シゲブログ ~避役的放浪記~

日々の些細な出来事、昔の思い出を書いていきます

#13 紅鮭漂流記

 

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   長い間母親と二人で暮らしていた。私が思うに母の悪いところは二つある。

 一つ目は時々現れる突拍子もない一言である。一度、家族全員としゃべっているテーブルで「あげまん」という単語を発したことがあった。びっくりした。みんな唖然としていて、私だけが爆笑していた。おばあちゃんが大真面目な顔でいさめていた。ちなみに母は「あげまん」の意味を正しく理解していなかった。

  そういうエピソードは母にはたくさんある。どれも笑い話だ。

 もう一つだめだと思うのは、買いだめした肉と魚類を冷凍庫に入れてしまうことである。ベーコン、ソーセージといった加工肉はならまだわかる。ただ、ふるさと納税で送ってもらったようなおいしい肉を食べきれずに冷凍してしまうのはやめてほしい。冷凍はお肉のおいしさを奪ってしまう気がする。

 

 この前冷凍庫の中身を整理してびっくりした。賞味期限をゆうに3年も過ぎた紅鮭が出てきたのだ。本当に驚いた。肉類は定期的にチェックして食べていたのだが、魚はあまりチェックしていなかった。

 冷蔵庫の奥から出てきたのは、真空パックに入ったロシア産の紅鮭だった。賞味期限は2014年の1122日だった。

 

 全く関係ないのだが、1122日はケネディが暗殺された日である。1963年のダラスでパレード中の車に乗っていたケネディは何者かに暗殺されたのだ。私は高校2年生だった2013年の11月は、暗殺からちょうど50年の節目だったので、暗殺を扱ったドキュメンタリー番組などが時々放送されていた。たしか東京オリンピックの開催が決まったころだと思う。先輩が受験勉強に必死になっているのを見て、高校生活の残り時間を数え始めたような私だった。 私は高校2年の時点ではまだ少し勉強していた。しかし3年になると受験勉強はおろか学校にもろくに行きもしない人間になっていた。紅鮭の賞味期限が切れた2014年の11月にはもうほとんど学校に行っていなかった気がする。

 

 しかし本当のところはどうだろう? 感覚と実際は違ったりもする。休んでいたと思うだけで、実際は案外学校に行っていたのかもしれない。でももう忘れてしまった。

 

 たしか体育祭が11月にあって、その後の1週間はまるっきり学校に行かなかったと思う。

 その頃は勉強から逃げるためにいろいろな本を読んでいた。現代文の先生に教えてもらった山田詠美が気に入って「ぼくは勉強ができない」を読んだのもこのころだった。衝撃だった。久しぶりに学校に行って、文芸部のJに「この本、おれのバイボーにするわ」と宣言したことを覚えている。大学に入ってからも彼女の本は何冊か買った。どれも面白かった。現代文の先生には、この前、偶然に駅前で会った時に感謝を伝えた。

 キングの「スタンドバイミー」もこの時期何回も読んだ。映画よりも面白くて、時々エッセイのように出てくる人生について書いている文章がとてもよかった。三浦しをんにも本格的にはまって「君はポラリス」や「秘密の花園」を夢中で読んだ。「秘密の花園」は女子高に通う三人の高校生の話なのだけど、物語の根底には思春期特有の暗い悩みや叫びがうごめいていた。進路に迷って何もやる気が出ずに落ち込んでいた私は、暗い内容に親近感を感じた。

 映画もたくさん見た。ベン・スティラーが監督と主演を務めた「LIFE」もよかった。平凡なベン・スティラーが世界を飛び回う映画だ。映像がダイナミックでかっこよくて、大学生になったら旅をしたいと思って旅行のブログを読み漁っていたこともあった。大学にまだ行きもせず、受験勉強もろくにしてないのにである。

 本当になにも勉強をしなかった。大昔に母が買って、今では誰も読んでいない「レ・ミゼラブル」(全5巻)も、とうとう本棚の奥から引っ張り出して読んだ。そのころはやっていたスウェーデンの「ミレニアム」(全6巻)もブックオフで買って一息に読んだ。映画館では「ブルージャスミン」や「FLANK」を観た。映画と本だけが友達のような気がしていた。でもそれはフェイクで、本当は映画も本も麻薬のようなものだった。少なからず自覚していた。現実から目をどれだけそむけてもセンター試験と卒業は刻一刻と近づいていた。

 

 18歳だった。普通なら自分の人生を選ばないといけない年齢だった。

 でも私は将来をまだ選びたくなかった。何にも染まらずに無限の可能性を持ったままで生きたかった。

 

 落ち着いて考えれば、勉強する理由も見いだせたはずだった。でも働くのは嫌だったし、かといって勉強もいやだった。あまちゃんだった。

 

 2014年の11月はそんな感じだったはずだ。一日一日、なにをしたか覚えているわけではないけれど何も決断ができずにただただ映画や本を読んで、感性のシャワーを浴びていた。あるいは浴びていると思っていた。やりたいことがあるのに、それをどうやってやればいのかわからなかった。自分のやりたいことと大学がどう関係するのかも分からなかった。辛かったけれどそれは自分の怠慢だった。

 

 

 そんな日々の思い出をたった一尾の紅鮭が思い出させてくれた。私はすこしセンチメンタルになった。過去を振り返りながら、私は水の流れの中を漂っている気分になった。過去と現在をつなぐ大河を紅鮭の背に乗ってさかのぼってゆくのだ。思い出の切れ端を拾いながら。

 

 紅鮭は3年も待たされたのである。暗い冷蔵庫の中で紅鮭は何を思っただろう。生まれ故郷の川だろうか? 水揚げされたロシアの湊だろうか? なんにせよ暗い冷蔵庫で過ごす時間は苦痛だったに違いない。

 鮭が冷蔵庫にいる間、私の周りでも時間は過ぎていった。私は大学に入り母とは離れて暮らすようになった。祖母も遠くに行ってしまった。私はいくつかの失望とあきらめ、怒り、そして数えきれない小さな幸せを経験した。

 

 

 紅鮭は、発見されたその夜に和風リゾットとなった。しめじやニンジンと合わせて酒粕を入れるとおいしかった。実家に帰るたびにちょっとずつ料理をして、冷凍庫の肉を減らしていこう。