シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#66 わかってたまるか

 

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 LINEを開くのがおっくうである。先週ついに未読件数が3桁を越えた。異常事態だ。WHOの研究によればSNSの未読件数は精神の疲労度を測る指標の一つとされている。手元のマニュアルによると未読159という数値は「レベル4:不要不急の外出を避けるべし」に相当する。週末は家でゆっくりすることにしよう。

 LINEが大嫌いである。メールも嫌いだ。本当に言いたいことが伝わらない。電話や対面だと言い訳もできるし、表情とか声色とか言語以外のコミュニケーションがあるので言いたいことをより伝えられる。でも時間がない。それは私が悪いし、でも資本主義社会も悪いと思う。革命万歳である。

 文章でのコミュニケーションで特に困るのは小説や音楽、映画の感想を言い合う時。これ以上にないほどモヤモヤする。頭をフル回転させて作った文面も、こちらの真意が伝わるとはおおよそ思えないからだ。誰かと知り合った時、私はその人の好きな音楽や映画を知りたいと思う。その人が好きな本や映画は何か、学生時代にはまったミュージシャンは誰か。パンクなのかポップなのか。そういう情報があると彼や彼女のことがより深く複眼的に知れると思う。人となりが立体的に見えてくるのだ。「そのバンドとあの歌手が好きなのなら、これも好きなんじゃない?」なんて自分の知っている音楽をおすすめしたくなる。そういう時、頭の中で何かと何かが繫がった気がしてとても気持ちいい。その人がその音楽を気に入ってくれたりした時には、不思議な幸福感に包まれる。

 困ることに、音楽の好みや映画に抱いた印象というのは多分に主観的である。主観的な感想は、単純なわかりやすいものでない限り共感しにくい。主観的な感想が先行して混沌とした状況に陥るのを避けるために批評家という人達がいて、彼らは芸術を「客観的に」切り取ろうと努力するのだけれどそれもやはり主観の枠を外れることはないと思う。結局のところ「好き」「嫌い」「どちらでもない」の3点に収まるように思う。

 結局は批評も主観の枠を抜け出せない。でもそれをどれだけ客観的に語れるのかというのが批評家の腕の見せ所だと思う。もちろん批評の先に芸術の方向性を示すのが究極の目標だと思うけれど、読者が付いてこなければ意味がない。だからまずできるだけ多くの人が少しでも理解できるように解説するのが大事だと思う。「批評家」という肩書を偉そうにくっつけているくせに、理由も説明しないで映画をけなす人が時々いる。誠実であるべき職業の人に誠実さが見られないのはちょっと笑える。もしかしたら尖っているのがかっこいいと思っているのかもしれない。

 自分の気持ちを相手に送って、でもそれは理解されない。うまく伝わらない。自分では面白いと思うギャグも小文字のWだけじゃどんな反応かわからない。自分が考えていることが100%伝わるように長文を送ったこともあった。ひとつひとつ丁寧に説明しても空回りしているようにしか思えなかった。紆余曲折があってようやく私はわかりやすい言葉を選ぶのが無難だと気づいた。まず基本は「はい」と「いいえ」。それから「了解」。エクスクラメーションマーク「!」を2個重ねると強調表現になって意思が明快である。チャットに込めるメッセージをYesならYesNoならNoで一色に染める事。まどろっこしい「………」や「、、、」などを使うと相手は何を考えているのかわからないだろうし、不信感さえ抱きかねない。優柔不断で頼りない印象を与えてしまう。

「でもさ」と心の中でやっぱり叫んでしまう。「人生ってそう単純なものかよ! オラオラよ!」
「いろんなことをやいろんな人の気持ちを考えて、結局
YesYesと言い切れない、NoNoと言い切れないのが人生じゃない!!

 

 ある映画について私が感想を送る。

「教えてくれた映画を観た。エンディングがよかったね」

「分かる。確かにあのエンディングは○○だよね!」

相手の返信にはやんわりとした同意が書いてある。その返信を見ながら私は「いやあの素晴らしいエンディングを○○という軽い言葉で済まさないでくれよ」と思っている。○○という言葉じゃ収まらない悲しみと諦めと、でもその中に確かにある一つの煌めきと、そういうのがいくつも合わさっているのがあのエンディングじゃんか。それを「○○」一言だけで終わらせるなよ。

