シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#1林芙美子との出会い

#1林芙美子との出会い

 

林芙美子に出会ったのは浪人時代である。

夏休みどうしても寝れなくて毎晩毎晩ラジオを聴きながら勉強をしていた。勉強をしているといってもそれはもちろん形だけで、結局はぼーっとしたり、あごのところにちょろちょろと顔を出し始めたひげを抜いたりして時間をつぶしていた。

ラジオは大体FM802を聴いていた。火曜日の夜中のMidnight Garageという番組が好きだった。土井コマキさんのこの番組では、当時高校生で売り出し中だったシンリズムがよく取り上げられていた。それから京都のバンドHomecomingsもよくかけられていて、すぐに僕のお気に入りになった。フラカンの深夜高速もこの番組を通じて知った。

 

その日は火曜日じゃなかった。音楽にも飽きてきていた。ぼくはラジオのつまみを回して他の面白そうな番組を探した。(その頃の僕はガラケーで、スマホアプリradikoはなかった。ウォークマンFM機能でもなく、老人がよく使っているポケットサイズのラジオを机の上に置いて聴いていた。)

たまたま聴こえてきたのが、放送大学だった。「林芙美子~苦労の果ての文学~」みたいな題の講座だった。(「放浪の果ての文学」だったかもしれない)チューニングがうまくあった時、まさに林芙美子の小説の朗読が始まるところだった。

「晩菊、林芙美子」。朗読者が読んだ。

 

「晩菊」は晩年の作品である。

元赤坂の芸者だったきんが、かつての恋人田部の来訪に心を躍らせるのだが、その田部の目的は金の無心である。二人がすれ違う悲しさが、筆者の冷たい筆によってありありと描きだされる。

25ページほどの短編なのでおそらく45分ほどで朗読は終わったと思う。しかし、その音読の世界に随分と飲み込まれてしまって体感的にはとてもながい時間が経ったように感じた。

日常で感じる、分かり合えないという悲しみがとてもよく表現されていた。筆者の視線の冷たさにヒリヒリした。なんてうまい作家なのだろうと思った。その巧さと彼女が成功者であることに嫉妬した。

 

部屋の布団の上に寝ころんで天井の蛍光灯を見上げる。「今日もまた勉強できなかったなあ」と思った。同時にどうしてこんな作家の名前を今まで知らなかったのか不思議だった。中学でも高校でも林芙美子の名前なぞつゆも聞かされなかった。しかし国語便覧には彼女の名は載っていた。僕はこの作家の名前を覚えておこうと思った。そしてメモ帳の「浪人が終わったら読む本のリスト」に「放浪記」の名を書き足した。

 

次の回の講義で林芙美子の作家としての背景や、晩菊の解説などを聴いた。彼女の下積み時代の苦労や、男女関係の失敗、家庭環境。そういったものが浪人である自分の苦労とリンクして、なんだか元気が出た。

 

当時の僕は、よりどころとなるものを探すことに必死だった。そうしないと不安で不安でしょうがなかった。だから彼女の苦労を自分の境遇や、人間関係の失敗にダブらせて考えるようにした。自分の人生を成功者である芙美子の人生になぞらえて考えることで自分も成功できるんじゃないかと思った。何か救われるんじゃないかと思った。そうでもしないとやってられなかった。

成功したかった。ひとかどの人物になって尊敬されたかった。

 

その時から、林芙美子の名前は何というか他人とは思えないものになった。

(つづく)