗シートを使うものの追いつかない。汗っかきはこういう時に辛い。汗っかきと、乾燥肌、それから深夜の寂しがり屋はもうそれだけで損していると思う。

 

 

 数日台南で過ごしてもやっぱりまだ慣れなかった。食欲がわかなかったし、常に体のどこかがべたついて気持ちが悪い。帰りたいとは全く思わなかったけれど、「風呂につかりたいなあ」と心の底からそう思った。

 大学の寮には、シャワーしかない。街に出ても銭湯はない。車で数時間行けば温泉があるらしいけれど、それはちょっと遠すぎるし、そもそも毎日6時まで授業がある。

 台湾の人はお風呂に入るという習慣がないらしい。どうもサウナの方が人気なようで、台北で銭湯を探したらサウナばっかり見つかった。ブログをいくつか読んだ感じでは12時間2400円ぐらいの値段でサウナに入れるらしい。日本でいう健康ランドみたいなものだという。あれだけ「クールジャパン」とか言って海外に漫画とかアニメを送り込んでいるのだから「テルマエ・ロマエ」もがんがん輸出して海外にも銭湯の文化を根付かせるまでしてほしい。忍者とか海賊の漫画よりよっぽどビジネスチャンスがあるのではないだろうか。ヤマザキマリがプロヂュースした銭湯が数年後、台北あたりにオープンしたりするなら私は喜んで行こうと思う。ちなみに、これだけ書いておいて私は「テルマエ・ロマエ」を読んだことは一回もない。

 

 

 いろいろ考えた末、私はスイミングプールに行くことにした。さすがは南国、グーグルマップで検索するとプールがざくざく出てくるのだ。一回いくらで入れるかわからないけれどいくつかのプールはジャグジーがあるみたいだし、これは十分お風呂の代わりになりそうだ。

 そういうわけで大学の授業が終わって小籠包を食べた後、近くのプールに行くことにした。小籠包からプールまで約20分。夕暮れ時でも歩くとやっぱり疲れる。汗が出る。横をスクーターがビュンビュン過ぎていく。原付に34人が乗っかっても平気な顔でみんな走っている。町中スクーターだらけである。プールにはたくさん子供がいて、スイミングスクールを終えた子どもが駆け出してきた。そしてやっぱりスクーターに乗って親と帰っていった。

 

 

 入るのに勇気がいった。ここは違う言葉を話す違う国だ。どうやってコミュニケーションをとればいいのかわからない。受付の人は三人いて全員女の人だった。一人は生徒の親御さんと話していた。奥の方で残りの二人がしゃべっていた。私はささーっと気配を消しながら受付の前に立って料金を見る。学生は120元、一般は150元。そんなことが後ろの壁に書いてある。

 二つ心配事があった。一つは、学生料金で入るのに日本の大学の学生証は十分なのかということ。そしてもう一つ、私は水泳帽を持っていなかった。水泳帽を果たして借りられるのか、それとも買わないといけないのかわからなかった。後ろを振り返ると日本のプールのようにゴーグルや水泳帽を売っているのが見えたから、水泳帽がないというだけで入れないといけないということはなさそうだった。

 

 

 受付の前に立ってそれでいて何も話さない私は完全に不審者である。それでもやっとこさ勇気を出して、奥でしゃべっている一人と目を合わせた。英語で話しかけたから相手は面食らっていた。なんとか話をつけて120元で風呂に、いやプールに入れることになった。受付の女の人は多分学生で、シャワーの場所とかトイレの場所とか説明してくれたんだけど、私は聴きとることが出来なかった。結局子供を迎えに来ていたお母さんが流ちょうな英語で教えてくれた。スイミングキャップもプールサイドにあるのを借りることができた。誰かが使った後のものらしく少し濡れていた。

 

 

 荷物はみんなプールサイドの棚に置いていた。私もリュックを棚に置き、貴重品をロッカーに入れる。そして着替えてシャワーを浴びてプールサイドに出た。25メートルプールは7コースに分かれていて、そのうちの4コースでは色とりどりの水泳帽が先生に水泳を教えてもらっていた。奥の3コースは「遠泳」「自泳」(自力泳だったかも)と書かれた札がそれぞれあって、一般の人に開放されているみたいだった。「遠泳」のところでは中高年がゆっくりと泳いでいた。端っこの「自力泳」のところでは中学生くらいの年齢の子が何人か泳ぐ練習をしていた。彼らの中に私も混ざていった。実に5年ぶりのプールだった。とても気持ちがよかった。風呂の代わりにと思って来たけれど、結局のところ私は心ゆくまでプールを楽しんだのだ。

 

 