 狂っていると自分でも思う。どう言い訳してもへそが曲がった天邪鬼だ。悲しすぎる。自分にとって大事な作品であればあるほど、相手の評価に注文をつけたくなるのだ。もちろん上っ面では「いろんな意見があってしかるべき」と考えている風を装っている。「確かに。あのエンディング、○○で最高に△△だわ」なんて返す。実際に反駁してしまうのはちょっとダサい。

 チャットやSNSを使い始めた時、インターネットにいる人々と仲良くなれるにちがいないと思ってワクワクした。だが現実は違った。知れば知るほどわからなくなる。距離は遠くなる。ツイートを読めばその人のことを「理解した」気になる。その人の呟く苦悩に勝手に共感して、この人なら自分の悩みもわかってくれるのかもしれないなんて思う。でも全部まやかしで、本当のところは何一つわからないままなのだ。SNSの投稿やプロフは想像を掻き立てるけど、想像は主観であって客観ではない。そしてオンラインで見せる姿はその人の一面に過ぎない。もちろん頭ではわかる。でもその人と自分をつなぐチャンネルはSNSしかなかったりすると妄想がどんどん広がっていく。最悪の場合、SNSだけでその人のことを決めつけてしまうようになる。誰々はツイートで安全保障問題に言及していたからこっちサイドの人間なのだろうとか。あの歌手は味方だと思っていたのに、あの政治家を擁護するとは裏切られた気分だとか。勝手に身近な人のように感じて、勝手に喜怒哀楽するグロテスクな人たち。私も別に例外ではないのだ。

 

 「どうせ自分の気持ちなんて伝わらないのだ」という冷めた気持ちで送信ボタンを押す。「おまえなんかにおれの気持ちがわかってたまるかよ」とも思う。それはある種の怒りであり、「お願いだから俺の気持ちをわかってくれよ!」という懇願の裏返しでもある。

 人間は決してわかり合うことができない。そう諦めているのに、わかり合いたい、わかってほしいと思ってしまう矛盾。わかってほしいからツイッターで呟いてしまうし、今日もこうしてブログを書いている。客観的に見ても、ちょっと痛々しい。

 そのくせツイートやブログを読んだ人が「シゲってこういうことを考えてるんでしょ」なんて断定的に言ってきた時には一瞬でいきり立ってしまう。「お前にわかってたまるかよ!! お前なんかにわかるもんかよ」

 逆張りすることを、尖っていることをかっこいいと思っているイタいやつがここにもいる。

 

 

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〈付録『地下室の手記』〉

 1月に40ページだけ読んでやめてしまった本です。パラパラめくるだけでも難しい内容が目について、なかなか読むことができませんでした。ただなんとなく書き写すと意味がある気がするし、私は主人公を反面教師にしないといけない気がします。とにかくこれを機に読み進めたいと思います。

 いくつか訳はあるみたいですが、手元にあるものは新潮社から昭和四十四年に出ている江川卓の訳の五十七刷です。プロ野球選手と関係はないです。

 

68

第二部《ぼた雪にちなんで》1

 

いうまでもなく、ぼくは役所の同僚と見れば、だれかれの別なく一様に憎み、しかも軽蔑していたが、と同時に、どこか怖れているふうでもあった。どうかすると、ふいに彼らが自分より一段上の人間に見えて、あがめだすこともあった。しかもぼくの場合、軽蔑するにしろ、あがめるにしろ、それが何かこうだしぬけにそうなってしまうのだった。知性をもった一人前の人間なら、自分自身に対する厳格さをつらぬき、ある場合には自分を憎まんばかりに軽蔑するのでなければ、虚栄心の強い人間にはなりえないはずである。しかしぼくは、相手を軽蔑するにしろ、あがめるにしろ、だれと会ってもほとんど例外なく、目を伏せてしまったものだった。実験までしてみたこともある。いま向い合っている人間の視線を最後まで受けとめられるだろうか、というわけだ。だが、いつも先に目を伏せてしまうのは、ぼくのほうだった。これはぼくを気が狂いそうなほど苦しめた。

 

#65 夜の国道

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〈詩のコーナー〉

夜の国道

 

走る

黒いカーテンはとうにおり

向うの山影も闇の中

うっとりしている原付の上

 

走る

世界を抱きしめながら

世界に抱きしめられながら

全てが洗い流されてゆく

 

走る

うどん牛丼ファストフード

マンガ喫茶とラブホテルも

色つきの光が過ぎていく

 

走る

世界の一部になった気がする

過去を許し明日だけ見て

駆け抜けていくやさしいイメージ

 

走る

許し許される一日の最後

宗教なんて知らないけど

全て許されるこの時だけ

私は信仰を持っている

 

