シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#19 マッチも擦れない男なんて

 

 化学の実験でガスバーナーを使うことになった。ガスバーナーに火をつけるにはマッチを擦らないといけなかった。「シゲ、マッチを擦って」と言われて箱からマッチ棒を出したのだけれど、どうしても勇気が出なかった。躊躇していると、女の子が「貸して」と言ってさっと火をつけ、「マッチも擦れない男なんて××じゃん」と言った。私はどうしようもない気持ちになった。落ち込んでいる自分を見せるのはプライドが許さなかったので、飄々とした風を装っていた。どう見えたかわからなかったけれど、せめてもの強がりだった。

 それは高校1年生の時で、秋か冬だった。辛かった夏休みの間高校をやめようと思い詰めていたけれど、当然やめられるはずもなくてでもクラスは全然面白くなくて、放課後に部活するためだけに学校に行っていた。そんなころだった。

 悲しかったのは、しんどくなった遠因を作った一人にマッチの彼女もいたということだ。何も傷ついていない顔をして何も話さないでいることが私なりの尊厳だった。

  知ってかしらずかI君が場を和ませる言葉を言ってくれて、それからみんな実験にとりかかった。私も煮えくり返る思いを抑えてビーカーに薬品を注ぎ、実験結果をシートに書いた。化学室は薬品の匂いが混じっていつも不思議な匂いがした。担任で化学を教えているヒゲ先生が各班を見回っていた。

 

 

 今なら、と思う。今日高校時代に戻って化学教室で実験をするなら、間違いなくなんの躊躇もなく火を起こせるだろう。「マッチも擦れない男なんて」と言われても言い返すことが出来たと思うし、傷つき方も軽かっただろう。そもそも学校をやめようとも思うほど落ち込まなかったと思う。もっと面白いことが言えたと思うし、面白いことをできたはずだ。部活ももっと賢いやり方でできたと思う。当時は視野も知見も狭かったし、なにより度胸がなかった。

 

 

 高校を卒業したとき、真っ先に襲ってきたのは「やり残した」という思いだった。仲の良いJと二人で同級生の名簿をみて「この人ともっと話したかった」とか「この人と一緒に○○をしたのが思い出だなー」とか話したりした。毎日同じ学校に通って、同じ先生の授業を受けて、同じ空間で同じ空気の中に生きていたのに、卒業するともう簡単には会えなくなるのだ。高校時代を通じてほぼ常に一人で突っ張っていた自分でも、あるいは突っ張っていたからこそ、やはり卒業直後はセンチメンタルだった。そんな私をみてJはどういう風に思っていたのだろう。

 いつでも話せる存在だったのに、みんなそれぞれの道を行くことになって簡単には会えなくなる。名簿を見て、私は話足りなかったこと、やり残したことを考えていた。話せたかもしれない面白いことや結べたかもしれない関係を自分は失ってしまったんじゃないかと思うと悲しかった。ただの名簿が輝きを放って見えた。当たり前の日常が日常でなくなって、みんなは次のステップに進んでいる最中なのに、私とJはカフェに入っていつものようにグダグダしていた。みんなに置いて行かれた気がしていた。

 

 

 今高校時代に戻れたら面白いことをできたし、なんならクラスの中心人物になれた。と半ば真剣に思っているが、一方では現在の自分が当時の自分と本質的にはそうそう変わっていないとも思う。そりゃマッチは擦れるようになったし、大学にも入れた。ただ、いろんなことを知ったというだけで本質的には同じだとも思うのだ。簡単に周囲の言葉に傷つくし、些細なことで何もできなくなる。この文章だってそうだ。同じ思い出を何度も何度も反芻しているだけだ。高校の時、自分の書いた日記を読んで勝手にセンチメンタルになっていたのと同じだ。自分でもダサいなあと思う。

 

 

 卒業から数えて今年は4年目である。就活や留学、院試の準備に忙しい人もいるようだ。今の時代ツイッターがあるから何人かの同級生の動向は入ってくるけれど、みんななんだか充実しているように見える。SNSという窓はなんだか焦ってしまう。自分だけ何もできず何も変われないままで同じ場所をぐるぐる回っている。

 就活は大変そうだ。大学4回生の人たちはツイッターでも就活のことを話すことが多くなってきた。私は就活している自分も働いている自分も全く想像できない。

 

 マッチの彼女も4回生である。就活は彼女にとってもやはり大変なのだろうか。また話すことがあったら話したい。元気にしているかな。

f:id:shige_taro:20180704062130j:image