 実は、ここ数年泳ぎたいという気持ちがあった。ただ、いざ行こうとするとどうしても行けなかった。

 そもそも私は昔から泳ぐのが下手で水泳の授業が大嫌いだった。あの熱いプールサイドも、たいして仲良くもない友達と手をつないで「バディー!」と叫ぶのも嫌だった。水泳の日は何とかして休めないものかと真剣に考えた。小学校でも中学校でも勉強はよくできたのだけど唯一プールの授業だけは落ちこぼれだった。教室やグラウンドでは強がりを言ってごまかせたけど、臆病な自分を隠す場所は水の中にはなかった。

 8歳の時、やんちゃなN君にプールサイドから突き落とされたことがあった。水が怖かったから本当に溺れると思った。溺死という二文字が頭に浮かび、私はあっぷあっぷしながら何とか岸辺に這い上がった。そしてそのまま先生のところに直行し、N君のことをすぐさま言いつけた。学校のプールでそう簡単に溺れるわけがないことを知っている先生は軽くN君を叱っただけだった。もっと叱ってほしかった。

 その日は水泳の記録会だったのだけれど、私はクロールでも平泳ぎでもない独自の泳ぎ方を編み出していた。笛と共に泳ぎ始め、25メートルまでもうちょっとというところで息が苦しくなって足をつけた。顔を水から挙げてびっくりした。まだ12メートルしか泳いでなかった。

 後から知ったのだが、私の考案した泳ぎ方にはすでに「犬かき」という名前があった。

 

 泳げない私をみて、母と祖母は真剣に悩んでいたみたいだった。尼崎にいる時はわざわざ電車に乗って週に一回プールに通わされたし、西宮に越してからも事あるごとにプールに連れ出された。家族で自分だけ泳げないというのは本当につまらなかった。年下の従兄弟たちがすいすい泳ぐ中、私は伏し浮きの練習をしていた。祖母と母が一生懸命泳ぎ方を教えてくれた。しかし、泳げないという自分に腹が立つやら、親に教えてもらっているという構図が恥ずかしいやら、彼女たちに自分の泳ぎ方の欠点を指摘されてイライラするやら散々だった。そんな風に泳いでも体が硬くなって泳いでも泳いでも沈んでいくばかりだった。しまいには「教え方が悪い」とか「言い方がむかつく」とか言って教えてもらうのを嫌がった。

 家族で鬼ごっこをするときが一番つまらなかった。なんせ私が鬼になると次の人に鬼がわたるまでゆうに30分はかかるのだ。鬼になった時は心底泳げないことを呪ったし色々とむかついた。大抵だまし討ちみたいな方法で次の人にタッチするするのだった。私が鬼のまま1時間くらい経つとみんな面白くなくなって誰からともなく「さああがろうか」と言いだすのだった。プールから家に帰る車の後部座席で私はいつもふてくされていた。

 

 そんな訳で私はずっとずっとプールに苦手意識があって、プールは自分の場所じゃないと思っていた。最後にプールに入ったのは高校の授業の時で、さっきも書いたようにそれはもう5年も前のことだ。久しぶりにプールに入ってもやっぱり泳げないのは変わらなかった。けれど、台南では私が泳げないということなど誰も気にしない。もちろん誰も馬鹿にはしない。だから以前に入ったどのプールよりも水の中をのびのびと歩きまわることが出来た。水泳帽はぶかぶかで、しかも私は長髪だから泳ぐとすぐに帽子がどこかにいったけど、私はほとんどの時間を歩いて過ごしたから問題なかった。10数年ぶりにプールに入るのを楽しめた。

 

 

 結局のところ私は自分が何かを「できない」ということが許せなかったみたいだ。「できない」ことを他人に見透かされるのも指摘されるのも許せないのだ。だから日本にいる時はあんなにプールに入るのが辛かったのだ。私は水の中を歩いていた。隣の「遠泳」レーンでは私が歩くのと同じ速さでおばあさんが背泳ぎをしていた。

 外国にいると「できない」ことばかりである。勉強してもちょっとでは中国語を話せるようにはならないし、レストランのルールもよくわからない。失敗ばかりしてしまう。でも誰も私が「できない」ことにも「できる」ことにも注意を払わない。だから自意識過剰でそれでいてプライドを傷つけられたくない自分にとっては居心地が良いのだと思う。できることなら日本においてもそうありたいものだと思う。自分の心の持ち方で少しは変わるのだと思う。

 

 

 25メートルを15往復ぐらいして、ジャグジーに三回浸かって私は帰った。途中文房具屋さんによって、シールとペンを買った。ラッキーオールドサンの「さよならスカイライン」を聴いた。勉強でもしようかと思って寮の机に座ったけれど思った以上に疲れていてすぐ寝た。中国語の予習だけやった。

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