走る

日常にぽっかりと空いた穴

思い出はいつも甘くて美しくて

この夜がずっと続けばいいのに

 

 

【ひとこと】

帰りの電車を待つプラットホームとか、草むらの虫に耳を澄ませる夜とか、別に夜の国道でなくともそんな瞬間は誰にでもあるのかなと思います。バイクを運転しながら楽しかった時間を思い出しながら幸福感に浸ることがよくあって、自分でも大丈夫かなと心配になります。誰かが歌った歌とか笑う顔とか弾んだ会話とかそういうのが回転ずしのネタみたいに延々頭の中を巡って止まりません。頭の中だけで過去に戻れること、どこにでもいけることが幸せなのかはよくわかりません。

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〈付録『地下室の手記』〉

 1月に40ページだけ読んでやめてしまった本です。パラパラめくるだけでも難しい内容が目について、なかなか読むことができませんでした。ただなんとなく書き写すと意味がある気がするし、私は主人公を反面教師にしないといけない気がします。とにかくこれを機に読み進めたいと思います。

 いくつか訳はあるみたいですが、手元にあるものは新潮社から昭和四十四年に出ている江川卓の訳の五十七刷です。あ、プロ野球選手と関係はないです。

 

58

第一部《地下室》11

 

 結局のところ、諸君、何もしないのがいちばんいいのだ! 意識的な惰性がいちばん! だから、地下室万歳! というわけである。ぼくは正常な人間を見ると、腸が煮えくり返るような羨望を感ずると言ったけれど、現にぼくが目にしているような状態のままでは、正常な人間になりたいとはつゆ思わない(そのくせ、ぼくは彼らを羨むことをやめるわけではない。いや、いや、地下室のほうがすくなくとも有利なのだ!)。そこでなら、すくなくとも………えい! ここまできて、まだ嘘をつこうというのか! 嘘というのは、いちばんよいのはけっして地下室ではなくて、ぼくが渇望していながら、けっして見出せない何か別のものだということを二二が四ほどにはっきり知っているからだ! 地下室なんぞ糞くらえ!

 いまの場合でいえば、せめてこんなことでもまだましだと思う、——つまり、それは、ぼくがいま書いたことのなかで、何かひとつでもいい、自分で信ずることができたら、ということである。諸君、誓っていうが、ぼくはいま書きなぐったことを、一言も、ほんとうに一言も信じていないのだ! つまり、信じることは信じているのかもしれないが、それと同時に、どうしたわけか、自分がなんともぶざまな嘘をついているような気持をふっきれないのだ。 

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#64 全部

 

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 〈詩のコーナー〉

全部

私、頭の中ではなんだって言える

空想も妄想も発想は自由

そう誰かも言ってたわ

 

私の中でふくらんだあなたは

やっぱり本当のあなたとは違うんだよね?

 

でも本当のあなたって?

なんて面倒なことまた考えてる

底なしの沼がここにもあそこにも

 

「あなたあの子の何を知ってるの?」

昨日言われて気がついた

私、あなたのことなにも知らない

 

私がみているあなたも

一枚めくればどんな顔?

帰り道のあなた

食事する時のあなた

 

知って幸せになるなんて

そんなこともう思いもしないけど

もっともっともっともっと

全部つかまえるまで心は乾いたまま

教えてよあなたのこと

あなたのこと全部知りたいよ

 

 

【ひとこと】

 全部。強いことばですね。「百人一首全部暗記した!」とか「宿題全部やった!」とかそういうこと言えてた時代が懐かしいです。

「はい、言われていた仕事全部やりました」なんて上司に言える機会がこの先の人生にあるとは思えないです。せいぜい「はい、全部食べました」とか「荻上直子の映画なら全部観ました」とかでしょう。その荻上作品だって映画なら8本しかないけど、ドラマもいれると結構な量があるし、コアなファンしか知らない書籍とか流通が異常に少ない映像とかもあるかもしれない。学生時代に撮っていたものとか。

 自分のことでさえ全部を知らないのに、日々発見の連続なのに、他人のことを知るなんて到底無理なことのように思えます。でも知りたいっていう好奇心はそれこそ底なしで、「その人の全部」なんて空しい響きしか持たないのに全部知りたいなんて考えてしまいます。その知識欲はちょっと征服欲にも似ています。謙虚さが足りない人はすぐに「あなた、こういうこと考えているんでしょう。お見通しよ」とか「言わなくてもあなたの意見はわかっていますよ」といったマウンティングを始めてしまいます。 

「知りたい」と思うなら、勘違いしないように知ったかぶりしないように気をつけないといけません。でもこれはとても難しい。何も考えずに「ふつうに」話すのが正解なんですけどもうその「ふつう」がどんな状態なのかもわからなくなって、結局何も言わないのが正解なんじゃないかって。むしろもう「知りたい」とか軽はずみに思わない方がいいんじゃないか、そっちの方が幸せなんじゃないかとも思います。でも『1984』とか『華氏451』の世界を考えると「知りたい」っていう感情を捨てるのは危険だなあとも思うし、もうよくわかりません。

 ちなみに荻上直子の映画で一番好きなのは『レンタネコ』です。日本家屋で市川実日子がだらだらしているのがめちゃくちゃいいです。田中圭も出ています。

 

 

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〈付録『地下室の手記』〉

 1月に40ページだけ読んでやめてしまった本です。パラパラめくるだけでも難しい内容が目について、なかなか読むことができませんでした。ただなんとなく書き写すと意味がある気がするし、主人公を反面教師にしないといけない気もしますし、とにかくこれを機に読み進めたいと思います。

 いくつか訳はあるみたいですが、手元にあるものは新潮社から昭和四十四年に出た江川卓の訳の五十七刷です。あ、プロ野球選手と関係はないです。

 

p8 第一部《地下室》1

ぼくは意地悪どころか、結局、何物にもなれなかった——意地悪にも、お人好しにも、卑劣漢にも、正直者にも、英雄にも、虫けらにも。かくていま、ぼくは自分の片隅に引きこもって、残された人生を生きながら、およそ愚にもつかないひねくれた気休めに、わずかに刺戟を見出している、——賢い人間が本気で何者かになれることなどできはしない、何かになれるのは馬鹿だけだ、などと。さよう、十九世紀の賢い人間は、どちらかといえば無性格な存在であるべきで、道義的にもその義務を負っているし、一方、性格を持った人間、つまり活動家は、どちらかといえば愚鈍な性格であるべきなのだ。これは四十年来のぼくの持論である。ぼくはいま四十歳だが、四十年といえば、これは人間の全生涯だ。老齢もいいところだ四十年以上も生きのびるなんて、みっともないことだし、俗悪で、不道徳だ! だれが四十歳以上まで生きているか、ひとつ正直に、うそいつわりなく答えてみるがいい。ぼくに言わせれば、生きのびているのは、馬鹿と、ならず者だけである。

 

#63 23歳

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 〈詩のコーナー〉

23歳

もうなんの感動もないなんて

うそぶいても強がっても

本当はずっと意識していた

 

23歳は大人だと思っていたのに

私はまだまだ子供で

彼らのようなはっきりとした輪郭を持たない

 

それがあなたの魅力。

なんて言われてもピンとこない

また馬鹿にされたと思うだけ

 

欲しいものがなくなって

なりたいものもなくなった

生きている実感さえ薄れてきて

なのに食欲はわく

 

若いといってほめる人

若いからと見下す人

あんたらみたいにゃなりたかないと

それだけは確かに言える

 

分別がつく年齢

自覚持つべき年齢

なんて言われる日々がもうそこに迫る

 

クソ食らえとは思うけど

彼らともうまくやらないといけない

そうしないと死んでしまうから

 

今怖いのはなにも見えないこと

16歳の夏はまだ

いずれわかると思ってた

 

今日23歳になったけれど

未だになにもわからない

糸口さえもつかめない

 

自動車免許をとったとか

コーヒーをブラックで飲めるとか

それなら簡単だけど

でも探しているのはそれじゃない

 

積み上げて来た年月が

私を作ったのはわかるけど

確かなものはどこにもなくて

だから今日もかき集めて残そうとしている

 

 

【ひとこと】

「うそぶく」って「嘯く」って書くんですね。ちゃんと意識して読んだの初めてです。

ちょっとしんどくて昨日も今日も最悪な気分だったんですけど、表現するタイミングなのかなと思って深夜のマクドナルドで書きました。

最近ヒップホップを聴き始めたのですが、やはり自分の想い発信していく人たちってかっこいいですね。自分の言葉をなかなかうまく言えないのでフリースタイルダンジョンとかすごく憧れますね。

 

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〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用していました。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していましたが、7月になったので一旦今回の投稿で『ニ十歳の原点』は最後にします。

 

六月二十二日

 旅に出よう

 テントとシュラフの入ったザックをしょい

 ポケットには一箱の煙草と笛をもち

 旅に出よう

 

 出発の日は雨がよい

 霧のようにやわらかい春の雨の日がよい

 萌え出でた若芽がしっとりとぬれながら 

 

#62 振動

 

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 動悸が止まらなかったのがだんだん落ち着いてきた。惰性のままにスマホの画面を延々見ていた。そうしないとずっと考え込んでしまいそうだった。サマープログラムの面接。私は自分の怠惰と幼稚、人間としての未熟さを思い知って家路についていた。たかが面接じゃないか、なんて笑えるような精神状態ではなくて、ただただ落ち込んでいた。失敗したのは明らかで面接官に言われた言葉を延々と頭の中で繰り返していた。どう答えたらよかったのか、何回考えてもわからなくて焦っていた。簡単な質問に答えられなかった。そんな自分はひどく無価値で、必要のない人間に思えた。求められているのにうまく答えられなかった不甲斐なさ。そんなものを一緒くたに抱えて泣きそうになりながら電車に乗っていた。ぼーっとスマホの画面を見つめるのをやめたら涙がこぼれてしまいそうだった。いまはサマープログラムだからいいけれど、これがもし就活だったならすぐに病んでしまうのだろうなと思った。ぞっとした。

 スマホを片手に十三駅で乗り換える。別に何かをするわけでもなくスマホを見つめている。お気に入りのブログが更新されているかどうか、ツイッターには今どんな人がいるのか。メールをチェックして、ラインもチェックした。苦手なくせに、別に送らなくてもいいようなラインを数人に送った。夕方の跨線橋は仕事帰りの人で混雑していて、学生服姿もちらほらいた。神戸行き1番線は久しぶりで、大学に入る前は毎日使っていたのに変な感覚だった。部活後にくたくたになって電車を待っていたことや、塾帰りの遅い時間にベンチで寝そうになっていた日々を思い出し、高校生に戻った気がした。その日のホームにも、かつての私のように日焼けした学生がいて手には大きな象印を持っていた。夏服だった。

 リュックサックを下すのがめんどくさいなあなんて考えている間に、たくさん乗ってきて、下すに下せなくなった。申し訳ないな、と思いながらスマホを触っていた。面接官に言われた言葉がどうどう巡りしてなんて返したらよかったのか考えていた。でも面接で本当の自分をさらけ出すのは怖くて、きれいな言葉で自分を塗り固めようとしていた。つらかった。何が正解かもわからないし、何を誇ればいいかもわからない。就活ってこんな感じなのかな。もしそうだとしたらまっぴらだな。抽象的な質問も、自分語りも、全然本質的なものとは思えなかった。私を見て、面接官も完全にあきらめた様子だった。何も発言しない時間が続いて、部屋の中に鉛のような空気が流れた。面接官二人のうち、今まで何も喋らずメモを取るだけだった面接官が業を煮やしたように話し始めた。あきらかにいらいらしていたし、言葉もぶっきらぼうだった。その人は「君の人間がわからない」というようなことを言った。私はその頃には真っ白になっていた。同時に「こんなこと言われるのは、もう駄目なんだろうな」と冷静に考えてもいた。「その場所に行って文化や考えを知りたいみたいだけど、それって旅行でもいいんじゃないの? わざわざプログラムに参加する意味あるの?」みたいな質問もされた。そんなことを言われたら「確かに旅行でもいいかなあ」って思ってしまって言葉に詰まる。その頃にはもう面接を続けるのが苦痛になっていて「もう帰ります!」とヒステリックに宣言してこの部屋から出たらどんなにすっきりするだろうかなんて考えていた。「お前らなんかにおれのことが解ってたまるかよ」

 

 サマープログラムの専攻面接でさえこんなにしんどいのだ。働く会社を探すのはもっときびしいに違いない。就職活動に疲れた友人たちを見ると、自分が耐えられるとは思えなかった。リクルートスーツを着て大学に来ている人たち、インターンでわざわざ東京に行くような人たちに尊敬の念が湧いた。

 神戸方面に向かう列車が動き出すと、つり革が振動した。車体のブルブルという揺れが手に伝わった。つり革なのにはっきりと振動が伝わっていて驚いた。今までに触ったどのつり革よりも振動がはっきりとしている気がした。私はみんなが気づいているかどうか知りたくて周囲を見渡したけれど、だれも気付いていないようだった。たぶん久しぶりに電車に乗ったから振動を大きく感じただけなのだろう。こんなのみんなにとっては当たり前のことでしかないのだろう。そう気づいて我に返った。私を取り巻いていた靄が一瞬だけ晴れて、自分自身を客観的に見つめることが出来た。やらないといけないことはいくつもあった。

 

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〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。

 

六月十九日 雨

ティファニー」にて 

  一切の人間はもういらない

  人間関係はいらない

  この言葉は 私のものだ

  すべてのやつを忘却せよ

  どんな人間にも 私の深部に立ち入らせてはならない

  うすく表面だけの 付きあいをせよ

 

  一本の煙草と このコーヒーの熱い湯気だけが

  今の唯一の私の友

  人間を信じてはならぬ

  

  己れ自身を唯一の信じるものとせよ

  人間に対しては沈黙あるのみ  

 

#61 ボールが記憶を

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 軟球を拾った。野球ボール。Aという文字が書かれているからこれがA球という種類なんだろうと思った。私の小学校は校区内に少年野球のチームが2つもあるようなところで回りの友達も毎日野球をしている環境だった。よく寄せてもらって放課後に野球をして遊んでいた。大学のグラウンドで拾ったボールで一人で遊んでいたらそんな昔の記憶がサイダーの泡みたいに出て来た。ダイビングキャッチをするプロ野球選手にあこがれて、普通に獲れるフライにわざと飛び込んだりしていた。友達が野球をやっている公園を探して校区内を自転車で巡っていた。休み時間に手打ち野球する友達を見るのが楽しかった。誰もいない午後の大学。グラウンドで独りボールを投げてはキャッチして、それを繰り返していた。6月になるともう暑い。

 

 その日から何となくボールを持つようになった。原付のドリンクホルダーに入れて毎日一緒に学校に行くようになった。駐輪場でバイクを停めてボールを手に持って、教室へと歩く。授業の後で友達とキャッチボールをしたり、カーブの握りを教えてもらったりする。一人の時はコンクリートにボールを投げ続けている。 もうすぐ23歳になる私はカベ当てをしながら考えている。尼崎の公営住宅。誰もいない申し訳程度の公園でも独りでカベ当てをしていたっけ。トイザらスで買った300円ちょっとのグローブを左手にはめてボールを延々と壁に向かって投げていた。本当に誰もいない公園で、コンクリートの白と誰もいないすべり台のプラスチックの赤がやけに記憶に残っている。その時に使っていたペコペコのボールは西宮に越した時にも持ってきたけど、段々ゴムが劣化してついに弾まないようになって捨てられてしまった。

 

 週末、おじいちゃん家に来た。昔おじいちゃんとキャッチボールした庭ももうずいぶんと小さくなってしまった。しゃがんだおじいちゃんをキャッチャーに見立てて投げ込んでいた距離も、今歩くと15歩しかなかった。びっくりした。昨日の雨ですこし水のたまった庭で昔と同じようにボールを宙に投げてはキャッチするのを繰り返していた。たまにボールを投げるのに失敗して梅の葉や実を落としてしまったりした。茂みに入ってしまったボールを探して草むらの中に目を凝らすのもあの頃の私と同じだった。何度も繰り返した動きを、10年ぶりくらいにやった。恐る恐る草の中に手を入れる時のドキドキする瞬間も、ボールを見つけ出した時のほっとした気持ちも、覚えがあった。どうってことない記憶ばかりだけれど、白いボールがあったというだけでいろんなことを思い出した。

 

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 中学の友達とやる野球はテニスボールだった。小学校高学年からずっと軟球だったから正直退屈だった。テニスボールだとバットに当たった時の感触が薄いし、ボールも早く投げられないのだ。それでもみんなでやる野球はまあ面白くて、次第に軟球は私の手から離れて行った。

 高校の時久しぶりにグローブをはめてびっくりした。小学校の時にはぶかぶかだったグローブがすっかり小さくなっていた。手入れもしていなかったからボロボロになっていた。部活でサッカーをしている間、手入れしていなかったから、傷んでしまっていた。それでもまだまだ使えたから、文化祭準備や受験勉強の合間、昼休みに友達とキャッチボールをしたりしていた。

 そんなことを思い出しながら私は今日もコンクリートにボールを投げ続けている。ボールを1球投げる度に思い出がまた蘇る。それがとても面白い。あの時の放課後のヒットも甲子園のスターもキャンプ場でのキャッチボールも、予想もしていない記憶を白いボールが持ってきてくれる。ボールを触るまでまるで思い出せないのに。

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〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。 

 

六月二十日 快晴

 きのう床についたのが朝の四時。九時ぐらいに目がさめたが、ラジオをきいたり、「時には母のない子のように」や「愛の讃歌」……を口ずさみながら、ぼんやりと三時ごろまで過し、バイトに行く。バイト先や「ティファニー」で人間はだれでも疲れているんだなあって、しみじみと思う。

 

 このノートを書くことの意味——

 これまでは、このノートこそ唯一の私であると思っていたから、誰かにこれをみせ、すべてをみてもらって安楽を得ようかと、何度か思った。しかし、今日ぼんやりとしていたとき、このノートを燃やそうという考えが浮んだ。すべてを忘却の彼方へ追いやろうとした。以前には、燃してしまったら私の存在が一切なくなってしまうようで恐ろしくて、こんな考えは思いつかなかった。

 現在を生きているものにとって、過去は現在に関わっているという点で、はじめて意味を持つものである。燃やしたところで私が無くなるのではない。記述という過去がなくなるだけだ。燃やしてしまってなくなるような言葉はあっても何も意味もなさない。

 このノートが私であるということは一面真実である。このノートがもつ真実は、真白な横線の上に私がなげかけたことばが集約的に私を語っているからである。それは真の自己に近いものとなっているにちがいない。言葉は書いた瞬間に過去のものとなっている。それがそれとして意味をもつのは、現在に連なっているからであるが、「現在の私」は絶えず変化しつつ現在の中、未来の中にあるのだ。

 

 私は人間どもをだましながら、己れを生きさせているのだ 

 だまされているバカなヤツラヨ

 バカも愛を知っているものに対しては

 お互いに だましあいつつ生きてゆくのだ。

「独りである」とあらためて書くまでもなく、私は独りである。 

 

 

#60 私たちは何者かにならないといけない

 

 2留している。

 いや、正しく言うと、実際に留年したのは1年。その前は休学だった。

休学しても別に何もしなかった。旅行をちょろちょろして免許を取っただけだった。

 

 今月、私は23歳になる。

「大学生で22歳」と言うのと、「大学生で23歳」と言うのは違う。

 

 23歳で大学生している、ということはどこかで回り道をしているわけである。浪人、留年、休学、留学。初対面だろうがなんだろうが、訊く人はどんどん訊いてくる。1年間の浪人を含めて、私は3年間も回り道をしている。「若い時の2年や3年、別にどうってことないよ」と言ってくれる人もいるけれど私はまだそんな風には思えない。それは、大学で足踏みしていても自分の成長が見えないからである。それから、自分の今あがいていることが将来にどのように役立つかわからないからでもある。

 

 去年も一昨年も受けていた授業を今年も受けている。去年答えられなかった問題を今年も答えられない。がっかりする教師の顔もまた同じである。

 

 ストレートで大学に進学した高校の同級生は、大学院に進学したり、あるいは就職したりしている。昨年末、就活や院試が終わった友達から会わないかと誘われたりしたけれど、自分の現状が恥ずかしくて会えなかった。去年の夏から新生活が始まる今年の春までの期間は、彼らにとって最後の自由時間だったのかもしれない。その時期に会えなかったのは申し訳ないけれど、それでもやっぱり会えなかった。大学にも行かず、後ろ向きのことばかり考えて腐っている自分を彼らの前に出せなかった。今思えばくだらないプライドだった。でもその時はそんなプライドでも守らないと死んでしまいそうだった。

 

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 浪人時代同じ予備校で勉強した友達も今や4年生で、就活を頑張っているみたいだ。SNSで彼らの頑張っている姿が見える。エントリーシートに関する愚痴も、うまくいかなかった面接のことも、泣きそうになっている心も見えてしまう。もちろんツイッターフェイスブックが全てではないし、そうしたSNS上での振る舞いがその人のすべてではない。ただ偉いなあと思うだけだ。仮に自分が今、就職戦線に放り込まれたとして、就職活動をまっとうにできるとは思えない。就活サイトに登録して、インターンを申し込んで、メールをやりとりして、グループディスカッションをして、他人と競って。そこには想像もつかないような困難があるだろう。ただただ感服するばかり。別にこれは皮肉なんかじゃない。はたしてそういうことが私にできるだろうか。

 今日久しぶりに会った友達も、最近就活が終わった話をしていた。もうそんな感じなのかと思った。「すごいなあ」と思い、また少し心が痛くなった。

 

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 こんな風に書いているけれど私の毎日は案外に明るい。なぜなら今はぬるま湯に浸っていられるから。将来に対する見通しもないし、来年進級できているかもわからない。けれど毎日何かしらやることがあって映画だったり勉強だったり本だったりそういうので時間がどんどん過ぎていく。会社勤めや、就職活動をしている周りと比べるとどうしても気が滅入るけれど他人と比較しても仕方ない。自分は自分。そう言い聞かせてここ何年か生きている。

 バイト先の人と自分の学生生活について話す機会があった。その人は2人の子どものお父さんで、よく奥さんの話や子供の習い事の話をする家庭的な人である。留年していて不安であることを伝えるといろいろアドバイスをしてくれた。その中で響いたのは「家庭を作ると自分の時間が無くなってしまう」という言葉だった。結婚してから、子供が生まれてから、今まで何気なく過ごしていた時間こそが「自由」だったのだと、その人は思っているようだった。

 確かに大学生の身分で今は何をしていてもよい。どこに旅行しようが、どんな本を読もうが自由である。映画も見放題である。バイトもできるしお酒もたばこもできる。入学当初、私は映画を作ることを仕事にしたいと思っていて、でも大学で学ぶことにしたのは言語だった。センター試験の点数をもとに半ばなげやりに決めたせいで、私は卒業まで○○語を専攻することになった。

 

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 正直耐えられなかった。映画の仕事をするのに大学の勉強は価値のないように思えた。でも入ってしまったがために卒業しなくてはならなくて、でも興味関心がなかなかわかなかった。

周りの何人かは自分の夢とか将来のプランとかに向かって邁進していて、輝いて見えた。別に大きな夢が無くとも現実に向き合ってやるべきことを着々とこなしている人もいて、尊敬が湧いた。自分はと言えば毎日を自堕落に過ごし、好きなことを好きなだけしている。目標も夢もなく、ただただ日々を過ごしているだけだった。大学生は人生の夏休み、なんて言うけれど私の時間の過ごし方は怠惰そのものだった。

 

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 次第に、決めることがおっくうになってきた。あれをやるこれをやる、ということが面倒くさいものになっていった。自分の進路をどう決断しても自分の夢を叶えられる可能性は低くなるように思えた。自分の周りにはたくさんの選択肢が転がっていて、そのどれかは自分の人生を良いものにするのかも知れない。けれどそういうのを一つ一つ手に取って確かめることは煩わしいものに思えた。私は段々と決めきることができないようになり、決断を先送りにするようになった。大学2年目の夏、私は半年間休学することを決めた。私のコースは通年で単位が出るので、自動的に留年することが決まった。

 

 何かを決定することが嫌で嫌で仕方がなかった。、私はひたすら決断を避けた。本棚のたくさんの本も捨てることができず、大掃除をしても物を捨てられなかった。パックに少しだけ残った牛乳を飲み干すことも嫌になり、服を買いに行っても何も買わずに帰ってくるようになった。

 同時に迷うことが増えた。自分には迷うことを楽しんでいる節があって、結論が出ないようなことを延々考えていたりした。家族のことや映画のこと、友人とのことや最近読んだ小説のこと。考えれば考えるほど沼にはまり、悩むことが楽しくなっていった。

 

 

 ある朝気づいた。自分がどうしようもなく嫌な奴になっていることに。自尊心と自意識だけが肥大して、周囲を見下し、小難しいことを考えている自分が偉いと思っている。迷う自分に酔っている。このままじゃいけない。そう思った。今のままだと駄目だ。変わらないといけない。「何者にもなってやらないぜ!」と今はうそぶいていられる。「何者にもなれる」力と可能性を持ったまま、何も決断せずに「何者にもならない」ままでいるのは確かに楽だ。でもそうこうしているうちに「何者にもならない」のではなく「何者にもなれない」ようになってしまう。そうなったら悲惨である。いざ「何者になろう」と思っても、力も選択肢もなくて、本当に「何者にもならない」まま人生を終えることになってしまう。そんな未来がよぎって、気持ちが暗くなった。

 

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 じゃあどうしよう、と考えて、とりあえず決定をしていこうと思った。毎日何かしらの決定をしよう。できることなら決定にかけるスピードを速くしよう。今すぐに根暗や不安が治るわけではない。でも決断をすることを恐れずにやっていけば勇気や自身も育つだろうかと思う。そう思って最近生きている。この心掛けが実を結んでいるかはわからないけれど、とりあえずのところは順調である。何者になれるか、わからないけれど、まだ何かしらにはなれると思う。